1章-7 「斜陽②」
1章-7 「斜陽②」
待ち合わせの当日、自室のクローゼットから服を引っ張り出し、いつもと違う、より庶民らしい型のドレスを体に合わせてみる。貴族のものよりもゴテゴテせず、胸元も開けない町娘たちの素朴なドレスを見かける度に、正直かわいいと思っていたのだ。暗殺の為に庶民と同じドレスを着る事もあったが、目立たないような地味なものを選ぶので、そこまで好みの物では無かった。
(今まで、好きなかわいい服を着ようなんて、思ったことも無かったけど……)
「変じゃ、無いかな…?」
部屋に鏡は無いので、大きな板に魔法を被せ、鏡に似たものを作る。薄紫色に濁って見えるので、色は参考にならないが、無いよりはいい。魔法鏡の前でくるりと回ってみたり、質素な指輪などの小物を合わせてみたり、前髪を何度も整えた。
「……よしっ」
気合いを入れて、待ち合わせ場所まで軽い足取りで歩いた。待ち合わせ場所の木の下に、リゲルの姿を見つけて歩みが早くなる。なぜかいつも控えている側近たちの姿は無かった。
「ごきげんよう…………わぁっ」
リゲルも庶民に似た服装をしている……が、特に気になるのは、
「髪の毛の色が……黒いですわ!」
「ああ、これなら目立たないだろう?どうだ?似合うか?」
確かに、リゲルの青い髪は太陽を反射しやすい特質がある。故に選ぶ色としては暗殺者の目から見ても及第点な変装だった。
「バッチリです‼︎」
わたしはその完成度の高さに、笑顔で返答する。
「そうか。」
リゲルは何やら満足そうに前髪の束を指先で擦っていた。
辺りを見渡すと、姿は見えないが、先ほどからわたしたちを取り囲むように人の気配がする。どうやら、一部の側近たちやリゲルの仲間は隠れているらしい。
お忍びで街歩きという絶好の暗殺チャンスだが、それ故にあちこちに一般人に扮した監視の目が行き届いており、相変わらず、暗殺も何もできそうにない……ということで、今日はおとなしく一緒に見て回ることにした。
王都を歩いたのは久しぶりだった。相変わらず実家の伯爵領よりもずっと人が多く、賑わっている。よく注意して見れば、妖精を先祖に持つ耳長の特徴を持つ者や、肌色が青い者、鱗がある者ともすれ違った。さすがは花の王都といったところだろうか。近頃は、商人や貴族の間で芸術運動も盛んになっているらしく、その影響か、町民の間でも華やかな色が流行していて、ただ歩いているだけでも目に楽しい。ふと空を見ると、気になる物が目に留まった。
「アレは何ですか?」
空にヒビが入ったかのように、黒い裂け目がある。中は鈍く紫色にキラキラ光っているし……普通は空に裂け目なんてあるはずがない。裂けているのではなく浮いているのだろうか?
「何も見えないが……何かあったか?」
「アレです。まるで黒曜石のような……」
「すまない、私には何も見えないようだ。」
「……失礼しました。気のせいかも知れません。行きましょう。」
「…いいのか?」
わたしはリゲルに微笑みかけ、そのまま歩き出した。一応気になってもう一度空を見上げてみると、既にその裂け目は綺麗さっぱり無くなっていた。こんな時に幻覚を見るなんて……気を抜いてしまったせいだろうか。
しばらく進むと、大きな川に差し掛かった。王都の中央に流れる川には立派な石造りの橋が幾つも掛かり、たくさんの、積荷を載せた船が往来している。橋を渡った後、そこには市場があり、木で簡単に建てられた屋台が並んでいた。歩みを進めると、あちこちから美味しそうな匂いがする。焼いた肉とピリ辛のソースの匂いは特に強く感じられて、ついついお腹が空いてきた。その匂いに慣れてくると、焼きたての丸パンの匂いや、スープに入れられるハーブの香りがだんだんと分かってる。
「すごいですね」
「アレはどうだ?奢るぞ。」
リゲルが指差した方を見ると、ちょうど屋台の前で客らしき中年の男が、小さな円形のパイを割っているところだった。熱々の中身はたっぷりと詰め込まれた肉と野菜で、男は満足そうに割った片方を頬張る。
「ミートパイですか?食べます。」
「2つお願いします。」
リゲルが店主相手に丁寧に話している。なんだかすごく新鮮だ。そんなことを考えているうちに、リゲルは小銅貨2枚ほど渡しているようだった。
「毎度あり。…温めるかい?」
「頼みます。」
「奥さんはどうだい?」
店主はわたしの方を見て言った。
「…え?あ、お願いします。」
「あいよ。」
奥さんか…そう見えるのだろうな。似てないから、兄弟には見えないだろうし。店主が奥で炎属性の魔法を小さく使っているのを眺めていた。
リゲルがパイを店主から受け取り、1つわたしに渡してくれた。
「ありがとうございます。」
熱い。しばらく持っていると火傷してしまいそうだ。リゲルが食べたのを確認してから、わたしも口をつける。
「いただきます。……!美味しい!」
肉は好きだ。肉もパンも食べたかったので、ミートパイはちょうどよかった。リゲルの方を見ると、具材のひき肉が溢れないようにする為か、結構丁寧に食べていた。さすが王家の人間、といったところだろうか。性格の割に、綺麗な食べ方をする。
そのまま一緒に通りを歩いていると、聖堂前の広場に出た。広場には人だかりができている。人だかりの中心を見ると、車輪と屋根がついた、移動式の大きなワゴンがあった。ワゴンの上とすぐそばには、一際奇抜な格好をした人々が居る。演劇集団だろう。
「ちょうど良かったな。少し遠いが。」
リゲルが舞台を見て笑って言った。
鮮やかな格好をした数名が舞台に上がり、始まりの挨拶を始めた。そして、口上の後、ヴァイオレットの衣装に身を包んだ、蘭の花のように美しい女優が舞台に上がった。背筋をピンと伸ばして、堂々と胸を張った華やかな主人公の名は、奇しくもわたしと同じ、"シンシア"というらしい。
(シンシア……?)
名前に驚き、ついリゲルの方を見てしまった。ぱっと、リゲルと目が合った。相変わらずまっすぐな視線を向けられるので、居心地が悪くてすぐ目を逸らしてしまう。ちょうどその時、舞台上のシンシアが声を張り上げた。
「この国の全てを呪って、魔獣で満たしてやるわ!」
随分物騒なことを言う。主人公シンシアは、どうやら劇中では、大陸の最大の禁忌である黒魔術で国の支配と混乱を目論む魔女として扱われているようだ。劇の要所要所でその傲慢な性格が強調されていた。
「ワタクシには似合わないわ。」と言いながら取り巻きが与えたネックレスを目の前で捨てたり、「ワタクシより醜い者は、生きている価値が無いの!」など貴婦人たちに挑発的な発言をしていたりと、国王をはじめとする宮中の男たちを籠絡し、黒魔術に引き込む毒婦らしい性格が表現されていた。
先代国王の時代に起きた実話を基にした劇らしく、政治的な意図が所々透けて見えていたが、絶世の美女シンシアを巡る怒涛の愛憎劇は退屈しないで夢中で見ることができた。
ラストシーンでは、黒魔術で無理矢理惚れさせられていた王が、王子や正義感の強い貴族たちの力強い説得によって正気に戻った後、
「この女は正に悪女である。」
と宣言し、彼女の処刑に同意する。
しかし、当のシンシアは、彼女の取り巻きたちが動揺する中、
『ワタクシ、逃げも隠れもしませんわ!』
と言い放ち、そのまま連行され堂々と処刑された。その様は、誇張はあるだろうが勇ましい立ち居振る舞いで、王宮を揺るがした悪女にも関わらずこの人物に一定の人気があるのも頷けた。
「どうだった?」
主人公の処刑により物語が終わり、拍手が鳴り止んだ後、リゲルはわたしに劇の感想を聞いてきた。
「素敵な演劇でしたわ。見応えがあって…」
「ルーナ、私はルーナ自身がどう考えているかを聞きたい。」
相変わらず、人が取り繕うことを許さない男だ。
「…始まりから終わりまで、ずっと刺激的でおもしろかったですわ。最後の教訓的な終わり方は残念でしたけれど、処刑に至る前の主人公の啖呵は豪胆で格好良かったです。」
「そうだろうな。見入っていたようだったし。」
「ええ。それに、わたし、演劇を見たのは初めてでしたの。だから、今日一緒に見ることができて、本当に嬉しかったですわ。」
「ははは、それは連れてきた甲斐があった!まるで幼い子供のように夢中になっていたからな!」
「…」
「…」
「…もしかして、劇の間ずっとわたしのことを見ていたのですか?」
「少しだけだ。ずっとでは無い。」
「……そうですか。」
その後の演劇も終わり、また街歩きを再開する。聖堂の側のこの区画には、商人たちの見栄で建てられた50m程の四角い塔が立ち並ぶ。教団のお膝元であると同時に、商人たちの活動の場なのだ。少し入り組んだところに出た時、リゲルが急に足を止め、ぶつかりそうになった。どうしたのだろうと考えていると、
「ルーナ!」
「はい?」
「走るぞ。」
「えっ……?」
リゲルが急にわたしの手を引き走り出した。何度も角を曲がり、路地から路地を抜ける。低い階段を降り、景色が目まぐるしく変わる。
「一体どこに行くのですかっ!」
「ははっ!着いて来れているようだな。安心しろ、行けば分かる!」
リゲルは振り向いて笑顔で言った。相変わらず突拍子もない行動を取る男だ。監視兼護衛役の人間が焦っている様がありありと目に浮かぶ。
──そうか、彼は今、監視を撒いたのだ。
随分走り回り、かなり遠くへ来た時、少し日が傾き始めてきたのが分かった。
「わたし、少し疲れてしまいましたわ。」
「そうか?…なら、そろそろ休もう。」
「リゲル様、わたし、今日は、とっても楽しかったです。」
─そうだ、楽しかった。
楽しかった、楽しかった。
すごく、楽しかった。
立場を偽るわたしなんかがして良い思いでは無いのに、とても、幸せだった。
(今は誰も見ていない。)
「リゲル様、あそこでお休みしましょう。」
わたしはある路地を指差す。監視役のリゲルの護衛は居なくなった。この辺の路地は人通りが少ない上、治安が良い場所では無い。
幸せな時間はもう終わりにしなければならない。だってこれは、千載一遇のチャンスなのだから。
『良いか、今回ばかりは失敗はならない。』
わかっています、ご主人様──、
そう、誰にも気づかれてはならないのだ──。
そうだ、わたし共々ゴロツキにでも襲われたことにすれば良い。リゲルは金目当てで刺し殺された後、物色され、わたしの死体が上がらないのは、拐かされたから。そういう筋書きだ。
……偽装は得意だ。捜索隊は王家に任せれば早々に打ち切り、全て隠蔽してくれるだろう。簡単だ。そうすれば、このルーナ・フローリーとしての仕事はできなくなるが、元々リゲルとの初対面での一件で目立ってしまっている。
『どんな手段を用いてもかの男に近づくのだ。』
──リゲル王子に近づくことには、無事成功いたしました。
殺しをする時はいつも、ご主人様の言葉が頭の中に響く。わたしはその命令に逆らえない。目の前のこと以外、何一つ考えてはいけない。頭にじんわりと白濁した霧がかかったように感じる。
『お前はこの国の役に立てる人間なのだから。』
───わたしの命はご主人様と王家、そしてこの国のためにあります。
『…信頼しておるぞ。』
「ご主人様の……仰せのままに。」
わたしは、そうリゲルに聞こえないほどの小声で呟きながら、階段を降る彼の首元へ、ゆっくりと手を伸ばした。




