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“創生の地図”の件で、皇宮はここしばらく非常に慌ただしかった。各国へ文書を届ける使節団と、その護衛の手配、それから近日中に会合へやって来る要人たちを迎える準備と、猫の手も借りたいとは正しく今の皇宮を指していたことだろう。
そんな中で、帝国魔術師団──帝国騎士団と比べると規模は小さいものの、非常に優秀な魔術師たちによって構成された集団も、否応なしに使節団の護衛に駆り出されることとなった。その中隊を率いるのが、グレンの師ハヴェルだったというわけだ。
当初の予定では帝都に到着した時点で、クラウスは師弟を引き合わせるつもりだったという。しかし重大な書簡を持つ使節団の護衛を任せられる人員が限られていたおかげで、敢え無くハヴェルを帝都から送り出すことに決まってしまい──今日ようやく、といった次第だった。
「おー、お疲れさん! 無事に帰ったみたいだな」
「ああ、足が棒みたいだ……」
「聖遺物の話、聞いたか? フェルンバッハ家のお嬢様が来てるって!」
「お前そっちのほうが気になってるんじゃないか?」
主に騎士団や魔術師団、それから使用人全般が使うという食堂の前は、多くの人間でにぎわっていた。廊下に並ぶ数え切れないほどの扉は全て開け放たれており、内部の混然とした様子がよく分かる。街中にある人気の酒場でも、これほどまでに繁盛する店はないだろう。
グレンはすぐそばを通り過ぎていく兵士らの話を聞き流しながら、廊下の片隅で深い溜息をついてしまう。クラウスに言われるがまま食堂まで来てみたが、如何せん気が乗らない。さっさと中に入って師を探せばいいものを、いざその時を迎えると不思議と彼の足は動かなかった。
「……ハヴェル隊」
喧騒の中、クラウスが告げた言葉を反芻する。
数年前に魔術師団長にスカウトされたというハヴェルは今、大尉として中隊を率いる身だ。そこに集められるのは傭兵が主体で、貴族出身の若者で構成された他の隊からは少々距離を置かれているようだが、実力は隊長隊員共に折り紙付き。
その話を聞いてハヴェルらしいと思う反面、やはり昔とは何もかもが変わったのだと、グレンは改めて実感した。
酒場で受けた依頼を適当にこなし、幼い少年を連れて気儘な旅をしていたあの頃とは違う。新しい環境と部下に囲まれ、帝国の軍人として生きている彼を──今さら師と呼んでも良いのだろうか。
『──ハヴェルが捜している弟子とは君のことか?』
グレンは不意によぎった声に眉を顰め、うだうだと煩わしい思考を繰り返す頭を掻いた。
「きゃっ、ちょっと、こんなところで立ち止まらないでよ」
そのとき、背中に誰かが軽くぶつかった。グレンが険しい表情のまま振り返ってみれば、気の強そうな目をした女がこちらを見上げている。それほど長くない亜麻色の癖毛を後頭部でしばった彼女は、そのまま食堂の扉をくぐろうとして、はたとグレンの姿を二度見した。
「うわ、もしかしてあんたが噂の伯爵令嬢の騎士? 想像してたのと違う!」
「は?」
「何だぁ、なんていうか、あー、チンピラじゃん! 親近感湧くわねあんたたち」
「多方面に失礼だぞミーシャ! すいやせん」
ミーシャと呼ばれた女の肩を小突いたのは、彼女と同じ制服を着た男だった。彼が申し訳なさそうに謝る後方、やはり似たような服装をした者が数人ほどそこにいた。
彼ら自身はともかく、気になるのは先程まで普通に談笑していた兵士たちが、何故だかこの集団を避けるようにして食堂へ入っていくこと。時折ミーシャたちに向けられる目には、ほんの少しだけ侮蔑的な色が混ざっていた。
一連の様子を見たグレンは、まさかと思い目の前のミーシャに視線を戻す。彼女はそれを待っていたのか、にっこりと快活な笑みを浮かべて片手を差し出した。
「あたしはミーシャ。ハヴェル隊所属の魔術師だよ。よろしくね」
▽▽▽
「──だってさぁ、由緒あるフェルンバッハ家のモニカお嬢様だよ? もっと人間味のない完璧イケメンを侍らせてるのかと思ってたのよ。ところがどっこい見てみなさい、この死んだ魚みたいな顔。え、ちょっと聞いてる? 意識飛んでない?」
「ミーシャがうるさく構うからだぞ!」
何がどうしてこうなるのか。
ハヴェル隊に所属する面々から成り行きで昼食に誘われ、半ば強引に食堂の一席に着いたグレンは、ミーシャの言う通り虚空を見詰めたまま意識を他所に飛ばしていた。
その場限りの人間に対してはそれなりに愛想よく接することが出来ると自負していたが、今のグレンにそのような余裕はない。全くない。食堂の外からハヴェルの姿を確かめて、早々に引き返そうかなどと思っていた矢先──もう一度言うが何故こうなる。
このままミーシャたちと共にいたら、否が応でもハヴェルと顔を合わせることになりそうだった。どうしたものかとグレンが眉間を押さえる傍ら、見兼ねた他の魔術師たちがミーシャのお喋りな口を閉ざしにかかる。
「ほらほら、騎士さん困ってるじゃないか。飯も冷めるし早く食べな」
「午後は隊長と手合わせだろ? 任務終わりによくやるな」
「なーに言ってんのよ! 休暇前にこそ思いきり体を動かしとかないと! ただでさえ歩きっぱなしで疲れてるってのに」
「……疲れてるなら休んだ方がいいんじゃ……!?」
いまいち噛み合わない会話をしながら、ミーシャは大きめに切り分けたステーキに齧り付く。この女はどうやら他の隊員に比べて気力に満ち満ちているようだ。帝都からベラスケス王国までを詰めに詰めた日程で往復したにも関わらず、帰還するや否や訓練がしたいなど正気の沙汰ではない。
ミーシャの超人ぶりはさておき、グレンが気になるのはやはり誰かが発した「隊長」という単語のほうだった。柄にもなく緊張しているのか、甘辛いソースが絡んでいるはずの鶏肉は全く味がしない。
「隊長も優しいなぁ、僕が隊長だったら絶対断ってるよ」
「あんたと隊長を一緒にしないでくれる? あたしはね、早く一人前になってグレン坊やに勝ちたいのよ!」
「ゴフ、げぇほッ!!」
「どうしたの騎士さん、喉詰まった?」
今しがたとんでもない発言をかましたミーシャが、いきなり噎せたグレンの背を気遣うように摩る。何で名前が普通に知られているんだ、それより誰が坊やだ誰が、と突っ込みたい気持ちが爆発して咳き込むしかなかったのだが、彼らはグレンの心境など知らぬまま言葉を交わしていく。
「ミーシャ、いい加減グレン坊やのことは忘れろって。隊長もやりづらそうだったろ」
「もう隊長の前では言ってないけど! でもでも、グレン坊やよりあたしの方が隊長と過ごした時間長いじゃんか、そろそろ弟子として認めてくれても良くない!?」
「だってグレン坊やは隊長のお子さんみたいなもんで……ミーシャは部下だしなぁ」
「ううう! グレン坊やが見付かったらぜーったい決闘申し込んでやるんだから! 弟子対決よ!」
「ミーシャはグレン坊やみたいな弟子じゃないけどねぇ」
坊や坊や言うな。一人一回ずつ言うな。グレンは困惑と多大なる羞恥に胸を摩りながら、早急にこの場から離れることを決意する。血の気の多いミーシャに素性がバレたら最後、本人が堂々宣言しているように決闘を申し込まれてしまう。それはあまりにも面倒が過ぎる。
まさかこれほどまでに自分の存在が知られているとは露にも思っていなかったグレンは、食事もそこそこに席を立とうとしたのだが。
「ちょっと待ってどこ行くの騎士さん!」
「ぐえっ」
彼の動きを目敏く見ていたミーシャが思い切り腕を引き戻した。
「ねぇ騎士さん、レアード王国から来たんだっけ? グレン坊やのこと知らない? あ、もう坊やって年齢じゃないと思うんだけどさ、何だっけ、魔術が使えて金髪で緑色の目でさ…………」
「…………」
ハヴェル隊に痛いほどの沈黙が落ちる。
皆が皆、グレン坊やの特徴を思い返し、挙動不審なチンピラと照らし合わせている最中なのだろう。彼らがにわかに目を瞠り、動揺たっぷりに顔を見合わせる中、ミーシャもぱくぱくと口を動かしながらグレンを指差す。
「ま、まさか」
「──グレン……?」
食堂の喧騒がふと途切れた気がした。
ミーシャたちの視線を追う形で、グレンも錆びついた動きながら声の主を振り返る。
初めに見えたのは、幼い頃は巨大に思えた足。そして次に捉えたのは、夜の草原を導くように引いてくれた硬い手のひら。相変わらず分厚い胸板を辿り、ようやくその髭面を視界に映す頃、彼も同じようにグレンの──弟子の姿を確かめたようだった。




