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「……う、嘘だ!!」
「うおぉ!?」
衝き動かされるようにして片足を踏み出したハヴェルはしかし、大混乱に陥ったミーシャの渾身のタックルによって床へ沈んだ。これに絶句した隊員たちが急いで同僚の奇行を食い止めにかかるが、ミーシャは大好きな隊長にしがみついたまま離れない。
「本当にあれがグレン坊や!? 嘘でしょ、隊長が話してたのってもっと可愛い男の子だったじゃん! 聞いた限り天使みたいな子だったじゃん! あれ完全にチンピラだよ!?」
「チンピラ!? グレンが!? ミーシャ待て、ちょっと退いてくれ! ちゃんと顔確かめてないから!」
「駄目! グレン坊やと話したいなら、あたしを弟子にするか倒してからにして‼」
「ミーシャ、愛が重い! 早く隊長から退け!」
散々喚き倒したミーシャは同僚たちから引き剥がされると同時に、親の仇でも見るかのような目でグレンを睨み付けた。殺気さえ交えた眼差しに、先程までの親しさはない。彼女はテーブルに置いたままだった自身の手袋を掴み取ると、案の定それをこちらに投げつけた。
「決闘よグレン坊や!! どっちが隊長の一番弟子か決めようじゃない!!」
食堂全体に木霊した決闘の申し込みに、隊員たちが一斉に頭を抱える。
一連の騒がしい光景をただ茫然と眺めていたグレンは、逡巡の末に手袋を拾い上げた。緩慢な動きで姿勢を戻す途中、ハヴェルの視線を感じたが応じることはなく。
「……わかった」
グレンが理不尽極まりない決闘を受けた直後、ハヴェル隊の者たちから必死に「受けなくていい」と止められたが、返事はついに変わらなかった。
ハヴェル隊のミーシャがフェルンバッハ家の護衛に決闘を申し込んだ。そんな噂は瞬く間に広がり、訓練場は面白いもの見たさにやってきた野次馬で埋まり、このクソ忙しいときに何をやっているのだと文官は怒り狂った。
ざわめく観衆を一瞥したグレンは、左肩から臙脂色のマントを外しては訓練場の隅に放り投げる。モニカから渡された衣服のうち、紛失するなよと笑顔で念を押されたのはこのマントだけだ。他はどうとでもなる。多分。
ミーシャの出した条件曰く、決闘に使用できる武器は一つ。当然ながら魔術の行使は可。命を奪うのではなく、どちらかが武器を手放せば負けが決まる。使い慣れた短剣の柄を何度か握り直しながら、グレンは訓練場の向かい側──ミーシャと彼女を説得する隊員たちを見た。
訓練場へ移動する間、彼女の同僚である青年から聞いたことと言えば、ミーシャがかれこれ八年ほどハヴェルの下で魔術を習っていたということ。ミーシャの両親が営む酒場にハヴェルが立ち寄って以来すっかり懐いてしまい、彼が帝国魔術師団に入団したと聞き付けてはすぐさま追いかけてきたのだと。
「ミーシャ! 隊長がグレンぼ……グレン殿のこと捜してたの知ってるだろ! 再会を邪魔してどうする!」
「うるさーい!! 弟子対決するのは昔から決めてたの! 邪魔してるのはあんたらよ!」
同僚たちを指差し猫のように威嚇するミーシャの声は、こちらにもはっきりと届いた。
師と慕う相手をどこまでも追いかけるミーシャと、憎み疲れて諦めた自分。
正直に言えば、弟子と呼ぶにふさわしいのは彼女の方だろう。グレンとて、ハヴェルと過ごした僅か数年間をミーシャに誇示するつもりなど毛頭ない。
では何故この決闘を受けたのか。理由は簡単だ。
──ハヴェルと言葉を交わす覚悟が、まだできていないから。
つまりは卑怯な時間稼ぎ。情けない、とグレンは苦々しく一人笑う。
食堂でハヴェルのひどく安心した顔を見たとき、ここにはない心臓が大きく脈打つのを感じた。ミーシャが突進してくれなければ、自らあの場を離れていたかもしれない。それほど、ハヴェルとの再会を恐れる自分がいることにも驚いた。
結局は後悔しているのだ。ハヴェルを引き留めなかったこと、待たなかったこと──そして信じなかったことを。
約束を先に破ったのは自分だと分かっていたからこそ、こうしてまたハヴェルと向き合う時間を先延ばしにしていた。昔と変わらぬ愚かさに辟易し、グレンが視線を落としたときだった。
「まぁまぁ、随分と賑やかですねぇ」
いつの間にか隣に立っていた銀髪の乙女を、グレンは二度見してしまった。
「お前いつからいた!?」
「私が差し上げたマントをポイ捨てした辺りからでしょうかね」
「捨ててねぇから叩くな」
不満げにグレンの背中をぺちぺち叩いていた雇い主──モニカはそこで呆れたように腕を組んで見せた。いつもとは違う、貴族然とした仕立ての良い服に身を包んだ彼女の左肩には、やはりグレンと同じ緑玉のブローチで留めたマントが被せられている。
「全くもう、私が目を離した途端に喧嘩だなんて。ハヴェルさんを巡っての修羅場とお聞きしましたけど?」
「痴情のもつれみたいに言うんじゃねぇ。……どっちが一番弟子か決めるだとよ」
ギラギラと闘志を燃やすミーシャを指差しながら告げれば、それを追った薔薇色の瞳がにこりと笑む。彼女の微笑を受けてか、にわかに観衆がどよめいたが。
「そうですか。まあ励みなさいな」
ぼそりと返ってきた答えは、想像した以上に冷え切っていた。ぎくりと頬を引き攣らせて隣を見れば、作り物のような綻びのない笑顔がそこにある。今度は何が気に食わなかったのかとグレンが言葉を詰まらせていると、やがてモニカの小さな溜息が空気を震わせた。
「また忘れていませんこと? グレン」
「あ?」
「今のあなたはモニカ・フェルンバッハの護衛です。魔術師ハヴェルの小さな弟子ではありません」
きっぱりと断言され、抱えきれないほどに溢れていたはずの煩累が霧散する。眼球が乾く寸前にグレンがまばたきをすれば、モニカの表情も一転してやわらかく変貌した。
「よろしくて?」
「……。つまりは負けた方がいいのか?」
「いいえ? 私の護衛が負けるなど許しません」
──ここに何者として立っているのか。それを忘れるな。
モニカは言外にそう伝えると、優雅な足取りで場外へ出て行く。彼女は近くに突っ立っていた兵士にグレンのマントを拾わせ、それを膝掛け代わりに観客席へと着いてしまった。
しばし放心して雇い主を見詰めていたグレンは、彼女に再び笑顔を向けられたことで我に返り、苦笑を浮かべる。
「さあグレン坊や! 始めるわよ、準備は良い!?」
そこへ、片手剣を手にしたミーシャが大股にやって来た。同僚からは未だ「やめろ!」「泥棒猫はお前の方だぞ!」と非難轟々だが、本人には何も聞こえていない様子である。
グレンは一度大きく息を吐き出すと、彼らしい不敵な笑みでミーシャを見据えた。
「その坊やっていうの止めろじゃじゃ馬。悪いが誰かと遊びで試合なんざしたことねぇんだ、うっかり殺しても文句言うなよ」
半分挑発、半分本気の言葉を投げ掛けてやると、ミーシャが驚いたように目を丸くする。そしてすぐさま意図を理解したのか、カチンとした笑みで強気に睨み返してきた。
「そうね、あんた坊やじゃなくてチンピラだわやっぱり。あたしのことより自分の心配した方がいいわよ」
「そりゃお互い様だ」
抜身の刃を軽く交差させた二人は、そのまま五歩後ろへ下がる。審判役になったハヴェル隊の青年は、位置についたグレンとミーシャを交互に見比べ、恐る恐る片手を挙げ──。
「は、始め!」




