選択肢A:『呪いを断ち、全てを終わらせる』
落ち着いて、息を吐いた。
大丈夫―――ちょっとだけ、みんなの所に逝くだけだ。
子を、孫を、曾孫を、子孫たちの成長を見届けた。
自分で目にする事はないだろうと思っていた、イライナの民主化も見届けた。
祖国が平和になっていくのを見届けた。
かつての俺たちの冒険が、あの戦いの全てが、伝説へと姿を変えていくさまを見届けた。
だからもう―――十分なのだ。
為すべきを為した。
遺すべきを遺した。
既に俺という存在は空っぽなのだ。中には何も残っちゃあいない。
もう、いいのだろう。
この平和な国に、新たなステージへと進んだイライナという祖国に、旧き時代の大英雄という存在は必要ない。
総ての伝説は神話となって、限りなく星空に近い場所で眠るのだ。
あるいは星になって、人の仔の営みを見守るのだ。
そうやって、人類の歴史は紡がれていく。
先人たちの献身が地層のように積み重なって、より良い未来のための糧となっていくのだ。
そのお鉢が、やっと……やっと、やっと、俺のところにも回ってきた。
だから先立った皆も、許してくれるだろう。
随分と遅くなってしまったが……。
「みんな……今、俺も行くよ」
頬を、一筋の熱い雫が伝った。
煉獄の鉄杭を握る手の震えは、もう止まっていた。
一際強い風が吹き、胸がざわめいた。
城を飛び出してバイクに跨り、霊園へと急いだ。
なぜなのかは、分からない。
俺たち戦闘人形には、そしてAIには持ち得ぬ感覚。データベース上の記録では、人間はこの感覚を『虫の知らせ』だなどと形容するのだそうだ。
そしてそういう嫌な予感に限って的中するものである、とミカエルは……俺のオリジナルは記録している。
バイクを乗り捨てて霊園へと駆け込み、リガロフ家の墓標があるエリアへと足を踏み入れる。
ちょうどクラリスの墓石がある場所の目の前―――そこにうっすらと積もった灰の山を見て、思わず膝から崩れ落ちそうになった。脚部アクチュエータの動力がふらつき、意識が飛びそうになる。
シャーロットのメインフレームとして生まれ変わった俺の頭が、そういった人間しか持ち得ぬ感覚を克明に”記録”し学習しようと試みる。普段の俺だったらそんな無神経なAIの挙動に憤っていただろうが、しかし今はそれよりも大事な事がある。
積もった灰の山を、両手で優しく掬い取った。
さらりとした、粒度の細かい灰。
まだ温かいそれは―――間違いなく、ほんの数分前までは1人の大切な人間だったもの。
誰よりも優しくて、誰よりも大きな理想を追って、誰よりも努力して……誰よりも大きな試練を乗り越えた果てに、その理想を体現した1人の冒険者。
そんな男の複製として生まれた事が、こんなにも誇らしく思えた日はない。
きっと辛かったのだろう。
きっと寂しかったのだろう。
きっと怖かったのだろう。
つながりのある人間が先立って、自分という存在と世界との繋がりすら希薄になっていく―――それが怖くて、寂しくて、怖くて、臆病だった1人の英雄は死に救いを求めた。
そんな彼を責める権利など、俺には無い。
ただ―――せめて、逝く前に一言欲しかったな、とは思う。
でも―――それでも。
「―――そうか、ミカ」
強い風が吹き、ミカエルだった灰の山を浚っていった。
手のひらで救い上げたそれを強く握りしめる。
瞼を伝う熱い雫の感覚。
それを克明に記録しながら―――旅立った英雄の背中を見送るように、空を見上げた。
「やっと―――やっと、解放されたんだな」
夜空には他のどの星よりも眩い、北極星が瞬いていた。
改札口を抜けた先には、田舎のホームが広がっていた。
遠くから聴こえてくるセミの鳴き声。暑いけれど、それでもさわやかな風が駆け抜けてきては、線路の向こう側に広がる彼岸花たちを揺らしていく。
あれ、彼岸花って真夏に咲く花だっけ……違うんじゃね、と思ったその向こうには対岸が見えないほど大きな川が流れていて、全てを悟った。
ああ、そうか……ここは……もう。
《間もなく、1番線に列車が参ります。危険ですので黄色い線の内側までお下がりください》
放送に従うままに後ろに下がって、列車がやってくるのを待った。
しばらくして電車がやってきた。座席に座ったり、吊革を掴んで立っているのはきっと死者たちなのだろう。あらゆる世界、あらゆる国、あらゆる人種の使者たちが電車の中に詰め込まれては、あの世へと旅立っていく。
けれども俺が乗るべき列車はこれじゃあないんだろうな……何となくそう思い、ホームで立ち尽くす。
やがて使者を呑み込み終えた列車はドアを閉めて、駅のホームから遠ざかっていく。
大きな川の向こう側、空の彼方へ続く線路の彼方へと消えていく列車を見送って、視線を下へと向けた。
―――これで、良かったのかな。
遺してきた昆孫たちは悲しんでいないだろうか。
一応、遺言書はちゃんと遺してきたし、皆で平等に分け合えるだけの遺産も用意したつもりだ。いつ死んでもいいように万全の準備はしてきたのだが、みんな上手くやっているだろうか。
また列車がやってきて、ぞろぞろと改札口を潜ってきた死者たちを乗せては天国へと旅立ってゆく。
そうやって、列車を何本も見送った。
時計の針がぐるぐる回り、されど日は沈まない。
いったいどれだけの時間が経ったか―――これで何本目になるかもしれぬ列車の接近放送がホームに響くと、聞き覚えのある警笛の音が遠くから聴こえた。
なんだっけ、と懐かしい記憶を刺激されながらも視線を線路の向こうへと向け、息を呑む。
やってきたのは日本を走っているような電車でも、レトロな蒸気機関車でもない。
武骨でパワフルな外見の、アメリカ製の大型ディーゼル機関車だった。AC6000CW、装甲車みたいなディーゼル機関車の重連運転。機関車の前には武装した警戒車が、機関車の後方にはダブルデッカー仕様の客車と武装車両が連結されており、よく見ると運転席で誰かが手を振っている。
『ミカ姉ー!!』
『ルカ……?』
運転席で手を振っているのは、ルカだった。
王配となった後の姿でも、年老い腰の曲がった姿でもない。ルカ、という名前を聞いて俺が一番色濃く思い浮かべるあの頃の姿の彼が、顔いっぱいに笑顔を浮かべて大きく手を振っていたのだ。
彼だけではない。
機関車の前方のドアを開け、中から出てきたヒグマみたいな男―――パヴェルも大きく手を振って『ずいぶん遅せえぞコノヤロー!!』と叫んでいる。
みんな、あの時のままだった。
一緒に旅をしていた、あの頃のままだった。
《間もなく1番線に臨時の列車が到着します。ミカエル様以外の方はご乗車になれません。ご注意ください》
やがて列車がホームでぴたりと止まり、客車のドアが開け放たれる。
『ミカ!』
『ミカエルさん!』
『ダンチョさん!』
『ミカ!』
『ミカ姉!!』
『やあやあ、やっとキミも来たのかい!』
『待ちくたびれましたよ、ミカ』
『はっはっは、久しいなあミカエル殿!』
みんな、あの時の姿だった。
もう二度と戻る事が出来ない、人生で一番楽しかったあの頃の。
ふわり、と視界の端で、見覚えのあるメイド服とロングスカートが踊る。
『―――お待ちしていました、ご主人様』
『クラリス―――』
あの時と―――昔と全く変わらない姿の彼女。
その瞬間、胸の奥底で200年近く溜め込み続けていた感情が、衝動が、ありとあらゆる激流が迸った。理性というダムをいとも容易く決壊させたそれは俺の身体を乗っ取ったかのように振舞い、気が付けばクラリスの胸にまるで子供のように飛び込んでいた。
目から溢れる涙と、ごめん、という贖罪の言葉。
『ごめん……ごめんっ、俺……おれ……っ! 耐えられなかった! 皆のいない世界に! 独りでいるのが辛くて、悲しくて、寂しくて……っ! だから俺、おれ……っ!』
『ええ―――良いのです』
そっと背中に手を回し、優しく抱きしめてくれる。
良いのです―――耳元で囁くクラリスの言葉が、心を縛っていた罪悪感を全て溶かしてくれた。
『お辛かったでしょう……貴方は本当に、本当に頑張りましたわ』
彼女の言葉が、俺を救ってくれた。
時間を忘れて、クラリスの胸の中で泣き続ける。
総ての感情を吐き出し終えるまで―――クラリスは、仲間たちは皆、黙って見守ってくれた。
駅のホームが遥か彼方へと去っていく。
客車のタラップを上がって天井のハッチを開け、銃座に顔を出した。
既に列車は彼岸花の花畑を通り過ぎ、川に架けられた大きな橋の上を通過しているところだった。やがて線路が消失し、列車が空へと上がっていく。
青空へ―――死者たちの眠る、星空へ。
誰もが、安らかに眠れる場所へ。
『さあ、参りましょうかご主人様』
『ああ』
隣にやってきたクラリスと寄り添い、繋いだ手の指を絡める。
もう二度と、何人たりとも俺たちを分かつ事が無いように。
『―――みんなとなら、どこまでも』
AルートED『星の海へ』
『ミリオタが異世界転生したら、没落貴族の庶子だった件』 完
Q:ミカエル君は救われたでしょうか?




