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10 : 今日も、明日も。1





 シュウがエヌ・ヴェムト国の魔術師団に在籍していたのは、実質は数年だという。師であるアリマ・アマゼンテが魔術師団長であったことから、遠からず近からずという距離に昔からあって、気づいたら入団させられていたらしい。


「師団からの依頼が多くなったときに、在籍していることに気づいてね。そこまで気づかなかった僕も僕だけれど」

「ふつうは入団式とか、そのための試験とか、あったと思うけど」

「僕の場合は師が先代魔術師団長だったから、それだけで入団できたらしいよ。僕は知らなかったけれど」

「なんていうか……シュウの意志は無視?」

「ひどいよね。まあ、おかげで自由に薬草学を学べたのだろうけれど」


 魔術師団を辞めたのは、ユサが帰ってきたあの町に戻ってから、少し経ってからのことだという。といっても、実際はまだ師団に籍が残っているシュウは、辞めたと、シュウ自身が思っていただけに過ぎなかった。


「次期魔術師団長っていうのは……」

「ああ、それね、僕が魔術で薬を作れるからというだけのことだよ。そういう併用術は、魔術っていう面倒なものだけに、確立されてないからね。それができるというだけで、候補に挙がっただけ。能力的にはイチヒトのほうが上だし、僕には師団をまとめ上げるだけの気概もない」


 世界は魔術より、法術のほうが手広く散らばっている。魔力を持つ者より、法力を持った人が多いというのは、法力具で生活が補われていることを考えればわかることだ。ゆえに魔力を持つ者は貴重で、さらに確立されていないことができるというシュウは、エヌ・ヴェムトでは手放し難い研究者なのだろう。本人は魔術に対する関心は薄いが、周囲の反応は違ったのだ。

 今目の前にいるシュウは、やはりとんでもない人だった。

 けれども。


「シュウらしいな」

「え、なにが?」

「そんな話をわたしにしても、シュウは、僕は薬師だよ、って言うでしょう」

「……今まさに言おうと思ってた。ユサに、なにか言われたら」

「わたしがなんて言うと思ったの」

「魔術師だったんじゃないの、とか」

「あー……そうも思ったけど、シュウは、薬師だから」


 シュウは、周りから言わせれば、天才級のすごい人なのだろう。だが、ユサが見てきたシュウは、頼りなくてお人好しな薬師のシュウであって、魔術には欠片も関心がないと言う。己れのその過去を複雑そうな顔で語った時点で、望んで魔術を覚えたわけではなさそうだということくらい、ユサにもわかった。もちろん、宝の持ち腐れだ、贅沢者、と罵りたい気持ちもなくはないが、言ったところでシュウには効力がない。意味のないことをしても無駄だ。

 シュウは、薬師を志して、薬師になった。それは夢や憧れだった。シュウのその気持ちを、誰かが罵倒し侮辱することなど、許されない。

 だいたいにして、シュウは魔術師を志さなかったことを、後悔していない。志したものがなかったユサに、シュウを詰れるわけがなかった。


「……ユサ」

「ん?」

「ありがとう」


 急なお礼に、とくに言われるようなことはしていないが、と思いながらシュウを見上げると、とても嬉しそうに微笑んだシュウがいた。


「僕を薬師だと肯定してくれたのは、ユサが初めてだ。初めて言われたよ。嬉しい。ありがとう」

「……礼を言われることのほどでもないけど」

「嬉しいんだ。うん、僕は薬師だよ」


 ふふふ、と本当に嬉しそうに笑ったシュウは、気分をよくしたらしく、隣を歩いていたユサの手を取ると、旅行の続きでもするかのように握ってユサを引っ張り始めた。


「ちょ、シュウ」

「嬉しい。嬉しい。ユサが僕を認めてくれた。ユサが僕を見てくれた」


 繰り返し「嬉しい」と言うシュウは、よほど周りから責め立てられたと見える。おまえは魔術師だ、魔術師になれと、そればかり言われてきたのだろう。そうして気づけば「次期魔術師団長」に祀り上げられ、拒絶し続けている今もこうして追いかけられているから、ほとほと身の置き場がなかったのかもしれない。


「ユサ、ユサ、僕はね、魔術に興味はないけれど、便利なものだとは思っている。薬学に魔術を取り入れたのも、持っているものは利用したほうがいいと思ったから。けれどそれでも、僕にとって魔術は薬学に付加しただけの価値に過ぎない。僕は魔術が使えなくても、この道に進んでいたからね」


 よく喋るシュウは、今にも踊り出しそうだ。こうまで喜ばれると、ユサもなんだかその気になってきて、嬉しくなってしまう。


「わたしも、薬草学を学んでみようかな。シュウの手伝いをやってみて、ちょっと興味が湧いた」

「そう? なら僕が手取り足取り教えてあげる」

「シュウ、教え方下手じゃない」

「そうかな? でもユサなら、僕の表現を理解してくれるよね」


 帰ったら勉強を始めよう、と言うシュウに、ユサはそれもいいかもしれないと、今の無職の状態を考えつつ思う。もちろん片手間に覚えるものだから、職業にすることはできない。けれども、関連した仕事なら、シュウのような資格は必要にならないだろう。そういう方面で、就職を考え直せばいい。


「……うん。わたし、こっち系の仕事、探してみる。難しいかもしれないけれど、ないってことはないと思うから」

「僕の助手になればいいよ」

「そんな難しいことを……シュウみたいに仕官学舎で専門にしたわけじゃないんだから、無理だよ」

「そんなことはない。だってユサ、憶えがいいもの。既製品の調合はユサに任せられると、僕は自信を持って言えるよ」

「ありがとう。シュウに言われると、本気にしちゃうな」

「僕は本気だよ」

「その顔で冗談も言うから、あんまり信じられない」

「信じて欲しいなぁ」


 ユサは器用だからだいじょうぶだよ、とシュウは褒めてくれているけれども、さすがにそこは自信が持てないので、とにかく方面はそちらで考えることにしてシュウの言葉は聞き流しておいた。


「ところで、どこに向かってるの?」

「ん? んーと、この先にある古い邸」

「邸なんてあるの?」


 ふたり手を繋いで訪れた場所は、木々が生い茂る森の手前だった。この奥に用事があるという。


「貴族の道楽はよくわからない。不便だろうにねぇ」

「ここ、魔獣は?」

「出ないように結界は張ってある。その貴族も不便さと魔獣の徘徊から、邸を手放したんだろうな」

「無人の邸?」

「いや、少し前から、ある集団の棲家にされていたらしい。その集団も出て行ったんだけれど、置き土産があってね」

「置き土産……それをシュウが?」

「僕は魔術を併用した薬学を扱う薬師だからね」


 薬師であり魔術師でもあるシュウが赴く必要がある場所、となれば、その範囲は限られる。病を抱えた者が、とある集団とやらの置き土産なのだろう。


「……医師は?」

「とりあえず免許を持っている人を呼んだ」

「とりあえずって……」

「治癒術を扱える騎士だよ。治癒術を扱える者は、この国では医師免許を取得することを推奨していてね。免許を持っているだけで実際には使っていない、まあ頼りにはできない騎士だけれど、治癒術の扱いは確かだから」


 薬師のシュウのほかに、医師でもある騎士が来るらしい。しかし治癒術とは、珍しい。


「治癒術……わたし、使える人を見たことがないよ」

「法術でも魔術でもない、けれどもどちらとも言える力だからね。治癒法術と、治癒魔術。来てもらおうとしている騎士は、治癒魔術を使うんだ。ほんと、その腕しか確かだとは言えないんだけれど」

「変な言い方するね」

「ん? 彼のこと? んー……面識が少ないせいもあるけれど、僕とは相性が悪いだろうなぁと思う騎士だから、かな」


 人好きするような顔をしておいて、珍しくシュウが人嫌いしている。シュウにそう言わせるくらいなのだからよっぽどなのだろう。それなのに来てもらうということは、腕だけは確かに信用できるから、としか思いようがない。

 だいじょうぶだろうか、と少々不安に思いながら、ここで合流することになっているからと、待つこと数分ののちである。


「あなたがおれを呼ぶなんて珍しいねえ」


 いきなり背後から、そう声をかけられた。吃驚してユサはシュウにしがみつき、振り向いたシュウの背に隠れたが、ちらりと見えたその姿に、隠れたあと思わずこっそり顔を覗かせてしまった。


「久しぶりだね、シグレくん」


 シグレ、と呼ばれたその人物は、十人が十人、恐らく「綺麗……」と見惚れるだろう美貌の騎士だった。いや、ユサは「なんだこのきらきらした奴、眩しいんだけど」と身を引いたが、それでも綺麗だとは思った。


「ほんと久しぶり。珍しく呼んだうえに久しぶり。なんの心境の変化?」


 歳の頃は、ユサたちよりも二つか三つ、下だろう。若い美形騎士だ。人類とはここまで造形を美しくできるものなのだと、うっかり観察してしまう。


「だいたいは伝書で聞いただろう? 僕に応じてくれる優秀な治癒術師といったら、シグレくんくらいしか思いつかなくてね」

「あなたは相変わらずなのか」

「僕は変わりようがないよ。シグレくんがそうであるようにね」

「おれ以外にも、あなたがその権力を使えば、誰でも容易に呼び出せようものでしょうに」

「シグレくんは即効性があるから」

「ばかみたいに魔力だけはあって、すみませんね」

「そのとおり。さあ、その力を使わせてもらおうか。言っておくけれど、これは勅命だからね」

「……はいはい」


 面倒そうにため息をついたシグレという騎士は、命令に文句を言うことはなかったが、シュウと一緒に、という点だけは少々納得がいかない様子だった。


「せっかくの非番が、なんてこった……と、ん? 後ろになにくっつけてんだ?」


 ぎくりとする。シュウに隠れていたユサを、漸くシグレは視認したらしい。


「シグレくんは気にしなくていいよ。僕のだから」

「あなたが誰かをくっつけてるなんて……え、女?」

「シグレくん、見なくていいから」


 シュウの後ろを覗こうとしたシグレに、ユサは少し焦ってしまう。さり気なくシュウが腕を腰に回してきたので、すっぽりと抱きしめられたときはシグレの顔が見えなくなった。


「……あなたの、なに?」

「僕の奥さん」


 いやいや違うよ、と否定しようとしたが、ぎゅっと強く抱きしめられて口を塞がれてしまう。地味に息が苦しくて困った。


「いたの?」

「いたの」

「いつのまに」

「シグレくんは知らなくていいよ」

「お祝いくらいするよ。んでも……へえ? あの人嫌いの変人が、ねえ。紹介してよ」

「言っただろう。シグレくんは知らなくていい」

「ひどいな。おれたちは確かに相性最悪だけど、べつにおれはそこまであなたのことを嫌ってないのに」

「僕もシグレくんが嫌いではないよ。けれど、それとこれとは別。シグレくんは節操がないからね」

「向こうから寄ってくるものは仕方ない」


 にやにやとしているのだろうシグレに、シュウがユサの頭上でため息をつく。その様子と会話から、どうやらシグレという美形騎士は、異性に対してだらしのない生活を送っているだろうことが窺える。シュウはそれに対して、よい感情が持てないようだ。むろん、ユサもそういうことであればよい感情が持てない。

 シグレはある意味、シュウとは正反対に、宝であろう美貌を腐らせることなく有効活用しているのだろう。なるほど、シュウが苦手にするのもわかる。シュウの女性遍歴はともかく、シュウを複雑にさせるだけの遍歴を持つシグレには、シグレの美貌に騙される人たち以外、誰もが呆れることだろう。


「名前くらい教えてよ」

「必要ないだろう」

「ここにいるってことは、一緒に行くんだろ? なら、必要になってくる。呼ぶときに困るからな」

「シュウの奥さん、て呼べばいい」

「徹底するなぁ……まあいいか、そのうち知ることになるだろ」

「シグレくんは知らなくていい」


 シュウがなにを心配して突っ撥ねるのかわからないが、少なくとも顔がいいというだけで人に左右されることはないユサだ。シュウが好きだと思っている今であればなおさら、綺麗だな、というくらいにしか思わない。


「いいから、早く行くよ。アレクノ家の侍女さんが今は面倒を看てくれているけれど、それは外敵から、だからね。邸にいるあの子には、シグレくんの力が要る」

「それなんだけど、なんで助けるんだ? 自供とかもさせないらしいじゃないか」

「僕も詳しくは聞いてない。聞きたくもないからね。ただ僕は、助けて欲しい、と頼まれた。だから助けるだけだよ」

「あなたはそれでいいだろうが、おれは困る」

「命令だと言っただろう。シグレくんこそ、命令にただ従えばいいよ」

「言ってくれるねえ」

「シグレくんだから命令されたということ、くれぐれも憶えておくんだね」

「……やれやれ、面倒なことに巻き込まれたものだ」


 シュウがユサを隠し続けるので、問い詰めるのは諦めたらしいシグレは、これから向かう邸への不満を少々漏らし、気が進まない様子で森へと足を向けた。


「……ユサ」


 シグレと同じように森へと向かおうとしたところで漸く、ユサはシュウの腕から解放される。


「なに?」

「シグレくんのこと、信用したらダメだよ。彼のことで信じていい部分は、治癒術だけだからね」


 どういう注意の仕方だ、と思ったが、シュウがそう言うならそうすべきだ。とくに仲良くなりたいとも思わなかったので、ユサは素直に頷く。そうして、こっそりと問うた。


「嫌い?」

「……苦手」

「珍しい」

「あの顔だから、まあ、ああいう性格になっても仕方ないのだろうけれど……だから大切な人を無自覚で傷つけることもあると、思うとね」


 見ていられないんだよ、とシュウは困ったようにこぼした。


「いつか、気づくのだろうけれど……手遅れにならなければいいなと思って」


 人好きするシュウは、やはりシュウだ。嫌いというよりも、見ていて心配になるから、あまり見ていたくないのだろう。


「シュウは優しいね」

「僕が本当に優しかったら、センリさまやエンリさまの頼みを素直に聞き入れていると思うよ」

「あ、それもそうか。次期魔術師団長になっていたかもしれないね」

「僕は我儘だよ。シグレくんを見ていたくないから、避けるんだ」


 シグレの美貌が及ぼすものは、シュウも思うところが多いらしい。過去になにか経験したのかもしれない。


「きみが心配なんだよって、言えばいいのに」

「シグレくんには、僕が胡散臭く見えるらしい。だから、言っても聞いてもらえないだろうね」

「シュウって胡散臭いの?」

「僕に訊かないでよ」


 シュウが胡散臭い、と表現したシグレは、確かな観察眼を持っていると思う。控えめに笑うシュウは、たまにユサも、胡散臭く見えるのだ。どこが、とは具体的にはいえないけれども、感覚的にそう見えるのだ。


「はあ……まあとにかく、今は頼まれたことをさっさと済ませようか。ユサ、ユサには、これから行く邸にいる魔術師の子の、世話をして欲しいと思っている。頼まれてくれる?」

「わたしにできることなんだよね。うん、わかった。具体的にはなにを?」

「行きながら説明するよ」


 シグレのことで思うことは多々あるが、それよりも今は頼まれたことをさっさと終わらせようと言うシュウに、ユサも賛成だ。

 これを終わらせたら旅行の続きが待っているのである。長引かせて、留守番をしているセイドに要らぬ心配をかけたくない。イースがいればだいじょうぶであろうが、それでもセイドは腰を痛めていて、こちらも心配だ。歳が歳だけに、余計な心配も多い。旅行を中断させたいわけではないので、心配ごとを減らすためにもまずは目先のことを優先すべきである。







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