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浮気者にも夏は来る  作者: 雑木


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3/11

加賀美文也③

 ――四年ぶりのキスは、全く違うものだった。

 佳奈恵は少し背伸びをし、文也は少し背を丸めた。昔とは違う角度で二人は唇を重ね、同時に目を開いた。

 身体を離す。


「……変わらないね、その顔」

「どんな顔すればいいんだよ、こういうとき」

「喜べばいいじゃん。こんな可愛い幼馴染とキスできるんだから」

「まあ、そうか。そうだよな。悪い、気分下げるような顔で」

「いいよ」


 佳奈恵は再び背伸びし、軽く唇を合わせた。


「嫌いじゃないから」


 今度は文也から求めた。佳奈恵の唇を覆うように吸い付き、こすりつけ、互いの口唇全てを味わうように唇だけでまさぐり合った。

 離れる間際、ほうっ、と佳奈恵の吐息が文也の口内を撫でた。


「思い出すな。昔、映画を見て練習したよね」

「ドンパチした後キスシーンで締める映画多かったよな」

「練習する前までは文也、ああいう場面で目を背けてたね。恥ずかしかったの?」

「言うなよ。見ちゃいけないもの見てる感じだったんだから。映画自体はおもしろいから始末が悪い」

「ベッドシーンだともっと可愛かったよ。真っ赤になって、手で目を隠してさ」

「おい、今何やってるかも思い出せ」

「だから、成長したなって」


 佳奈恵は手を伸ばし、文也の耳に触れた。うっすらと赤く染まっている。


「ちゃんと、最後まで見てね」


 片方の手で佳奈恵は文也の後頭部に手を添え、引き寄せる。唇を重ね、舌を挿し入れた。文也の目が見開かれ一瞬硬直するが、ぎこちなさは残しつつもすぐに佳奈恵の舌を迎え入れた。

 ゆっくりと二人は舌を交える。

 先ほどの熱を込めた口づけに舌の愛撫が加わって、二人はより互いを高めていく。口を封じ合った二人の鼻息が至近距離で混ざり合い、余計に熱がこもる。緩やかに始まったキスは徐々に意識を加熱し、二人は相手の目がぼうっと自分をとらえていることを知った。

 唇を離す。

 ふーっ……と、長く熱い吐息が二人の口から漏れた。

 どちらからともなくベッドに腰掛け、寄り添う。


「……これじゃ、すぐに門限になっちゃうかも」

「困るな、それは」


 またキス。数秒舌と唇を合わせる。


「文也のからだでここだけはさわったことなかったんだけど、いい?」

「力入れるなよ」

「失礼だな。つぶさないよ」

「やめろ、怖い。そういう意味で言ったんじゃなく……」

「うん……? あ、もしかして……うわ、かたっ、あつっ」

「言わんでいい」

「ええー。男の人、簡単すぎない?」

「そういうもんなの。……俺も、さわるぞ」

「……ん」


 文也は佳奈恵の肩に手をかけ、撫で始める。


「……おお。ジェントルマン」

「茶化すな」

「まあいきなりデリケートなとこさわられたらぶっ飛ばしてたけど」

「最初にそこいったやつが言うことか?」

「許可とったでしょ」

「……佳奈恵のからだ、俺は触れてないところの方が多いからな」

「そうだっけ? ……あー、文也からはそんなか」

「押し付けられたり乗っかられたりをさわったとは言わないだろ」

「積極的じゃないなあ。だからモテないんだよ」

「うるさい。今日はいいんだろ」

「……ん」


 佳奈恵は文也の肩にこてんと頭を預け、彼を見上げながら言った。


「キスしながらなら、いいよ」




      ◇




 小学校の卒業式のことを文也は覚えている。

 その頃になると、佳奈恵の状況にも変化があった。文也以外の同級生を信じられなくなっていたのが、少なくとも表面上は以前とほとんど同じように接することができるようになっていた。

 文也くんのおかげだね、と佳奈恵の両親に言われたが、文也自身としては大したことをしたつもりはなかった。彼はただ佳奈恵と可能な限り一緒にいるようにして、その求めに可能な限り応えただけだ。恋人としてキスの練習をするとか、やたら抱き着いてくるのはどうかと思っていたが、嫌な気持ちになったことはなかったのだから。

 不満があるとしたら、一つだけ。

 卒業式が終わり、クラスでの集まりも終わり、あとは親と写真でも撮るかという時間。文也が探すと、彼女は同級生に囲まれていた。髪を整え、おめかしして、いつも以上に可憐な彼女との縁をなんとかして残そうと、男女問わず熱心に話しかけている。

 佳奈恵の目が文也をとらえた。文也が軽く手を挙げる。


『文也!』


 佳奈恵が安心したようにぱっと笑顔になり、周囲の同級生に手を振って彼に駆け寄ってくる。

 同級生たちの嫉妬の視線が向けられるが、どうでもよかった。

 そのときの彼にとって、佳奈恵の笑顔以上に重要なことは他になかった。




『中学って変だね。急にいろんな人に声かけられるようになったの。先輩もだよ? 何か用があるのかなと思って聞いても、よくわからないんだ』


 中学校に上がり、佳奈恵の魅力に気づく人が増えた。それは正確な分析ではない。小学校のときから周囲の人はみんなわかっていた。

 彼女は群を抜いて優れた容姿を持っている。小学校まではどのように接すればいいか知らなかっただけ。年齢を重ねるにつれ、独占しようと言葉巧みに近づくものが現れるのは当然のことだった。


『佳奈恵は可愛いからね』

『……おお、文也が誉めた』

『真面目な話だよ。佳奈恵は可愛い。だから、無理してでも佳奈恵に近づきたい、自分のものにしたいって人が出てくるんだ』

『うそぉ』

『本当。だから気をつけてね。知らない人についていっちゃダメだよ』

『子どもじゃないんだけど』

『中学生は子どもじゃない?』


 幸いなことに、二人の通っていた中学校のその年代に問題を起こすような生徒はあまりいなかった。佳奈恵自身も基本的に女子以外と交流を深めようとはしなかったので勘違いさせるようなこともない。

 それでも、佳奈恵はちょくちょく言い寄られ、まだ入学して間もないというのに告白までされるようになり、迷惑がっていた。


『なんで全然知らない人から告白されるの……』

『佳奈恵は可愛いからね』

『理由になってないと思うんだよなあ』

『そんなに大変なら、俺と付き合ってるって明かせばいいのに』


 文也と佳奈恵の付き合いは、実のところ二人以外知るものはいなかった。

 文也はわざわざ明かすようなことをせず、佳奈恵自身も二人きりでなければ恋人として彼を求めることはなかった。


『いいよ。もっと面倒なことになりそうだし。文也も迷惑でしょ』

『カレシなんだからそのくらいいいんじゃない?』

『……いいの』


 佳奈恵は文也にキスして、話題を終わらせた。


『こうするだけで、十分だから』




 五月に入ったあたりで、佳奈恵の様子が変わった。

 ふとした瞬間に深く考え込んでいるようになった。文也が理由を尋ねても「何でもない」の一点張りであり、実際に何か落ち込んでいるとか、困っているようではなかったので、彼もそれ以上踏み込むことはなかった。

 そして七月、夏休みを目前としたある日、佳奈恵は文也にこう告げた。


『――ごめん、文也。しばらく距離を置きたい』




      ◇




 重ねた肌から体温が伝わる。

 文也も佳奈恵もいつしかじっとりと汗ばんでいた。普段なら不快に思うような感触を、今は二人とも厭う様子がなかった。


「……大丈夫か」

「ん……結構時間かけたし、覚悟してたから。思ってたよりへーき」

「そうか」

「まぁもうちょっとこのままでいてくれると助かる」

「了解」


 文也は佳奈恵の顔をうかがった。今、誰よりも近くにいる彼女は、少し眉間にしわを寄せて息を整えている。

 奇妙な感情を文也は覚えた。名前が付けられない。懐かしい、うれしい、寂しい、悔い……様々な思いを混ぜ合わせ、どの特徴も併せ持ちつつどれとも違う。愛しいというには複雑すぎる。

 胸に渦巻くそんな感情を抱えながら、こうして肌を合わせ、つながるほどに昂っている自分自身が文也には不思議だった。


「……またそんな顔してる」


 文也の頬に佳奈恵の手が添えられる。


「何を考えることがあるの、こんなときに」

「……昔のことを思い出していた」

「走馬灯?」

「人生の総決算するような歳じゃない」

「そうだよね。いま人生のピークだもんね」

「ここから下り坂になるなら佳奈恵は疫病神ってことになるが」

「座敷童なんだよ。そばにいる間は幸運なの」

「残念。別れてからも特に不幸じゃなかった」

「あー……思い出してたって中学の頃?」


 佳奈恵は苦笑いを見せた。


「本当に、こんなときに考えること?」

「……別に、そんなんじゃない。昔は、佳奈恵とこういうことになるなんて考えもしなかった」

「そう?」


 文也の頬に添えられた手がゆっくりと動き、あごをなぞる。


「わたしはいつかこうなるって思ってたけど、昔」

「いつだよ。中学なんて一瞬で別れたろ」

「小学生のときもだよ。付き合ってたんだから」

「小学生でそんなこと考える?」

「あの頃の文也は知識あったかも怪しいよね」

「うるさいな……」

「ね、動いていいよ。ゆっくりなら」


 首に回った手が促すようにさすってくる。


「痛かったら言えよ」


 文也は緩やかに腰を動かし始めた。


「痛い」

「おい」

「我慢できる程度だから、そのままして」

「……」

「んんっ……なんか、やっぱりすごいね。中で動かれるって、変な感覚……」

「うん……」

「文也は痛くないんでしょ? ずるいよね」

「そう言われてもな……」


 二人は会話を交わしながら、相手を見つめる。目をそらさない。


「……あー。なんか、うん。慣れてきたかも」

「うん……」

「まだ痛いといえば痛いけど、なんだろ。これ、気持ちいいのかな……」

「俺に聞かれてもわからん……」

「わかってよ。あなたを感じてるんだから」

「……」

「あ……今のとこ。うん、そう、そこ……そこがいい」


 文也の意識が熱を持ち、ぼやけていく。

 佳奈恵のことはわかる。今、目の前でほうっと息を吐き出し、ベッドについた彼の腕に絡めるように手でなぞる彼女を、文也は五感全てで感じている。

 それ以外がかすんでいく。どこか遠くに行ってしまう。

 なぜこうなったのか。

 なぜ今彼女がここにいるのか。

 なぜこんなにも胸が張り裂けそうな思いで満ちているのか。

 文也にはわからない。熱に浮かされて、彼女をただ感じたくて、求められるままに甘い声が上がるところを探して……ゆっくりと自分が溶けていき、彼女と本当に一つになるような心地に浸っていた。


「……そんな顔も、するんだ」

「ああ……」

「んっ……もしかして、もうそろそろ?」

「……」

「いいよ……見せて。文也の、知らない顔、もっと……」


 慈しみに満ちた彼女の顔、声色。

 言葉が消え去る。

 吐息と、水音、シーツの衣擦れ、エアコンのうなり声。そして交じり合った体温と匂いだけがあった。

 やがて、二人は同時に合わせていた動きを止めた。

 数秒、ただつながっていた。

 ひときわ大きな吐息とともに、また二人は言葉を取り戻す。


「……お疲れ様」

「うん……ありがとう」

「頼んだのはわたしだけど」

「ありがとうって思ったんだから、いいだろ」


 荒い息を上げながら、二人は少し身体を離し、後始末を始めた。

 まだ熱で十全に機能しない頭を働かせながら、文也はぼんやりと「終わってしまった」と思った。


「……あ、もう夕方」


 声につられ目をやると、窓の外、空は茜色に染まっていた。

 外から遊びから帰ってきた子どもたちの別れの声が聞こえる。ばいばい、じゃあね、また明日。自分も何度繰り返したかわからない言葉。再会とさえ思わない再会を信じて疑わなかったあの頃。

 いつかどうやっても訪れる終わりを、文也はもう知ってしまった。


「佳奈恵……」


 呼吸を整え、文也は佳奈恵に振り向いた。


「うん。次はどんな風にやる?」


 そこに、新しいコンドームの封を開けている佳奈恵の姿があった。ベッドの上、汗をふいたタオルを肩にかけ、あぐらをかいていた。


「……」

「見つめ合いながらって、悪くはなかったんだけどさ。正直はずいよね。いい機会だしいろいろ試そうよ。後ろからとか、定番なんでしょ」

「……」

「何その目? まさかもっとヤバいことやらせようとしてる? あんまり痛いのとか跡が残るのはダメだよ」

「……じゃなくて」

「あー……もしかして、もう無理? 男の人って一回で終わる人も多いらしいね。早くいってよ。開けちゃったじゃん、もったいない」


 文也は額に手を当てた。佳奈恵はこういうやつだった。久しぶりに思い知った。

 顔を上げて、彼女に近づく。


「できないとは言ってない」

「そう? そりゃそうか。わたしとしてるんだもんね」

「その自信過剰、いつからなんだろうな」

「自信じゃなくて自覚だよ。求められてる人のさ」

「はいはい。帰りは……九時だっけ」

「そ。後始末とか考えても、まあ、二時間くらいか」


 佳奈恵は笑った。いつだったかこの部屋で二人、夢中になってゲームをしていたあの頃のような顔だった。


「できるだけ楽しもうよ」




 そこからのことを、文也はあまり覚えていない。

 断片的な記憶はある。思い出そうとすれば映像的な情景が浮かび、彼女の声、表情、感触が鮮やかに浮かび上がる。ただし、それらがつながることはない。連続した、一貫性のある思い出として成り立たない。行為を再開してすぐに文也は思考を放棄し、ただ彼女を感じるだけになったからだろう。

 彼と彼女は求め合い、与え合い、分かち合った。

 二人が本当にただの二人でいられた頃のように。

 文也が完全に覚えているのは一つだけ。不覚として記憶に刻まれてしまったこと。

 刻限が迫る中、また一つになり、その果てに達しようというときに、


「かな、ちゃんっ……」


 幼いあの頃の呼び名で、彼女を呼んでしまった。

 その瞬間、目を見開いた佳奈恵の表情を文也は忘れることができない。

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