第77話:蝕まれた守護者
次の日。朝食を終え、準備万端の二人は再び森へと繰り出した。
昨日のように川沿いを中心に森を巡り、瘴気がないか確認していく。
朝の空気は思ったよりも冷たく、あっという間にディアナの身体から熱を奪っていく。
ぶるりと身震いをして、ディアナは首を埋めるようにショールの前を合わせ直した。
「ねえノエル。ドライアドのことなんだけど」
歩き回ることしばし。昨日と変わりない森の様子を眺めながら、ディアナは前を歩くノエルへ声を掛ける。
「やっぱり、森に異常があるのに守護者であるドライアドに何もないっていうのはおかしいと思うの。
貴女の言葉を信じていないわけじゃないんだけど。
私も見に行ってもいいかしら。もしかしたら、ここ数日で変化があったかもしれないし」
昨日森を見回っていて、ディアナは疑問に思うことがあった。
森の瘴気は、木のマナが歪み生じていることが多いと言ったノエル。
木のマナを回復させるために水の精霊の力を借りていると言っていたのに、水のマナが豊富なはずの水辺に瘴気が発生することが多いという矛盾。
論理的に考えれば、水辺に多いなら、水のマナが歪められているはずだ。
だが、実際に歪んでいるのは、木のマナ。
——水辺だから、瘴気が多いのではなく。
この川だから、多いのではないか。
ディアナは川へ目をやる。ミシュトレイの横を流れる大河から分かたれているという派川。
都市周囲で瘴気が発生しているという話は聞いていない。
ならば、原因は分かたれたあと。森の中央を通り、南東へ流れていくまでの間に、必ずあるはずだ。
森の中央に、ドライアドの大樹はあるという。
……無関係だとは、どうしてもディアナには思えなかった。
ディアナの提案を聞き、ノエルは足を止め振り返る。
「そうですね。私もそろそろもう一度様子を見に行こうと思っていたところなので。
ただ、ドライアドの大樹があるところは森の中心部なので結構離れていて。
ディアナ様には、少し大変かもしれません」
「大丈夫よ! 今は朝だもの。まだ足は絶好調よ」
心配するノエルの言葉を少し大げさに否定し、ディアナは自信満々に胸を張る。
その様子に微笑みながら、「なら行きましょう」とノエルは森の奥へと足を向けた。
川を遡るように進んでいく。澄んだ川底には魚が泳ぎ、水面を濃い緑の葉や白い花の綿毛が流れていく。
涼しげな水の音を聞きながら歩くことしばし。ディアナは急に開けた場所に出た。
陽光が頭上から差し込み、陽だまりを作っている。
川の流れに寄り添うように、一本の大樹が静かにそこに在った。
森の中にぽっかりと開けた大地に、大きく根を張り枝葉を伸ばしている。
幹は長い年月を重ねてきたことを表すかのように太く、大人が数人がかりでも取り囲めなさそうだというのが遠目でもしっかりわかった。
その根元には小さな白い花が絨毯のように咲き乱れ、穏やかな風に吹かれそよそよと揺れている。
綿毛が風に乗り飛んでいる。川へ落ち、流れへ乗る種は、どこか遠くでひっそりと芽吹くのだろう。
一見すれば牧歌的なその光景に、ディアナは違和感を覚える。
まるで、すべてが舞台上の張りぼてのような。
輝かしいはずのその生命の煌めきが、ただの人工的な明かりのような。
ほんの小さな違和感。
だが、無視することはできず、ディアナは足を止めた。
「ディアナ様? どうしました」
ドライアドのほうへ近づこうとしていたノエルが、ディアナの様子に気付き振り返る。
その瞬間、不意にブローチが熱を持ったように感じた。
同時に、ノエルの向こう側で幹に巻き付いていた蔓がのそりと動いたのを、ディアナは見た。
「危ない!」
咄嗟に駆け寄り抱き着くように突き飛ばす。蔓はノエルとディアナの横を掠め、鋭い音を立てて地面を抉った。
慌てて距離を取り、ディアナは大樹を見る。
先程までの生命溢れる姿は一変し、蔓は魔物のように蠢き、その太い幹に開いた洞の中で禍々しい赤い種子がぎょろりと覗いていた。
まるで血塗られた瞳が覗いているようでぞっとする。
そんなディアナの目の前で、蔓に成った小さな果実がずるりと地に落ちる。
べちゃりと嫌な音を立てて潰れた実は、すぐに地へ溶けるように吸収され……そうして、白い小さな花を咲かせた。
異様な光景を前にして、ディアナは気付く。
落ちた実から咲いた、白い小さな花。
あれこそが、瘴気の原因なのではないか。
綿毛を飛ばし、川を下り——流れ着いた先で、木々のマナを奪い、瘴気を発生させる。
瘴気は、二次被害だったのだ。
本当の目的は、この大樹。——ドライアドの宿る、この木を蝕むことだった。
「そんな……さっきまで、何もおかしいところなんてなかったのに」
豹変する大樹を見て、ノエルが青ざめる。
「ドライアドがいない」
「どういうこと?」
動揺するノエルを支えながら、ディアナは問いかける。
「ドライアドを含む上位精霊は、大樹や泉のような宿主から基本離れられません。
自然と共に生まれ、自然と運命を共にします。
——だから、おかしいんです。大樹があるのに、ドライアドの気配がしないなんて」
声を震わせながらも、ノエルは気丈にディアナの問いへ答える。
「あの蔓や種子がドライアドを隠してしまっているのかしら。
あれに見覚えはある?」
禍々しい蔓と種子を目にし、ノエルは首を振る。
「あんなもの、数日前までありませんでした。本当に、いつも通りだったんです」
「あの白い花も?」
「花? 花は……」
記憶を探るように、ノエルは目を伏せる。
「——あったかもしれません」
「あの蔓から落ちた実が、白い花を咲かせるのを見たわ。
きっと、あれが原因なのよ」
もし、魔女のノエルにも気付かれないように、ひっそりと大樹や森を蝕もうとしていたのなら。
——それは、明らかに何者かの意思が関係しているように思えた。
「国に報告しないと」
ぽつりとノエルが呟く。
「これはもう、私だけでは手に負えません。
何らかの悪意が確認された以上、早急に国に報告し、対処してもらわなければ。……手遅れになってしまう」
「対処って……どうするの?」
努めて冷静さを装うノエルの言葉に不穏な空気を感じ、ディアナは思わずそう尋ねる。
ノエルはディアナの言葉にぐっと唇を引き結んだあと、静かに口を開いた。
「あの大樹を燃やします。——あそこまで、大樹と一体化してしまっていたら。もう、そうするしかありません」




