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教会を飛び出して、初めて武器を手にしたのは奴隷商に捕まったときだった。見世物として客の前に出されて、野犬を相手にナイフを振り回したことをおぼろげに覚えている。その夜、自分を買い取った男の腹を同じナイフで切りつけて脱走したのだったか。
以降も似たようなことが繰り返された。優しい笑顔を浮かべた大人に騙され、逃げて、次第に外での生き方というものを覚えていった。そうしていよいよ師から教わった美しい魔術で人を傷付けたとき、少年は何の後ろめたさも感じなくなっていた。
そう、全ては生きるために足掻いた結果、得られた力──ではない。
自分が剣をそれなりに使えるのは、確実にブタ狂いの某殺人鬼から幾度も斬り掛かられたせいだ。絶対そうだと思う。
グレンは受け止めた刃と一緒に、見当違いだった感傷も吹っ飛ばしておいた。
「くっ……! ──光よ、大地を焼き払う天の焔よ!」
後ろへ跳躍したミーシャが手のひらを薄く切りつけ、すぐさま火の聖霊を召喚する。刹那、鮮血のごとき紅色を宿した光がグレンの視界で破裂した。もちろん単なる目くらましではない。皮膚を炙るような熱と火の粉が次々と逃げ場を潰していく。
これまで対峙したどの魔術師より、ミーシャは召喚の速度や術の精度が格別に優れていた。自らハヴェルに師事していただけのことはあると、グレンは襲い来る火の魔術を躱しつつ右手の金環を回した。
「光よ、まどろみを誘う憩いの水よ、天翔ける薫風よ!」
水と風の聖霊を呼びつけ、ミーシャの魔術に的確にぶつける。今にも爆発しそうだった赤い光は、真逆の属性である水によって相殺され勢いよく蒸発し、白い気体となって訓練場を満たした。そうしてすかさず風の魔術を被せてやれば、熱風がミーシャ目掛けて吹き荒れる。
一時的に標的の視界と動きを奪ったグレンは、微かに捉えた人影へ容赦なく短剣を薙いだ。咄嗟に反応したミーシャが片手剣を振り上げ、甲高い剣戟の音が響く。
「……隊長はもっと紳士的に戦うわよ、弟子とは思えないわね!」
「そうか」
ミーシャの憎まれ口に、くっと喉を鳴らして笑ってしまった。自分の戦い方はハヴェルと違うらしい。それを聞いて落胆するどころか、安堵を覚えたことなどミーシャは知らないだろう。
背後に聖霊の気配を察知したグレンは、鍔迫り合いの状態を維持していた刃を故意に滑らせ、するりとミーシャの背後へと回り込んだ。
「俺の記憶が確かなら、酒場の女に鼻の下伸ばしてたぞ。そのヒゲ紳士」
「き、記憶違いに決まってるでしょ!!」
ぎゃあと振り向きざまに絶叫したミーシャが、密かに召喚していた水の聖霊で氷柱を創り上げ、鋭い回転を加えながら飛ばす。軽い揺さぶり程度で集中が切れることはないのか、やはり正確にグレンの右手──短剣を狙ってきた。
ミーシャを視界の中央に据えたままグレンが回避に走れば、氷柱は彼を追尾する形で石畳に衝突しては砕け散る。まるで一つの芸術品を見ているかのような華麗な軌道、その全てを躱し切った先に待ち受ける殺気に、グレンは正面から短剣を振りかぶった。
「光よ、大地を焼き払う天の焔よ!!」
二人が同時に火の聖霊を召喚する。閃光と共に現れた紅炎が、双方の刃に蛇の如く絡みつき衝突した。互いの炎が盾となり、叩きつけられた刃は触れることなく浮いたまま、凄まじい反発をもってして二人の腕に跳ね返る。
グレンは自分の短剣が飛ばされる前にと、一か八か力づくで両腕を振り抜いた。ミーシャが呻き声を漏らした直後、炎の盾ごと彼女の体が後ろへ弾かれる。後は生じた大きな隙を叩くのみと思ったのも束の間、グレンは今しがた破ったミーシャの盾が四方に飛散したことに気付いた。
「げっ」
周囲へ視線を巡らせれば、やはり大量の火の粉が観衆の上に降り注ごうとしていた。しかしグレンにとって、野次馬が火傷を負おうがちょっと髪が燃えようが心底どうでもいい。目下最大の問題は──。
「おい、離れろ!」
「え?」
熱そうに身を縮めているモニカの頭上、直撃するであろう大きめの火の粉を見たグレンは、決闘の最中であることも忘れて駆け出した。
「光よ、まどろみを誘う憩いの水よ!」
召喚した水の聖霊が青い閃光と化し、グレンの指示に合わせて真っ直ぐに飛翔する。それは見事に火の粉と衝突し、モニカのすぐ近くで泡のように弾けてしまった。
「まあ」
無傷だったモニカが遅れて頭上を確認する傍ら、思い切り火の粉を被った兵士たちが騒々しく床に転がる。彼らの横を素通りしたグレンは、呆けている雇い主の顔をぐいと自分の方へ向けさせた。顰め面のまま火傷がないか確かめていると、ふとモニカが呑気な声をかけてくる。
「どこも熱くありませんよ。ふふ、グレンったら私のことが心配で慌ててしまったのですか? さっきは私もああ言いましたけれど、何もそこまで忠誠を見せなくともグレンの気持ちはしっかり伝わって」
「はあ? 何を気色悪い話して」
「短剣」
「あ」
はたと後ろを振り返ってみれば、そこにはグレンが無意識のうちに手放した短剣が、訓練場の床に寂しく横たわっていた。
結果だけで言うと、決闘はミーシャの勝利で終わった。
グレンが場内で短剣を手放したことに加え、平気で試合放棄してモニカの元へ向かってしまったことなどから、事態が落ち着いた頃を見計らい審判が勝敗を決した──のだが。
「……納得いかないからもう一回……うぶっ」
「ミーシャ!」
ハヴェル隊の皆々から口を塞がれ押さえ込まれ、勝者であるはずのミーシャは不満しかない様子で不貞腐れていた。それもそうだろう。彼女はグレンが試合放棄するまで、誰が見ても劣勢であった。火の聖霊同士をぶつけあって打ち負けた瞬間の、悔しげな顔はグレンもしっかり覚えている。
だからこそ、彼がとどめを刺さずに自ら失格行為に走ったのが気に食わないのだ。しかしながらミーシャ自身、先ほど自分の魔術が周囲に危険を及ぼした自覚もあるわけで、ここで駄々をこねるのも何だか──そんな葛藤がありありと見て取れた。
そしてミーシャが最も不満なのは、決闘の行く末を見守ってくれるとばかり思っていたハヴェルが、今この場にいないことである。
「ていうか隊長はぁ!? どこ行ったの!?」
「ああ、途中までいたんだけど……さっき騎士団の方に呼ばれて」
「すぐ戻るって言ってたよ」
「騎士団!? またあの人ね!? 隊長の浮気者ぉ!!」
「グレン殿、申し訳ない。せっかく隊長と話す時間を潰してしまって……」
ハヴェル隊の青年から大変申し訳なさそうに謝罪されたグレンは、自ら望んでのことだったので当然かぶりを振った。寧ろ体を動かしたことで、うだうだと思い悩んだせいで重たくなっていた頭もすっきりしたぐらいだ。
ルールを設けた上での手合わせなど初めてだったが、こういうのも存外悪くない。ここの騎士や魔術師たちのように毎日したいかと問われれば、答えは否だが。
「グレン」
静かな呼び声に振り向けば、上機嫌過ぎる笑顔に迎えられた。負けは許さないと言ったその口で、ご機嫌な雇い主は労いの言葉を紡ぐ。
「よく頑張りましたね、護衛としては百点満点でしたよ」
「うるせぇな成り行きだろうが」
「あらあら照れちゃって。ポイ捨てについては不問にして差し上げますね」
「だから捨ててない──待て何してんだ」
おもむろにモニカが臙脂色のマントを左肩に被せてきたかと思えば、彼女はそのままベルトを胴体に回してくる。
「ほら腕を上げてくださいな。あら? これどこに通せばいいんですか?」
「放せ、自分でやる」
「嫌です」
「嫌です!? お前がやると逆に時間かかるだろうが、自分ので遊べ!」
「相変わらず失礼ですね、遊んでいません。はい、ばんざーい!」
何としてもマントを自分で着せたい様子の雇い主と、それを引き剥がそうとする口の悪い護衛。皇宮ではまず見ない光景に、ハヴェル隊どころか訓練場に残っていた野次馬ですら唖然としていることなど、二人は露知らず。
結局グレンがほとんど一人でマントを身に着け、モニカがちょっと不満げに唇を尖らせたところで、訓練場の出入口から早足に誰かが入ってきた。
「ああすまん、終わっちまったか!」
「隊長!」
ミーシャの責めるような声が響く。グレンも一拍置きつつ振り返ってみれば、少しばかり息を切らせたハヴェルがこちらに歩み寄ってきた。
ふと視線が合い、師の眼差しに感慨深いものが宿るのを見たグレンは、いたたまれない気分で眉を顰めてしまう。今度こそ言葉を交わさなければならないのかと、またもや怯みそうになった心を引っ叩くと、グレンは袖口をそっと掴まれたことに気付いた。
「……?」
控えめな力だった。グレンの意識を引こうとして、寸前でやめたかのような。
微かに震えた手はどうにも、モニカの意思とは関係なしに強張っているようにも見えた。
「おい、どうし──」
「グレン」
次第に近付くハヴェルの姿を凝視したまま、モニカが呟く。
「……あれが、ハヴェルさんなのですか?」
こちらを見上げた薔薇色の瞳は、問いへの否定を求めていた。




