第5話 公爵令嬢、家出します!
そんな生活を続けているうちに、あたしは六歳になった。
誕生日?
もちろん、家族の誰にも祝ってもらえなかったよ。
朝になっても、誰かが部屋を訪れる気配はない。廊下の向こうでは使用人たちがいつもどおり仕事をしているらしく、遠くから足音や話し声が聞こえてくるけれど、その誰もがあたしの誕生日なんて覚えていないのだろうなぁ。
……まあ、今さら驚くようなことでもないけれど。
五歳の誕生日以来、あたしはこの屋敷で、ほとんど存在しないものとして扱われているのだから。
でも、寂しいかと聞かれたら、答えは違う。
だって、あたしにはスーとラーがいるんだもの!
「マナ! お誕生日おめでとう!」
「六歳のお誕生日、おめでとう。マナ」
朝、目を覚ましたあたしを待っていたのは、二人の満面の笑顔だった。
「ありがとう!」
ベッドから飛び起きると、ラーが嬉しそうに両手を広げたので、そのまま抱きついてしまった。
ふふふ。こういうの、いいよね。
誰かに祝ってもらえることも嬉しいけれど、何より、自分の誕生日を楽しみにしてくれている人がいるというのが嬉しい。
「今日はね、ラーがケーキを作ったんだよ!」
「えっ! 本当に!?」
「うん! 前にマナが教えてくれた作り方で頑張ったの!」
ラーが得意そうに運んできたのは、ふんわりと甘い香りのするケーキだった。
……おおっ!
少し形が崩れている。
いや、少しというか、片側がちょっと傾いているような気もするけれど、そんなことはどうでもいい。
表面には丁寧に飾りつけがされていて、あたしの好きな果物もたっぷり使われていた。
「すごい! ラー、一人で作ったの!?」
「うん! スーにも少し手伝ってもらったけど、ほとんどラーが作ったよ!」
「ありがとう! すっごく嬉しい!」
切り分けてもらったケーキを一口食べる。一瞬、スーはどうやって手伝ったのか気になったけれど、まあいいや。
甘さは控えめで、生地にはむらっけがある。それでも、口の中に広がる優しい味わいに、思わず頬が緩んだ。
「おいしい!」
「本当!?」
「本当、本当! すっごくおいしいよ!」
「やったー!」
ラーが両手を上げて喜ぶ姿を見ていると、こちらまで嬉しくなってしまう。前世では、誕生日だからといって特別なことをする余裕なんて、あまりなかったから。
でも、今は違う。
こんなふうに、自分のために誰かが一生懸命作ってくれたケーキを食べられる。それだけで、十分に幸せだと思う。
「それから、僕からもプレゼントがあるんだ」
スーがそう言って、部屋の中央に進み出た。
「えっ、何々?」
「ちょっと待っててね」
次の瞬間、スーの身体がゆっくりと形を変え始めた。黒い執事服も、整った顔立ちも、さらりとした髪も、柔らかくほどけるように輪郭を失っていく。
そして、床の上に広がったかと思うと、そこから小さな芽がいくつも伸び始めた。
「……え?」
芽はみるみる成長し、細い茎を伸ばし、やがて色とりどりの花を咲かせていく。
白、黄色、淡い桃色。
部屋の中に、小さな花畑ができあがった。
「わあああっ!」
思わず声を上げてしまった。
すごい!
すごい、すごい!
まるで本物の花畑みたい!
いや、見た目だけなら、どう見ても本物の花である。そっと指先で花びらに触れてみると、柔らかな感触まであるではないか。
「スー、すごいよ!」
……いや、花畑に変身してくれた、という方が正しいのかな?
返事はない。
そりゃそうだ。今のスーは花畑なのだから。
でも、あたしが喜んでいるのが伝わったのか、足元の花がふわりと揺れた。
「ふふふ。ありがとう、スー!」
しばらく花畑を眺めて楽しんだあと、スーは元の執事姿に戻った。
「気に入ってもらえた?」
「もちろん! 最高のプレゼントだよ!」
スーが嬉しそうに微笑む。
ラーのケーキに、スーの花畑。
家族の誰にも祝ってもらえなかった誕生日だけれど、あたしにとっては、これまでで一番心に残る誕生日になった。
……うん。
何はともあれ、最高の誕生日になった。スー、ラー、大好きだよ!
◇◇◇◇
ちなみに、弟のアーヴェルとは、もう随分長いこと顔を合わせていない。
同じ屋敷に住んでいるはずなのに、不思議なものである。今はどんな顔をしているのだろう?あたしのことをどう思っているのかも、まったくわからない。
弟まであたしを嫌っているのか、それとも、単に会う機会がないだけなのか。確かめようにも、そもそも会えないのだから仕方がない。
もし、ばったり出会ったとしたら、お互いわかるのかしら?
……素通りされそうね。
そんなある日のこと。
屋敷の中が、朝から妙に騒がしかった。
普段は静かな廊下を、使用人たちが忙しそうに行き来している。どこからか華やかな笑い声が聞こえ、厨房の方からは、いつも以上においしそうな匂いまで漂ってきた。
何だろう?
誰か偉い人でも来るのかな?
「何かあったのかな?」
「今日はアーヴェルの五歳の誕生日だよ」
窓際で本を読んでいたスーが教えてくれた。
「あ、そっか!」
アーヴェルも、いよいよ守護霊獣を授かる年齢になったのね。
屋敷中が浮き立っているのも無理はない。使用人たちは忙しそうに行き来し、厨房では宴の準備が進められているらしい。
……うん。
この家、ちゃんと誕生日を祝う習慣はあったんだね。そういえば、あたしも五歳の誕生日までは、多少なりとも祝ってもらっていた気がする。
もっとも、あたしの場合は、守護霊獣の儀式を境に、すっかり扱いが変わってしまったわけだけど。
「マナ、気になる?」
ラーが首を傾げる。
「うん。弟がどんな守護霊獣を授かるのかは、ちょっと気になるかな」
あたしのときは、スーとラーという二人のスライムを授かった。もちろん、あたしにとっては最高の贈り物だったけれど、お祖父様には相当お気に召さなかったらしい。
今度こそ、公爵家が望んでいるような守護霊獣が現れるのだろうか。
「じゃあ、帰ってきたら調べてくるね!」
「お願い!」
そして、その日の午後。
神殿から帰ってきた一行を迎える屋敷は、まるでお祭り騒ぎだった。
歓声が上がり、使用人たちが慌ただしく動き回る。遠くからでも、屋敷全体が喜びに包まれているのが伝わってきた。
スーとラーが集めてきた話によると、アーヴェルが授かった守護霊獣は、巨大な翼を持つ空飛ぶ生物らしい。
名前は、ケツァルコアトルス。
「……ケツァルコアトルス?」
思わず聞き返してしまった。
それって、前世で知っていた翼竜の名前じゃない?恐竜好きの人なら、きっと大喜びするやつだ。もっとも、厳密には恐竜ではなく翼竜だったはずだけど。
それにしても、異世界でケツァルコアトルスとは。何というか、ロマンがあるよねぇ。
「すっごく大きな翼だったんだって!」
ラーが両腕を大きく広げる。
「へえ! それはすごいね!」
「お祖父さんも、すごく喜んでたみたいだよ」
スーの言葉に、あたしは思わず笑ってしまった。
なるほど。
お祖父様が欣喜雀躍するのも無理はない。
……いや、実際に飛び跳ねて喜んでいたかどうかは知らないけれど。とにかく、公爵家が求めていた理想の守護霊獣だったらしい。
「よかったねぇ、アーヴェル」
あたしは素直にそう思った。
弟には弟の人生がある。
あたしが冷遇されているからといって、弟まで不幸になってほしいわけではない。
それに、空を飛べる守護霊獣なんて、きっと楽しいだろう。いつか、その大きな翼で空を飛ぶ姿を見てみたいものだ。
……まあ、今のあたしが見に行ったところで、歓迎されるとは思えないけれどね。
ただ、ひとつ気になることがある。
あたしのときは、あんなに怒っていたお祖父様。
弟が空飛ぶ守護霊獣を授かったからといって、今さらあたしへの態度が変わるとは思えない。
……まあ、別に期待してないけどね。
跡取りができたからあたしに優しくなったりしない……か。
そもそも、今の暮らしに不満があるわけでもないし。
スーとラーがいて、魔法の練習ができて、好きな服を作って、好きなことをして過ごせる。誰にも干渉されない生活は、思っていた以上に快適なのだ。
もちろん、家族に大切にされていないという事実が消えるわけではない。でも、そこばかり見つめていても仕方がない。
あたしには、あたしの楽しみがあるんだから。
◇◇◇◇
問題が発覚したのは、その日の夜だった。
スーとラーが、屋敷の様子を調べに行っていたときのこと。
二人が戻ってくるなり、いつになく真剣な表情であたしを呼んだ。
「マナ、ちょっと大変な話を聞いたよ」
「どうしたの?」
「お祖父さんたちが、マナのことを話してたんだ」
ラーの声も、いつもより少し硬い。
「……あたしのこと?」
珍しいなぁ。
この一年、あたしの存在をすっかり忘れていると思っていたのに。
「何て言ってたの?」
スーは少し言いにくそうに口を開いた。
「隣の領地の辺境伯家に、マナを引き渡すつもりらしいんだ」
「……へ?」
思わず間抜けな声が出た。
「引き渡すって、どういうこと?」
「お金と引き換えに、マナを連れていかせるみたい」
「…………」
お金と引き換え。
つまり。
「……あたし、売られるの?」
「うん」
スーが静かに頷いた。
さらに、ラーが続ける。
「その辺境伯、小さな女の子を何人も買ってるんだって。お屋敷の人たちが話してたよ」
「…………」
何それ。
ものすごく嫌な予感しかしないんだけど。というか、予感どころではない。
完全にアウトである。
「いやいやいや! 待って待って!」
あたしは両手をぶんぶん振った。
「六歳の娘を売るって何!? この世界の貴族って、そういうものなの!?」
さすがに、これは笑って済ませられる話ではない。前世でも家族にお金を無心されたけれど、まさか今世では自分自身がお金に換えられるとは。
……前世より悪化してない?
でも、異世界モノとしてはあるあるよね。ものすごくベタな感じだけど、この世界もそうだった!?
いやいや、物語の定番だからって、自分が体験したいわけじゃないんですけど!
あたしは思わず額に手を当てた。まさか、家族から無視されるだけでは終わらないとは。
前世では、お金を渡せば少しは家族の役に立てると思っていた。頼られることが嬉しかった時期だってある。
でも、いつの間にか、それが当たり前になっていた。
あたしの都合も、生活も、気持ちも、後回し。
それでも家族だからと、自分に言い聞かせていた。
そして今世では、とうとう自分自身を売り物にされようとしている。
……いや、待って。
これ、見方を変えればどうなる?あたしは少しだけ考えた。
この屋敷に残れば、知らない辺境伯のところへ連れていかれるかもしれない。
でも、ここから出てしまえば?
誰にも行動を制限されず、好きな場所へ行ける。まだ見たことのない町も、森も、山もある。
前世では旅行に行く余裕すらなかったけれど、今世なら、自分の足でいろいろな場所を見て回れるかもしれない。
……あれ?
もしかして。これって、家を出る絶好の機会なのでは?
「マナ、どうする?」
スーが尋ねた。
あたしは一瞬だけ考えた。
そして、勢いよく立ち上がる。
「家出する!」
「うん!」
「ラーも賛成!」
即決だった。
だって、もう準備はできている。
食料もある。地図もある。魔法も使える。
何より、頼りになるスーとラーがいる。
遠くから聞こえる楽しそうな声。
あたしはその中に入れない。でも、もう入る必要もない。
ここに残る理由なんて、ひとつもなーい。
「よし! じゃあ、今夜出発しよう!」
◇◇◇◇
家出を決めてからの行動は早かった。
まずは荷物の整理。
……といっても、あたしたちには無限収納がある。
衣類、食料、日用品。必要そうなものを次々と収納していく。
「マナ、このベッドはどうする?」
「持っていこう!」
「机は?」
「もちろん!」
「椅子は?」
「あるもの全部!」
何しろ、収納に容量制限がないのだ。置いていく理由がない。
……まあ、家具は公爵家のものだけれど。
六年間の養育費ということで、ありがたくいただいておこう。いや、養育費って、本来は親が子供のために払うものだった気がするけど。
細かいことは気にしない!
ベッドも机も椅子も、部屋にあったものはすべて収納した。もちろん、ラーと一緒に作ったTシャツやズボン、パーカーも忘れない。
ドレスは何着か残しておこうかとも思ったけれど、せっかく作った服も含めて、全部収納してしまうことにした。
今後、どんな服が必要になるかわからないものね。それに、屋敷の外でどんな生活が待っているのか、まだ何もわからない。
町の人たちがどんな服を着ているのかも、どんなものが売られているのかも、あたしはほとんど知らないのだ。
だからこそ、使えそうなものは持っていく。準備しておいて損はない。
「マナ、これも持っていく?」
ラーが差し出したのは、三人でおそろいにしたリボンだった。
「あっ! それは絶対に忘れちゃ駄目!」
あたしは慌てて受け取り、大切に収納した。服や家具も大事だけれど、これは特別。スーとラーと家族になったことを、形にしたようなものだから。
最後に部屋を見回してみた。
「……うん。なーんにもない(笑)!」
文字どおり、空っぽである。ついさっきまでベッドや机が置かれていた場所には、何も残っていない。
窓から差し込む月明かりが、がらんとした床を照らしていた。
ここまできれいに片付けたら、逆に清々しい。掃除の手間まで省いてあげたんだから、感謝してほしいくらいね。
……まあ、そんなことを言われる日は来ないだろうけど。
それでも、不思議と寂しさはなかった。
この部屋で過ごした時間には、楽しい思い出もたくさんある。
スーとラーと初めて一緒に眠った夜。
三人でおそろいのリボンをつけた日。
ラーと服を作り、ファスナーの完成に大喜びしたこと。
六歳の誕生日に食べた、少し形の崩れたケーキ。
どれも、大切な思い出だ。
でも、それらはこの部屋に置いていくものではない。
あたしの中に、ちゃんと残っている。
そして、これからもスーとラーと一緒なら、きっともっとたくさんの思い出を作れるはずだ。
「マナ、出発できるよ」
「ラーも準備できた!」
「よーし!」
あたしは小さく拳を握った。
「ヴェルディア公爵家、さようなら!」
……と言っても、誰も見送ってくれないんだけどね。
はじめまして。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
第10話までは毎日投稿、その後は毎週投稿を予定しています。




