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1章-13「暗殺毒婦のやり直し」

 暗殺者シンシアは、ルーナ・フローリーとして17歳で自らの毒によって処刑された。

 公には秘匿されているが、光属性の聖女を手にかけ、あろうことか国王を、そして第4王子すらも手にかけようとした、おぞましい大悪党。

 そんな数奇な運命を辿った少女の生涯は、この時、幕を閉じたかに思えた。


 しかし、なぜかシンシアの意識は続いていた。まるで空気も何もない空間に浮遊するような状態で。重みも痛みも感じない。

 

 (これは、わたしの…体?)


 前に視線を移すと、自分のの磔にされた体があって、シンシアは驚いた。

 彼女の体から、シンシアの意識がどんどん離れていく。部屋の全体像が見えたと思った次の瞬間には、監獄塔の天井までもすり抜け、王都を上空から一望できる位置まで飛んだ。

 王都は人が多いが、よく整えられている優美な都だ。

(…上から見ると、こんなに綺麗な街だったんだ。)

 

 空からの風景は新鮮だった。

 王都の中央にある小高い丘に、城壁に囲まれた砦のような王城がある。その麓には森と畑の緑があり、さらに外側は城下町に囲まれている。王城から少し離れた東側にまで街があり、その中心部には荘厳な教団の神殿が聳え立っていた。

 そして、シンシアの今飛んでいる場所の真下は監獄、つまりは王城の北東に位置していた。そこから西の方角に目をやると、魔獣を防ぐための堀と何重もの城壁がある。

 ちょうど夕方であるらしく、落ちる太陽は黄金を溶かしたようにギラギラと輝いていた。


 その時、西陽の方から何かが近づいてくることに、シンシアは気がついた。

 

 (あれは…鳥?──違う、魔獣の群れ…!?)

 

 逆光で黒いカラスのように見える魔獣が王都に向かってまっすぐ飛んでくる。けれど翼は蝙蝠のようで、頭は嘴があるというより牙の生えた、どちらかというとトカゲのような頭だった。そしてよく見ると身体全体が鱗に覆われていて、まるで鎧のようだ。

 

 (…まさか、御伽話に聞くドラゴン?)

 

 翼竜はあっという間に城壁を超える。人々の視線は見慣れない空飛ぶ魔獣に釘付けになった。すると翼竜は低く飛びながら、国一の規模の市場に向かってルビー色の炎を吐いた。気がついた時には辺り一面真業火に包まれ、人々は我を忘れて逃げ惑った。混乱の中でも、中には子どもを抱いて逃げる母親や、恋人を何とか逃がそうと自らが囮になろうとする者もいた。けれど魔獣にとっては、大人も子供も、優しさも親愛も関係ない。皆等しく真紅の炎に巻かれた。翼竜は炎を走り逃げる人々に向けて容赦なく吐き続けた。

 

 (どうして…魔獣は本来森の奥か、山脈にしか居ないはず…なのに今まで現れなかったドラゴンが現れるなんて、一体何が起きているの……?)

 

 その瞬間、情報の濁流がシンシアという器に、まるで滝が滝壺という一箇所に落ちるように流れ込んできた。

 これまで、光の属性を持つ魔法使いたちが人の土地を守る結界を施していたこと。暗殺した、教団の聖女アルネがその光魔法のかなりの使い手で、彼女さえ生きていれば、今回のような魔獣による惨劇は先延ばしにできたこと。リゲルが早急に戦いに出なければならなかったのは、王がリゲルを死地に追いやるためだけでなく、実際に起きた大規模な魔獣の領土侵犯を口実にしたせいでもあること。

 他でもないシンシアの今までの行動が、リゲルを残酷な死に追いやったということ…。

 そうしている間にも、魔獣たちは王城の方角へと向かう。その過程で、たくさんの人々が魔獣に襲われていった。


 (ダメ、やめて、行かないで、リゲルが、守りたかったものが…!)

 

 手を伸ばしても、シンシアには何もできない。既に死んでしまった彼女は、ただ胸が張り裂けそうな悲しみを感じながら、惨状を見ていることしかできなかった。

 王城は黒々とした瘴気を纏う翼竜に囲まれた。翼竜は人々を見つけると急降下し、その場に炎を吐いた。翼竜の炎は一度着火するとなかなか消せず、着飾った貴婦人らは一瞬で黒焦げになった。翼竜が留まった場所はバラバラとレンガが崩れ、砂埃があちこちで上がった。下にいた人々は巻き添えになり、そのまま埋もれてしまっていた。

 既に王都の西側を守る門は魔獣の物量によって破られ、城壁をネズミの魔獣が駆け上がり、狼や猪、他にも巨大な醜い魔獣が洪水のように進んでいった。一体程度なら大したことの無い小型の魔獣も、大群となると防ぎようが無い。翼竜から逃げ延びた人や、建物の中にいる人を食らい、街にある全てを物量で破壊しながら、東へ東へと侵攻していく。


 (───地獄絵図だ。)


 そう思って再び王城に目をやると、バルコニーに1人の男の姿が見えた。


 (──国王、陛下……)


 この国の現国王、リゲルの実の父親にして、シンシアの父が忠誠を誓っていた張本人である。豪奢な紅と金のマントとは裏腹に体は痩せ細り、以前見えたときよりも白髪が増え、杖にもたれかかりまともに立っていられないようだった。

 国王は一人だけ時が止まったかのように、呆然と、魔獣の群れに国が溺れる様を眺めている。そんな国王を守ろうと、すぐさま近衛兵たちが前へ出てきて盾を構え、強力な魔法を放つが、翼竜の鱗にはほとんどの魔法が効いていないようだった。兵たちはなすすべなく薙ぎ倒され、老いた王は抵抗することもなく、翼竜に頭から一口で飲まれた。


 シンシアはその様子に言葉を失った。


 貴族の男たちは逃げ惑う者、立ち向かう者、様々だった。婦女子たちやおそらくリゲルの妹であろう姫君たちは城の中で、従者が魔法で結界を張って隠れていた。されど結界は圧倒的な物量で押し切られ、皆一様に、魔獣に跡形もなく噛み殺された。

 

 シンシアは足元を見た。監獄には、動きの素早い狼の魔獣の群れが、いち早くなだれ込んでいた。黒い狼は無理矢理檻の中に体を捻って入り、囚人に次々と襲いかかった。囚人たちは己の身を守るために手錠をかけられたまま抵抗するも、虚しくその命を落とした。

 看守たちは己の得意な魔法で応戦した。あちこちで色とりどりの火花が舞う。狼の魔獣たちは弾け飛び、砕かれ、燃え上がった。群れのほとんどが死に絶え、一度は侵攻を防いだかに思えたが、そのすぐに現れた大河の氾濫のように入り乱れる多種多様な魔獣の群れの前に、看守たちも次々とその命を散らしていった。

 有象無象の中に、よく魔獣狩りをした西の森では絶対に見られないような巨大な象や、鬼のような魔獣もいた。例の聖女アルネを知る看守は善戦していたが、この時には既に満身創痍で、左腕は狼の魔物に噛まれ使い物にならないようだった。2度目の魔獣の波によって他の看守は皆やられたらしく、たった1人で群れを蹴散らしていた。

 彼が小型の群れを竜巻で一斉に巻き上げた時、壁を突き破り象の魔獣が彼に向かって突進してきた。彼はすぐさま水の刃で牙と頭を切り刻んだ。しかし、象の魔獣が倒れる刹那の間に、鬼のような魔獣は背後に回り込み、彼の頭に容赦なく黒い棍棒を振り下ろした。すぐに気づいた彼はとっさに水の魔法を盾のように頭上に張ったが、間に合わず直撃し、そのままぐったりと倒れた。

 

 それから半刻ほどした頃には、魔獣の群れの重さに耐えきれず、塔は崩れていった。


 全てが暗雲に呑まれた。人も、家も、シンシアの生家も、義両親の家も、アルネがいた礼拝堂も、王城も、リゲルが守りたかった全てが、黒々とした魔獣の群れに呑まれていった。

 

 シンシアが自分の死体もその群れに呑み込まれ、塔と共に崩れ落ちたのを見届けたとき、空に大きな黒い亀裂が現れた。その亀裂からは絹や極光のように折り重なった暗黒が、王都を包むように降りてきた。

 

 世界は闇に包まれた。

 

(何も…見えない、見たくない…)


 シンシアの魂は、宙に浮いたままうずくまる。外界で起きた全てを否定するように、殻に閉じこもるように小さくなった。やがて感覚までも暗闇に呑まれ、全てが分からなくなった。



 

 

 それからどれくらい経っただろう。シンシアはだんだん体の重みが戻ってきた気がしていた。五感が激しく働き始め、皮膚のズキズキした痛みが強くなっていく。先程まで痛みも何の感覚もないままに、空を飛んでいたというのに。

 

 (あれ、痛い…身体中が痛い、力が入らない。なにかに抑えつけられているような…)

 

 目だけを動かすと、幼い頃嫌というほど見た鉄製の天井と、包帯でぐるぐる巻きになった自分の首から下が見えた。しかし、違和感がある。なんだか手足の先までの感覚が短いし、胸も無い。

(私…生きていたの?でも、どうしてこの場所に…?)

 ゆっくり首を横に向けると、紫紺のボサボサの髪の1束がぱさりと落ちるのが見えた。どうやら、間違いなくシンシアの肉体のようだ。


「アンタ、起きたのかい!」


 シンシアは急に浴びせられた大きな声に驚き、ついびくりと体を震わせた。急に動いたため全身に痛みが走った。

 けれども、シンシアはその声を不快に思わなかった。むしろ、長らく聞いていない、懐かしい声だと思った。


 10年前に盗みを働いたという下級の使用人、シンシアが初めて殺めた人間の女性がそこにいた。女性にしては大柄で、しし色の髪とそばかすが目立つ、笑顔が特徴的な愛嬌のある人物だ。

 シンシアは、今はもういないはずのその人に驚き、思わず声を漏らした。


「わたしは、死んだの…?ここは、地獄?」


 使用人はシンシアの微かな声を聞き逃さなかったらしい。

 

「じごくぅ!?はっはっはっは!!!

 生きてるよ!残念ながらね!アンタ、面白いこと言うねえ!」


 使用人はゲラゲラと豪快に笑った。

 

 シンシアはこの家では名前を呼ばれない。本来なら伯爵家のお嬢様に当たる立場でありながら、その事実は無かったことにされている。屋敷の人間のほとんどが何処からか預かってきた訳ありの子どもだろうと考え、彼女の名前も知らされずに、〈アンタ〉あるいは〈お前〉と呼ぶのだ。この屋敷でシンシアは、存在しないはずの誰かでしか無い。

 その中でもこの使用人は、シンシアをそこまで嫌がらなかった稀有な存在である。そんな人が、シンシアが殺める前のそのままの姿で、目の前に立って、"生きている"というのだ。

 ならば今存在しているシンシアは一体何なのだろうか。


「なんだい、アタシの顔じっと見て!後ろに幽霊でも見えたのかい!?」


 使用人の女は苛立たしげに言い放った。


「…なんでも、ありま、せん。」

 うまく発声できない。怪我のせいだろうか。


「まったく。」


 そう言ってくすくすと笑いながら、使用人の女は部屋を出ていった。

 周りに誰もいないことを見計らって、シンシアは魔法で毒を薄めた水球を作り、わずかに歪ませながら平らにした。鏡のような構造にした水を覗くと見慣れた顔があった。

 暗い赤い目、気味の悪い紫紺の髪に、面白みのないキョトンとした無表情……間違いなくシンシア本人だ。ただし包帯に頭を巻かれている上、シンシアの最後の記憶よりかなり幼かった。

 

 (若返っている、というよりも、時間が戻っている…のかな。

 じゃあ今は、さっきの使用人さんを殺すよりも前で……10年くらい前…?)


 シンシアは鏡を見ながら確認するように、ぐるぐる巻きになった包帯を緩め、自身の傷口を見る。訓練によってついた傷だ。処置のおかげかほとんど塞がっていて、見た目は火傷後のようだった。


(──ああ、そうだ。私は7歳の時に訓練で死にかけたことがあった。その時も、部屋にあの人が入ってきたっけ…)


 シンシアは辺りを見渡す。小屋に無理矢理檻が組み込まれた殺風景な部屋も、まともに洗われていない汚いベッドも、あの時のまま……というかそのものだ。


(もしここが、本当に10年前の世界なら、人生をやり直せるかもしれない。)


 シンシアの胸に、淡い期待が浮かんだ。

 読んでくださりありがとうございます。1章はここで終わりです。

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まさかの回帰ですか 面白いです最高です
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