第2話 魔法は楽しんだ者勝ち!
三歳の誕生日に前世の記憶を取り戻してから、あたしの毎日は驚くほど楽しくなった。
何しろ、魔法が使えるのである。
漫画やアニメで何度も見てきた、あの魔法だ。指先から炎を出したり、何もないところに水を生み出したり、物を浮かせたり。そんなことが自分にもできるなんて、楽しくないわけがない。
ただし、一つだけ大きな問題がある。七歳になるまでは、魔法を使えることを誰にも知られてはいけない。
最高神様から、そう言い渡されているのだ。
せっかく異世界に転生したのに、魔法を使っているところを誰にも見せられないなんて、少し残念ではあるけれど。
でも、考え方を変えればいい。誰にも見つからない場所で使えばいいのだ。幸いなことに、あたしには自由な時間がたっぷりある。
◇◇◇◇
あたしが生まれ変わったのは、ヴェルディア公爵家という由緒正しい貴族の家らしい。
祖父のヴァルディス・ヴェルディアが現当主で、祖母はオルテンシア。母はイザベル、父はフレデリックという。
そして、あたしには二歳年下の弟がいる。名前はアーヴェルで現在一歳である。まだまだ手のかかる年頃なので、母は弟につきっきり。
あたしも三歳児なのだから、十分に手がかかる年齢のはずだけれど、前世の記憶が戻ったおかげで、少なくとも中身は大人である(普通の三歳児よりも手がかかっていないはず)。
もっとも、身体が思うように動かないことは多い。
高いところに手は届かないし、長い距離を歩けば疲れるし、服を着替えるのにも侍女の手が必要だ。精神年齢が大人でも、三歳児の身体には勝てないのである。
それでも、ほかの子供と比べれば随分と手がかからないらしく、母からは「マナリアはお利口ね」と褒められることがあった。
おかげで、あたしは侍女に世話をしてもらう時間以外、比較的自由に過ごせていた。
父は騎士として遠方の国境警備に就いており、屋敷にはほとんどいないらしい。らしいというのは、あたしはお父様に会ったことがほとんどないから。記憶がないだけかな?
会えないのは少し寂しいけれど、国を守る大切なお仕事なのだから仕方がない。帰ってきたときには、たくさんお話しできたらいいなと思っている。
祖父は公爵家の仕事で忙しく、祖母も何かと用事があるらしい。
つまり。
あたしが何をしているのか、家族の誰も細かく気にしていない。いや、おおまかにも気にしていない。
これは好都合!
……いや、三歳児がそんなことを喜んでいいのかどうかは、ちょっと疑問なんだけど。
◇◇◇◇
最初のうちは、侍女の目を盗んで屋敷の庭を探検するところから始めてみた。
公爵家の敷地はとにかく広い。綺麗に手入れされた庭園だけでなく、木々が生い茂る場所もあれば、普段はほとんど人が立ち入らない場所もある。
そんな中で、あたしは庭の奥に小さな空き地を見つけた。
周囲を木々に囲まれているため、屋敷の窓からも見えない。人が通る道からも離れていて、魔法の練習にはうってつけだった。
もちろん、そこへ行くまでに誰かと鉢合わせしては意味がない。
そこで役立ったのが、光属性の魔法。
魔法基礎書によれば、光の屈折を操ることで、自分の姿を周囲の景色に紛れ込ませることができるらしい。いわゆる光学迷彩というやつね。
これを使いこなせれば、人に見つからずに移動できる。
……はずだった。
「……足だけ見えてる」
初めて試したとき、あたしの姿は見事に中途半端なものになった。身体の上半分は景色に溶け込んでいるのに、膝から下だけが残っていて、誰かが見たら、足だけで歩き回る怪奇現象である。
怖いわ!
何度も練習して、ようやく全身を隠せるようになった頃には、すっかりこの魔法が気に入っていた。ただし、姿が見えなくなっても、足音や物音まで消えるわけではない。
だから、誰もいないことを確かめてから魔法を使い、なるべく静かに移動する。屋敷の外へ出るときも、必ず人目につかない場所で発動することにした。
秘密を守るためには、慎重さが大切なのだ。
……三歳児の行動としては、慎重さの方向性が間違っている気もするけれど。
◇◇◇◇
練習場所が決まってからは、毎日がますます楽しくなった。
魔法基礎書には、生活魔法から各属性の初級魔法まで、さまざまな使い方が書かれている。
まずは火魔法。
指先に小さな炎が灯ったときには、コーフンしすぎて思わず歓声を上げてしまった。
「わあっ! 本当に出た!」
もちろん、周囲の木に燃え移ったら大変なので、慌てて消した。
次は水魔法。
空中に水の玉を浮かべてみる。透明な玉がふわふわと浮いているだけで、何だか楽しい。
試しに二つに分けてみたり、くっつけて大きくしてみたり、形を変えてみたり。
気づけば、それだけで随分と時間が経っていた。
土魔法では小さな人形を作って動かしたり、木魔法では植物の成長を促してみた。金魔法の錬金術は少し難しかったけれど、材料の性質を考えながら変化させていく過程が面白い。
光魔法は姿を隠す以外にも応用があり、闇魔法には自分の能力やステータスなどを隠す隠蔽という魔法があった。
光と闇の属性は、一般には知られていないらしい。最高神様からは、誰にも知られてはいけないと口止めされている。
最高神が特別に授けてくれた七属性。そのすべてを使えるというのだから、試したいことはいくらでもあった。
でも、何より気に入ったのは生活魔法かもしれない。
汚れた手を綺麗にしたり、物を動かしたり、ちょっとした作業を簡単に済ませたり。派手な攻撃魔法もいいけれど、生活魔法には生活魔法の楽しさがある。
前世でこんな魔法が使えたら、掃除がどれほど楽だったことか。
「……あれ? もしかして、掃除機いらない?」
思わず真剣に考えてしまった。
いやいや、せっかく魔法のある世界に来たんだから、もっと夢のあることを考えようよ、あたし。
とはいえ、便利なものは便利なのだ。
夢と実用性は、両立してこそ素晴らしい。
◇◇◇◇
そんなふうに毎日魔法で遊んでいるうちに、あたしは一つのことに気づいた。
魔法を使い続けると、突然、意識がなくなることがあるっぽい。最初に経験したときは、さすがに驚いたけれど。
水の玉をいくつ作れるか試していたはずなのに、次に目を開けたときには、地面に寝転がっていたのである。
「……あれぇ?」
どうやら、魔力を完全に使い切ってしまったらしい。
魔法基礎書を読み直すと、魔力がゼロになると意識を失い、そのまま深い睡眠に入ると書かれていた。眠っている間に魔力は回復するけれど、その回復量は睡眠の深さに左右されるという。
あたしの場合、だいたい一時間ほどで目が覚める。その頃には魔力もある程度回復しているので、また魔法を使うことができた。
なるほど。つまり、魔力を使い切ると寝てしまうわけだ。
もちろん、危険な場所で倒れたら大変だし、普通の魔法使いは、いざというときに備えて魔力を残しておくものらしい。
でも、あたしはまだ三歳。
本来なら魔法を使える年齢ではないし、誰かに魔法を頼まれることもない。今日の魔力を明日のために残しておく必要も、特にないのである。
それに、魔法を使うのが楽しい。ものすごく楽しい。
だから、ついつい夢中になってしまう。
気づけば、魔力を使い切って眠ってしまうことが、珍しくなくなっていた。
……いや、普通に考えれば珍しいどころの話じゃないのだろうけれど、あたしには比較対象がいない。
魔法基礎書に書かれた練習を繰り返し、毎日いろいろな魔法を試してみる。できなかったことができるようになると嬉しいし、できるようになったことを応用するのも楽しい。楽しすぎる。
気がつけば、三歳の一年間はあっという間に過ぎていた。
◇◇◇◇
四歳になっても、あたしの生活はほとんど変わらなかった。
相変わらず母はアーヴェルの世話に忙しく、父は遠方で任務に就いている。偶に帰ってきているのかどうかもあたしは知らないのだ。
あたしは侍女の目を盗んでは庭の奥へ向かい、せっせと魔法の練習に励んでいる。
もっとも、練習という言い方は少し違うかもしれない。だって、遊んでいるだけなのだから。水で小さな動物を作って動かしてみたり、土で作った人形を並べたり、木魔法で育てた花を眺めたり。
時には、錬金術で作った小物を無限収納にしまい込む。無限収納は本当に便利ね。作ったものを片づける必要がないし、魔法基礎書も必要なときに取り出せる。
しかも、いくら入れてもいっぱいにならない。前世のあたしが知ったら、きっと羨ましがっただろうなぁ。
いや、前世のあたしも今のあたしなんだけど。
そんな毎日を送っているうちに、以前より長い時間、魔法を使い続けられるようになった。
最初は小さな水の玉をいくつか作っただけで疲れていたのに、今ではずっと複雑なことができる。
魔力、増えているよね!
魔法基礎書にも、魔力を使うことで魔力量を成長させられると書かれていた。でも、どのくらい増えたのかは、正直よくわからないけれど……
誰かと比べる機会もないし、そもそも魔法を使っていること自体が秘密なのだから。
「ま、楽しいからいっか!」
あたしは今日も、思う存分魔法で遊んでいるのであった。
そういえばあたし、侍女以外の人と会話ってほとんどしていないかも? 貴族ってそんなもの?
◇◇◇◇
そして、いよいよ五歳の誕生日が近づいてきた。
この世界では、五歳になると守護霊獣を授かる儀式が行われる。守護霊獣は、生涯をともにする大切な存在。
ヴェルディア公爵家では、特に人を乗せて空を飛べる守護霊獣が高く評価されているらしい。
空から敵を攻撃できるため、戦いでは非常に有利なのだという。祖父はその考えを強く持っていて、空を飛べる守護霊獣こそ最も優れていると、ことあるごとに口にしていた。
確かに、空から攻撃できるのは強いと思う。でも、守護霊獣って戦うためだけの存在じゃないよね? あたしとしては、一緒に楽しく暮らせる相手の方がいい。
何しろ、あたしのところには最高神様が約束してくれた二匹のスライムが来ることになっている。……なっているよね?
名前はスーとラー。
どんな子たちなのか、今から楽しみで仕方がなかった。
ただ、祖父たちはスライムをどう思うだろう。空を飛べる大きな守護霊獣が好きなのだから、もしかしたらがっかりするかもしれない。
でも、守護霊獣は本来自分で選べるものではない。
それに、最高神様が授けてくれる二匹なのだ。きっと素敵な子たちに違いない。
あたしは、まだ見ぬスーとラーとの出会いを心待ちにしていた。
◇◇◇◇
そして迎えた、五歳の誕生日。
神殿での守護霊獣の儀式には、祖父母と母が立ち会うことになった。父は遠方の任務から戻れないらしい。
残念だけれど、こればかりは仕方がない。
「マナリア。ヴェルディア公爵家の娘として、恥ずかしくない守護霊獣を授かるのですよ」
祖母の言葉に、あたしは姿勢を正した。
「はい、お祖母様」
公爵令嬢としての返事は、きちんとできる。でも、心の中では別のことを考えていた。
恥ずかしくない守護霊獣って、何?守護霊獣に失礼じゃない?
もちろん、そんなことを口に出すわけにはいかないけれど。
あたしは口を一文字に結んで、儀式の開始を待った。
神官が祭壇の前に進み出ると、神殿の中が静まり返った。神官は両手を胸の前に掲げ、ゆっくりと目を閉じる。そして、厳かな声で祈りの言葉を唱え始めた。
「天にまします神々よ。今ここに立つ幼き魂に、守護の導きを与えたまえ。魂に寄り添い、喜びを分かち、苦難をともに越える者よ。古き契約に従い、今こそその姿を現したまえ」
神官の声が高い天井に響き、静かな余韻を残して消えていく。その言葉に呼応するかのように祭壇の紋様が淡く輝き始め、足元から柔らかな光が立ち上った。
胸が高鳴る。
いよいよだ。
光がゆっくりと形を変え、やがて二つに分かれた。
そして――。
ぽよん。
ぽよん。
目の前に、二匹の小さなスライムが現れた。
「スー! ラー!」
やっと会えた! 思わず名前を呼ぶと、二匹はあたしの声に応えるように、ぽよんぽよんと嬉しそうに跳ね始めた。
何これ、かわいい! ものすごくかわいい!
あたしが両手を広げると、二匹は競い合うように近づいてくる。右からぽよん、左からぽよん。まるで二つのお餅が楽しそうに踊っているみたいで、見ているだけで頬が緩んでしまう。
「ふふっ! スーもラーも、そんなに嬉しいの?」
問いかけると、二匹はますます勢いよく跳ね始めた。あまりに楽しそうなので、あたしまでつられて身体を揺らしてしまう。
ぽよん、ぽよん。
ああ、幸せ。スライムって、こんなにかわいい生き物だったのね!
「……なんだ、その気味の悪い動きは」
背後から聞こえてきた低い声に、思わず振り返った。
祖父が、まるで汚らわしいものでも見るかのように、二匹のスライムを睨みつけている。
え? 気味が悪い? どこが?
「……マナリア。何をしている」
「スーとラーと一緒に踊っています!」
「…………」
お祖父様、そんなに眉間に皺を寄せなくても。せっかくの楽しい雰囲気が台無しになっちゃうじゃない。
「よりによって、スライムとは……。それも二匹だと?」
祖父は吐き捨てるように呟き、祖母と母も顔をしかめている。
あれ? 二匹も守護霊獣を授かったんだから、むしろ珍しくて喜ばれるんじゃないの?
さっきまで期待に満ちていた部屋の空気が、嘘のように冷えていく。どうやら、祖父たちにとってスライムは、相当お気に召さない存在らしい。
でも、ちょっと待って。この子たち、まだ何もしていないよね? いや、ぽよぽよ踊ってはいるけれど。それの何がいけないの?
あたしは足元の二匹を見下ろした。スーとラーは祖父の険しい表情など気にも留めず、相変わらず楽しそうに身体を揺らしている。
こんなにかわいいのに、どうしてそんな顔をするんだろう。
「お祖父様。私、この子たちが来てくれて、とても嬉しいです」
そう伝えると、祖父は一瞬だけあたしを見たものの、その表情が和らぐことはなかった。
「……もうよい」
深いため息を吐いた祖父は、嫌悪感を隠そうともせずに踵を返した。祖母も母もその後に続き、誰一人振り返ることなく部屋を出ていってしまう。
あたしは、二匹のスライムとともに、その場に取り残された。
「…………え?」
何が起きたのか、すぐには理解できなかった。でも、ひとつだけわかったことがある。どうやら、あたしの守護霊獣は、ヴェルディア公爵様のお気に召さなかったらしい。
……えー、まじで? これがこの世界の貴族の在り方?
まだ、この子たちが何をできるのかも見てないよね?それなのに、もう決めつけちゃうの?
あたしは小さくため息をついて、足元のスーとラーに手を伸ばした。
二匹が、ぽよんと身体を寄せてくる。その柔らかな感触に、自然と頬が緩んだ。
「大丈夫。あたしは二人が来てくれて、すっごく嬉しいよ」
そう言うと、二匹はますます嬉しそうに跳ねた。
うん。やっぱり、かわいい。
最高神様、素敵な守護霊獣をありがとう!
……それにしても。
五歳の誕生日って、もう少しお祝いしてもらえるものだと思っていたんだけどなぁ。
あたしの異世界生活は、どうやら思っていたほど順風満帆ではないらしい。




