1章-8 「暗殺者失格」
リゲルが路地の階段をゆっくりと降る後ろで、わたしは彼の首に手を伸ばした。
今まで訪れなかったリゲルと二人きりの、監視の目が無い絶好の機会だ。わたしは王権に忠誠を誓う暗殺者だ。"リゲル第4王子の暗殺"…これが国王陛下と、ご主人様に命令された本来の目的だ。
なんのことは無い。あの時と、聖女アルネを殺した時と同じようにすればいいんだ。苦しくないように、眠るような毒で─────
「────できない。」
どうしてか、魔法が発動しない。いや、できないのか。わたしはリゲルの首元へ近づけていた両手を下ろした。違和感を感じて手のひらを見ると、小刻みに震えていることに気づいた。
「どうして、今さら………」
今さら、ずっとこのまま幸せな時間を過ごしていたいなんて、考えてしまうのだろう──。
「ルーナ!!」
リゲルからの急な呼びかけで、体がびくりと震えた。
「少し話そう。」
そう言って、リゲルはわたしの手を引いてさらに奥へと歩いていき、とある特徴的な外観の店の前で止まった。質素な造りに、看板代わりに半透明の水晶やタッセルをゴテゴテと飾り付けている、見るからに入りづらい怪しい雰囲気の店だが、どうやら魔道具屋らしい。
中に入ると、入り口のすぐ横には去年開発された大型の魔道具が置かれており、奥の棚は少し旧い型の埃を被った魔道具で埋め尽くされ、格安の値札がついていた。
ガラス製品で装飾されたカウンターには、エプロン姿の店主らしき人物が座っている。豊かな髭を蓄えた無愛想な中年の男で、疲れ切ったような顔をしている。
「久しぶりだな。」
店主はリゲルの知り合いらしく、彼が声をかけると怪訝そうに目線を手元の羊皮紙からこちらへ移した。
「…なんだ、坊ちゃんかい。要件は?」
「例の件だ。奥の部屋は空いているか?」
そう言われた店主は、わたしの顔を一瞥し、
「……本気だったのかい」
と言ってカウンターを開けて、奥に案内してくれた。暗くて長い廊下の先にある、重い扉を開ける。灯をつけると、部屋の壁に魔獣の皮がズラリと並べられていた。
「ここでは魔道具だけで無く、魔獣の毛皮を扱っているのですか?」
魔獣の毛皮は物によっては服飾品の貴重な素材になる為、貴族向けの専売品になることが多い。
魔獣が多い辺境の地域以外では、領主など高位貴族の直接の許可か、国に営業許可されている組合組合を通してでなければ、魔獣の素材は取引してはいけない事になっているのだ。
その為、魔獣の皮は本来市場に出回ることは少ない。ここはリゲルが関わっているが、国家公認という訳でも無さそうだ。ということはこの店は、闇取引をしている事になる。
「これだけの毛皮を取り扱う店は、初めて見ましたわ……。」
「ルーナ、あれを見てみろ。」
リゲルが示した方向を見ると、檻の中に生きた狼のような魔獣が入れられていた。檻の中に入った魔獣はこちらに気がつくとガルガルと唸りながら檻の隙間から鋭い爪を出して攻撃しようとしてくる。
「これ、全部生きた魔獣ですわよね?毛皮を取り扱う店は稀にございますけど、まだ生きている魔獣の取引は本来…禁止なのではなくて?」
リゲルの代わりに店主が口を挟んだ。
「確かに、普通はやらないな。実際、いつもお上に目をつけられないかヒヤヒヤしている。」
王子の紹介といえど、正直知られたく無かった、とでも言いたげな様子だ。
実際そうなのだろう。魔獣を生け取りにして檻に入れるなんてのは、一般的にはあり得ない。ご主人様は法律を造り、権力に護られる側の人間だからそんな常識は度外視していたが、基本魔獣の連れ出しや売買はその危険性から違法である。
そんなことを考えていると、リゲルが口を開いた。
「近年、魔獣が人を襲う被害が増えていることは知っているな?」
「…それは、ええ、存じておりますわ。」
質問に答えてもらえなかった上、急に話題を転換されたことに驚き、しどろもどろな答え方をしてしまった。リゲルはそんな私をよそに、檻の前に立ちながら話を続ける。
「以前狩った中型や大型の魔獣の胃を調べたが、報告されている被害よりも、実際はかなりの人間が襲われていることが分かった。森に入った浮浪者などが餌食になったのだろう。
馬を持ち、魔法を使える貴族にとっては西の大森林の魔獣はさほどでは無いが、一介の民にとっては十分脅威だ。」
「……?」
リゲルは檻の中に入った魔獣に視線を移す。歪な獅子のような魔獣は檻から爪を出し入れして動かしている。
「そして、狩りの間、私は部下たちに森の魔獣の個体数のおおよその推移を調べさせたのだ。
その結果、通常ではあり得ない速度で増えていることが分かった。調査の際にはこの店にも協力をしてもらってな。」
それはつまり……
「まさか、今まで頻繁に魔獣狩りを行っていたのは、魔獣の調査と、これから起こる魔獣被害の対策のためだったのですか…⁉︎」
「ああ。このままでは間に合いそうにないがな。」
「もしかしてっ、今までの態度も、全て演技だったとでもいうのですか!?」
「私は、兄上を絶対に王にしなければならないのだ。」
「メイサ……第1王子……」
リゲルは慕う兄の名前を聞いて、少し物悲しそうに微笑んだ。
(本当は、そんな表情をする人だったのか──)
わたしは一度落ち着いて、リゲルの今までの行動を振り返る。
貴族たちの間で要注意人物扱いされるほど傍若無人に振る舞っているのは、メイサ第1王子の王位継承を邪魔しないためだった。魔獣狩りをよく行なっていることも、遊び人だと周りから思わせるため。
しかし本質は、報告されている魔獣被害から未来を推測し、次期国王である第1王子と協同して国の危機を救うためだった。
──辻褄が合った。
ますますわたしの中で、今回の国王からの王子暗殺の勅命に対する疑念が強まっていく。
「………想定される魔獣被害は、どれくらいなんですか?」
「早く対策しなければ、取り返しのつかない事態になるだろうな。少なくとも、村が幾つか消える程度では済まないだろう。」
なんてことだろう、わたしは人間同士の争いにばかりに目を向けて、王城の外側で起きている異変など、視界にすら入れていなかったのだ。
浅はかだった……わたしは国の為だのなんだの都合のいい言葉に惑わされて、結局、自分の頭で何も考えてこなかったじゃないか!
「国王陛下は、なんと…なにかおっしゃっていましたか?
魔獣対策は既に何かなされているのですか?」
「父上は、聖騎士団に指令を出しているが、それだけではどうしようもないことは分かっているだろう。
根本的な対策のためには、教団自体を動かす必要があるが……兄上に根回しをしてもらっても、父上は頑なにこの件には触れようとしない。」
それは当たり前だろう。国王は今まで聖女アルネをはじめ教団派の芽をいくつも潰してきた。王権を盤石にする為に。今さら教団に擦り寄る態度は取れないだろう。
だが、だとしても、国の根幹を揺るがす危機の前には王権どころでは無いはずだ。
国のことを本当に考えていたのは、闇雲に崇拝してきた国王では無く、寧ろ暗殺されようとしている王子の方だったとでもいうのか。
──ならば、今まで殺めてきた人々はどうだったのか?
確かに、暗殺してきた反国王派には一般的に悪人と呼ばれる人もいた。私欲のために民の生活が立ちいかないほど重税を取る貴族も、国中を無差別の虐殺によって混乱に陥れようとした思想家もいた。
けれど、魔法や魔獣の研究をしていた学者や、王権を揺るがすという理由で暗殺してきたといった彼らは、どうなのだろうか。彼らは……アルネは、ただ人々の生活のために、この国のために努力してきただけなのでは無いだろうか。
わたしは、全て間違えてきたのだろうか?
「すまない、外に出る。開けてくれないか?」
その時、リゲルは店主に声をかけた。わたしはリゲルの差し出した手を取って、店の外に出て行った。




