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第1話 3歳の誕生日

 目が覚めた瞬間、あたしは思わず飛び起きた。


「……え?」


 いつもと同じ天蓋付きのベッドに、ふかふかの寝具。薄いレースのカーテン越しに朝日が差し込み、見慣れた部屋を明るく照らしている。何も変わっていないはずなのに、なぜか妙な違和感があった。


 いや、違和感があるのは部屋ではなく、あたし自身だ。頭の中に、それまで知らなかったはずの記憶が次々と浮かんでくる。


「……愛実?」


 思わず口にした名前は、今の私のものではなかった。


 愛実。それは、日本という国で暮らしていた頃のあたしの名前だ。家族のために働き、恋人のためにお金を使い、ようやく自分の人生を楽しもうと決意した矢先、酔っ払いのおじさんを助けようとしてマンホールに落ちた、あの愛実。


 そして、死んだはずのあたし。


「思い出した……!」


 そうだ。私はあのとき確かに命を落とし、その後、酔っ払いおじさん改め最高神と名乗る男性に出会った。彼は自分の不注意が原因で私を死なせてしまったことを詫び、望む能力を授けたうえで異世界へ転生させてくれると言ってくれたのだ。


 もちろん、異世界転生ものが大好きだったあたしが、その申し出を断るはずもない。


 魔法は絶対に使いたいし、できればすべての属性を使えるようになりたい。頼もしい仲間も欲しいし、収納能力だって無限がいい。そんな希望を思いつく限り伝えたところ、最高神はすべて叶えると約束してくれた。


 今思い返してみると、最後の方は少し疲れた顔をしていたような気もするけれど、そもそも「望むだけ特典を与える」と言い出したのは向こうなのだから、遠慮する必要はなかったはず。


 うん。きっとそう。


 あたしは目の前に両手をかざし、指を握ったり開いたりしてみた。前世とは比べものにならないほど小さな手で、指も短く、手のひらには幼い子供らしい丸みがある。


「……ちっちゃい」


 当たり前だ。今のあたしはマナリアという名前の女の子で、今日は三歳の誕生日なのだから。


 最高神とは、三歳の誕生日に前世の記憶を取り戻せるようにしてもらう約束をしていた。実際に記憶が戻ったのだから、どうやらその約束はきちんと守られたらしい。


 ただ、一つ気になることがある。


「あれ? 神様は?」


 確か、三歳の誕生日に夢の中で会う約束もしていたはずだ。けれど、私はもう目を覚ましているし、最高神に会った記憶もない。


 まさか、忘れたのだろうか。


 いやいや、相手は最高神だ。世界を管理している神様が、そんな大切な約束を忘れるはずがない。


 ……とはいえ、日本へお寿司を食べに来て、お酒を飲みすぎた挙げ句、マンホールを異世界への出入口にしていた神様でもある。

 神様の世界って、もう少し神秘的な場所から行けるものだと思っていたんだけどなぁ。もしかしたら、自称最高神なのかもね。


「マナリアお嬢様、お目覚めでございますか?」


 扉の向こうから聞こえてきた声に、私は慌てて顔を上げた。


「はーい!」


 元気よく返事をすると、侍女が部屋へ入ってきた。


「お誕生日おめでとうございます、マナリアお嬢様。本日で三歳になられましたね」

「ありがとう!」


 笑顔で答えながら、あたしは内心でほっと息をついた。前世の記憶が戻ったことで、今まで使っていた言葉がわからなくなったらどうしようかと思ったけれど、そんな心配は無用だったらしい。日本語も、この世界の言葉も、どちらも自然に理解できる。


 侍女に手伝ってもらって着替えを済ませ、鏡の前に立つと、そこには前世の愛実とはまったく違う、小さな女の子が映っていた。しかもめっちゃカワイイ!!


 あたしは鏡に映る自分をしばらく眺めたあと、そっと頬をつまんでみた。


 痛い。


 夢じゃない。


「……本当に、異世界なんだ」


 思わず笑みがこぼれる。ずっと憧れていた異世界転生が、今こうして現実になっているのだ。


 前世では何かと苦労したけれど、今度こそ自分のために生きていきたい。好きなことをして、好きなものを食べて、誰にも振り回されずに毎日を楽しむ。そんな生活を想像するだけで、胸の奥がふわりと温かくなった。


 もっとも、今のあたしは三歳児である。自分のために生きるといっても、まずは一人で着替えられるようになるところからだろうか。……あれ? でも、侍女がいるんだから、一人で着替えられなくても問題ないんじゃない?


 ……異世界転生って、意外と楽ができるのかもしれない。


     ◇◇◇◇


 三歳の誕生日ということもあり、その日の食事はいつもより少し豪華だった。


 大きな食卓には色とりどりの料理が並び、あたしはそれを眺めながら、改めて自分が貴族の娘として生まれ変わったことを実感していた。家族は一緒に食事をしないようだけれど、前世で読んだ異世界ファンタジーの中にも、幼い子供は大人と同じ食卓につかないという設定の物語があった。この世界も、そういう習慣なのかもしれない。テーブルマナーも日々学んでいるところみたいね。


 日本で暮らしていた頃は、仕事帰りにスーパーへ立ち寄り、値引きシールの貼られたお惣菜を探すのが日課だった。半額の商品を見つけると、それだけで得をしたような気分になったものだ。


 それが今では、何もしなくても料理が運ばれてくるのだから、なんという贅沢だろう。


 ただし、三歳児の胃袋には限界がある。目の前においしそうな料理がいくら並んでいても、食べられる量はたかが知れていた。


 これはこれで、なかなか残念な問題である。


 食事を終えたあとも誕生日らしい一日が続いたけれど、あたしの頭の中は最高神との約束でいっぱいだった。


 何しろ、今日は魔法を授けてもらえる日でもあるのだ。


 前世では魔法が登場する小説や漫画を読むたびに、自分も使ってみたいと思っていた。火を出したり、水を操ったり、植物を育てたり、金属を加工したり。そんなことができるようになれば、毎日がどれほど楽しいだろう。


 しかも、私がお願いしたのは木・火・土・金・水の五属性だけではない。光と闇も含めた、全部で七つの属性だ。錬金術を魔法として使いたくて、王道のファンタジーなら風属性や雷属性があるところ、あたしは金属性を選んだ。でも、そんな都合のいい異世界があるのね。


 改めて考えると、ずいぶん欲張った気もするなぁ。


 けれど、最高神がいいと言ったのだから問題ない。何度考えても結論は同じだった。


 そんなことを考えているうちに、私は小さくあくびをした。前世の記憶が戻ったところで、体まで大人になるわけではない。お昼寝の時間が近づくと、どうにも眠くなってしまう。


「マナリアお嬢様、お休みになりましょうか」

「うん……」


 侍女に案内されて寝台へ向かい、ふかふかの布団に潜り込む。

 目を閉じながら、私は心の中で最高神に呼びかけた。


 神様、約束を忘れていませんよね?

 魔法、ちゃんとくださいね。


 それから、スーとラーのこともお願いします。


 二匹に会えるのは五歳の誕生日だから、まだ少し先だけれど、今から楽しみで仕方がない。


 そんなことを考えているうちに、私はいつの間にか眠りに落ちていた。


     ◇◇◇◇


「おお、来たか」


 聞き覚えのある声に目を開けると、そこは真っ白な空間だった。床も壁も天井も見当たらず、どこまで続いているのかもわからない不思議な場所だ。


 そして、目の前には見覚えのある男性が立っていた。


「神様!」

「久しぶりじゃのう。元気にしておったか?」

「はい! ……じゃなくて!」


 あたしは思わず両手を腰に当てた。


「朝起きたら前世の記憶が戻っていたんですけど、夢の中で会う約束じゃありませんでしたっけ?」

「うむ。記憶が戻るのは誕生日、わしと会うのは夢の中。約束どおりじゃろう?」

「……あ」


 言われてみれば、確かにそうだった。私は勝手に、夢の中で最高神と再会したときに前世の記憶が戻るものだと思い込んでいたらしい。


「それにしても、三歳の姿でその話し方をされると、なかなか面白いのう」

「自分でもちょっと違和感があります」


 最高神は楽しそうに笑っているけれど、こちらとしては結構複雑だ。頭の中は大人なのに、声も体も三歳児なのだから。


 それでも、最高神との約束が守られていたことには安心した。


「さて、約束の神授の儀を行うとするかの」

「待ってました!」


 思わず両手を上げると、最高神が少し驚いたような顔をした。


「ずいぶん楽しみにしておったようじゃな」

「もちろんです! 異世界に転生したんですよ? 魔法が使えなくちゃ始まらないわ!」

「……始まらんことはないと思うが」

「気分の問題だから!」

「なるほどのう」


 最高神は苦笑すると、私の前に立って片手を掲げた。


 すると、何もなかった空間に淡い光が生まれ、ゆっくりと広がっていく。足元には見たこともない複雑な模様が浮かび上がり、幾重にも重なった光の輪が私を取り囲んだ。


「これより、神授の儀を執り行う」


 先ほどまでの気さくな声とは違い、厳かな響きがあった。あたしは思わず背筋を伸ばし、最高神の言葉に耳を傾ける。


「我、万象を統べる者として宣する。マナリアよ、汝が魂に七つの理を刻み、眠りし力をここに解き放たん」


 その瞬間、周囲の光が一斉に輝きを増し――


 眩しさに思わず目を閉じると、体の中を温かい何かが流れていくのを感じた。痛みも苦しさもなく、むしろ自分の中に新しい力が満ちていくような、不思議な感覚だった。


 やがて光が収まり、あたしはそっと目を開けた。


「……終わり、ですか?」

「うむ。無事に授けたぞ」

「本当に?」

「最高神を疑うでない」

「だって、もっとこう……ものすごい衝撃があったり、体が浮いたり、何かのエネルギーみたいなものが体中を駆け巡るのだと思って」

「衝撃を与えてほしいのか?」

「いえ、遠慮します!」


 最高神が楽しそうに笑い、私も苦笑い。


 どうやら、これで本当に魔法が使えるようになったらしい。そう思うと、今すぐ試してみたくて仕方がなかった。


「じゃあ、さっそく使ってみてもいいですか?」

「ならん」

「ええっ!?」


 あまりにもあっさり断られたので、私は思わず声を上げた。


「そうじゃ。魔法を使えることは、七歳になるまで他人に知られてはならん」

「あっ、そうだった」


 そういえば、この世界では七歳になると神殿で神授の儀を受けることになっている。あたしは最高神にお願いして特別に三歳で魔法を授けてもらったけれど、本来ならまだ使えるはずがないのだ。


 もし知られたら、きっと大騒ぎになってしまうわね。


 でも、せっかく魔法を授けてもらったのに、四年間も使えないなんて。それでは、目の前においしそうなケーキを置かれて「食べていいのは四年後」と言われるようなものじゃない。


 私が思わずシュンと肩を落とすと、最高神はおかしそうに笑った。


「人前で使わなければよい。誰にも見られぬ場所で練習するのじゃ」

「練習はしていいんですね!」

「もちろんじゃ。魔法は使い続けることで上達する。魔力量も増やせるからのう」

「魔力量って、増えるんですか?」

「増えるとも。ただし、やみくもに使えばよいというものでもない」


 最高神はそう言うと、どこからともなく一冊の本を取り出した。


「これを授けよう」


 差し出された本は三歳の私には少し大きく、受け取るとずっしりとした重みがあった。表紙には『魔法基礎書』と書かれている。


「魔法の教科書ですか?」

「そうじゃ。ただし、世間に出回っておるものとは中身が違う」

「違う?」

「魔力量を効率よく増やす方法や、上位魔法を容易に扱うためのコツなども記しておる。普通の魔法使いが見れば、喉から手が出るほど欲しがるじゃろうな」

「そんなにすごい本なんですか!?」

「うむ。だから、誰にも見せてはならんぞ」


 私は本をぎゅっと抱きしめた。こんなに貴重なものをもらえるなんて、やっぱり最高神は太っ腹ね。


 ……いや、私を死なせてしまったお詫びなのだから、これくらいは当然なのかもしれないけれど。


 でも、そんなことを言ったら罰が当たりそうなので、口には出さないでおこう。


「わかりました! 絶対に秘密にします!」


 最高神は満足そうに頷いた。


「それから、金属性の魔法についても詳しく書いておる。おぬしが望んだ錬金術じゃな」

「錬金術!」


 思わず声が大きくなった。


 錬金術といえば、異世界ものではおなじみの便利な能力だ。素材を加工したり、道具を作ったり、薬を調合したりと、使いこなせれば生活がぐっと便利になるに違いない。


 何より、ものづくりができるというのが魅力的だった。前世では画面の向こうで眺めるしかなかった魔法の道具を、今度は自分で作れるかもしれないのだ。


 こんなのワクワクしないわけがない。


「ただし、どんな魔法も知識と練習が必要じゃ。授けられたからといって、いきなり何でもできるわけではないぞ」

「はい! ちゃんと勉強します!」

「よい返事じゃ」


 最高神は嬉しそうに頷いたあと、ふと思い出したように付け加えた。


「それと、スライムたちは五歳になったら、おぬしのもとへ遣わすからの」

「はい! 楽しみにしています!」


 私が最高神にお願いした二匹の特別なスライム。どんな姿にでも変身できて、強力な魔法を使え、無限収納まで備えている(……はず)。


 しかも、ただ便利な能力を持っているだけではない。二匹は私の守護霊獣として、ずっとそばにいてくれる存在なのだ。


 前世では家族にも恋人にも振り回されてきたけれど、今度こそ自分のために生きたい。もちろん、誰かが困っていたら助けたいと思うだろうし、できることなら周りの人にも幸せになってほしい。


 でも、だからといって、自分の人生を犠牲にするつもりはない。


 そのためにも、まずは魔法を覚えなくちゃ。


「神様、ありがとうございます!」


 心からそう言って頭を下げると、最高神は少し照れたように笑った。


「よいよい。今度こそ幸せになるのじゃぞ」

「はい!」


 私は大きく頷いた。


 今度こそ、自分の人生を楽しむのだ。


     ◇◇◇◇


 目を覚ますと、いつもの寝台の上だった。窓から午後の日差しが差し込み、部屋の中は静まり返っている。


 先ほどまでの出来事を思い返しながら、私はゆっくりと起き上がった。


 真っ白な空間で最高神と再会し、神授の儀を受け、魔法基礎書をもらった。あれは普通の夢ではなく、約束どおりの出来事だったはず。


 ところが、周囲を見回してみても、肝心の魔法基礎書が見当たらない。


「あれ?」


 確かに受け取ったはずなのに、寝台の上にも枕元にも置かれていなかった。布団をめくってみても見つからず、あたしはだんだん不安になってきた。


「ちょっと待って。まさか夢の中限定!?」


 それでは困る。せっかくの特別な教科書なのに、目が覚めたら消えてしまうなんて聞いていない。


 慌てて布団の中まで探したところで、私はもう一つの特典を思い出した。


 無限収納。


 そうだ。あたしには、何でもしまえる収納能力もあるはずだ。


 試しに心の中で魔法基礎書を思い浮かべ、取り出すことを意識してみる。


 すると、目の前に先ほどの本が現れた。


「……おおっ!」


 思わず声が出た。


 表紙をなで、ページをめくってみる。夢の中で見たものとまったく同じで、紙の手触りも本の重さも、確かに本物だった。しかも、この世界の文字もちゃんと読める。ほんと、至れり尽くせりね。


 今度は収納することを意識してみると、本はすっと姿を消した。


 もう一度取り出してみると、また目の前に現れる。


 しまって、取り出して、またしまう。


 何度繰り返しても、思ったとおりに本が現れたり消えたりするのが面白くて、あたしはすっかり夢中になってしまった。


「……楽しい!」


 ずっと憧れていた魔法が、本当に使えるのだ。収納能力だけでこれほど楽しいのだから、火や水を操れるようになったら、いったいどれほど興奮するんだろう。


 そんなことを考えていたところで、廊下から足音が聞こえてきた。


「あっ、まずい!」


 あたしは慌てて本を収納し、何事もなかったように布団へ潜り込んだ。


 直後、扉が控えめに叩かれる。


「マナリアお嬢様、お目覚めでしょうか?」

「はーい!」


 元気よく返事をしながら、私は心の中でこっそり笑った。


 これから四年間、魔法が使えることは秘密にしなければならない。けれど、誰にも見られないように練習して、少しずつ上達していけばいいのだ。


 そして五歳になったら、スーとラーがやって来るし、七歳になったら、堂々と魔法を使えるようになる。


 その頃には、きっとすごい魔法使いになっているはずよね。


 あたしは窓の外に広がる青空を見上げた。そういえば、空の色や太陽が光り輝いているのは地球と同じなのね。


 前世では、何をするにもお金や時間の心配ばかりしていた。けれど、今は違う。これからの人生には、楽しいことがたくさん待っている。


「よーし、がんばるぞー!」


 小さな拳を握りしめ、あたしはこっそり気合いを入れた。


 まずは魔法基礎書を読んで、練習方法を覚えるところから始めよう。


 ……ところで、三歳児がこんな難しそうな本を読んでいたら、さすがに怪しまれるのではないだろうか。


 あたしはしばらく考えたあと、魔法基礎書を収納したままにしておくことにした。


 うん。やっぱり、こっそり読むことにしよう。何しろあたしには、秘密がいっぱいあるのだから。せっかくの異世界転生なのに、三歳から秘密の管理に追われるとは思わなかった。


 ……あたし、もう少しお気楽な人生をイメージしていたんだけどなぁ。



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