第76話:夜の語らい
途中で昼休憩を挟みながらしばらく森の中を二人で見回り、小屋に帰りついたのは日が傾き始めた頃だった。
森の中は陽が落ちるのが早い。あまり長々と歩き回るのは危険だというノエルの助言に従い、小屋に戻ったディアナは椅子に座り足を休めた。
調査で歩き回っていたときはそこまで意識に上らなかったが、こうして気が緩むと痛みがじくじくと襲ってくる。
ほぼ一日歩き詰めだったのだ。こうなっても仕方ないだろう。
息をつくディアナの背後で、ノエルはてきぱきと入浴の準備をしている。
「今お風呂を入れますので、ディアナ様は先にお入りください」
「助かるけど、ノエルはどうするの?」
「私は夕飯の支度をしておきます」
さすが森育ち。体力が違う。
まったく疲れを見せず家のことをこなしていくノエルを見て、ディアナは少々恥ずかしくなった。
「料理でも習ってみようかしら」
生活力のなさをちょっぴり気にしながらそう呟いていると、ノエルがひょっこりと顔を出した。
「お風呂湧きました。お先にどうぞ」
「ありがとう。……片づけは手伝うから」
交渉が長期戦になったときのためにと、念のため用意していた泊まり用の荷物を持ち、ディアナは案内され浴室へ向かう。
羽織っていたショールを脱ぐと、ノエルがさっとそれを回収した。
「少し濡れているので、居間で乾かしておきますね」
「そう? それじゃあお願いね」
ブローチごと手渡し、ディアナは温かな湯舟へと浸かる。
ちょうどいい湯の温度と仄かに漂う薬草の香りが心地よく、ディアナは身も心も安らぐのを感じた。
ノエルと交代し入浴を終え、二人で静かに夕飯を食べる。
質素だが温かみのある料理が並ぶのを見て、ディアナはその数の多さに目を丸くした。
「すごいわね。こんなにたくさん、一人で作ったの?」
「下ごしらえは、レプラコーンが手伝ってくれるので。
窓に置いてあるクッキーには触らないでくださいね。彼らへの報酬ですから」
窓枠に置かれた、小さな皿へ目を移す。そこにはクッキーが二、三枚置いてあり、そのうちの一枚は小さく齧られた跡があった。
「普段はここまで用意しません。一人分なら、一皿だけで十分なので。
——誰かと食べるのは、久しぶりなので。つい、張り切ってしまいました」
照れくさそうに微笑むノエルを見て、ディアナは胸が締め付けられるような気持ちになる。
ディアナにとっては当たり前の、家族と囲む食卓。
それが、ノエルにはもう遠い記憶でしか味わうことのできないものなのだと、気付いてしまったから。
「……あのクッキーは、ノエルが焼いたの?」
「あ、はい。魔女は菓子作りも習うので」
「そう。ローラ……私の侍女はね、お茶を淹れるのが上手なの」
突然の話題転換に不思議そうにしているノエルを、ディアナは微笑みながら見つめる。
「森の問題が解決したら、また一緒にお茶をしましょう。
そのときは、ノエルがお茶菓子を用意してね」
紺の瞳が瞬く。夜闇のような瞳の中に、小さな星が煌めいたように見えた。
ふわりと、ノエルは微笑む。
「——はい。喜んで」
夜。就寝するため案内された部屋は、かつて師匠が使っていたという部屋だった。
「すみません。この小屋には客人を泊める場所がなくて。
一応、普段から片付けてはいるんですが」
「全然気にしないわ。むしろ、大事な部屋を使わせてくれてありがとう」
一年前に亡くなったという先代の部屋は、十分手入れされ綺麗に整っていた。
大切な思い出を汚してしまわないようにと、細心の注意を払いディアナは荷物を机の上に置く。
「——あの」
もじもじとしながら、ノエルは何やら言い難そうに口を開いた。
その視線の先には、畳んで机の上に置いてあるショールがある。
「どうしたの?」
ショールは夕飯を食べている間にしっかりと乾いていた。
明日も着ていこうと思っていたが、もしかしてほつれていたりしただろうか。
気になって続きを促すと、ノエルは迷うように揺らしていた視線をディアナへと向ける。
「……ブローチ、お預かりしましょうか?」
「え?」
まさかブローチのことだったとは。
きょとんと目を丸くすると、ノエルは慌てて手を振った。
「その、妖精が悪戯で隠してしまったらいけないので。
全然、無理にとは、言わないんですけど」
そんなこともあるのか。確かに、妖精は悪戯好きで有名だ。
別にそこまで高価なものでも、思い入れのあるものというわけでもないが、なくしてしまったらショールを羽織るのに不便だし、ノエルも気にするだろう。
「じゃあ……お願いしようかしら」
そうブローチを差し出すと、ノエルはほっと息を吐きそれを受け取った。
「明日の朝お返ししますね」
「ええ。ありがとう」
「それでは」
「あ、ちょっと待って」
出ていこうとするノエルをディアナは呼び止める。
そして振り返るノエルに向かって腰掛けた寝台の隣を軽く叩いた。
「よかったら、少しお話しない?
……ノエルが、疲れてなければだけど」
驚いたようにノエルは目を丸くする。
戸惑うように視線を泳がせ、……そして、小さく頷いた。
「はい。ディアナ様が、よろしければ」
◆
「ノエルは、いつからこの森にいるの?」
二人で寝台に腰掛け、ディアナは気になっていたことを口にする。
「六つの頃からです。魔女の力が強くなってきて、故郷では生きにくくなってしまって。
困り果てた母が、師匠に私を預けました」
「そんなに昔から? 知らなかったわ」
意外な事実に目を丸くすると、ノエルは控えめに微笑む。
「あまり、師匠以外の人とは関わらないようにしていたので」
ノエルの話では、魔女の力は遺伝するものではなく、個人由来のものらしい。
『魔女の瞳』といわれる、精霊や妖精を見ることができる瞳を持って生まれた者が、魔女となる。
その力は、正しく扱うことができれば精霊や妖精の力を借りることができるが、大体が不幸を呼ぶ力だった。
「この瞳は、見えすぎるんです」
そっと瞳を伏せて、ノエルは呟く。
「ある日、親しくしていたおばあさんの家の前に、見慣れない女の人がいるのが見えました。
大人に言っても、信じてもらえなくて。——数日後、おばあさんは亡くなりました」
バンシーという、死を告げる妖精の存在を、ノエルはこの森に来てから知ったという。
「他にもいろいろ。子どもは、分別がつきませんから。
母からも気味悪がられて、偶然薬師として訪ねてきた師匠に預けられたんです」
「そんなことがあったの」
悲痛な過去を淡々と話すノエルに、胸が痛む。
俯くディアナを見て、ノエルは慌てて首を振った。
「もう昔のことです。確かに、当時はつらいと感じたこともありますが。
……でも、私はこの森で魔女になれてよかったと思っています」
ここは、息がしやすいから。
そう話すノエルは、穏やかだった。
しばらく語り合ったあと、挨拶を済ませ、ディアナは寝台へと潜り込む。
一日の疲れがどっと押し寄せてくるのを感じながら、ディアナは先程のノエルの言葉を思い返す。
——はたして、森から連れ出すことはノエルのためになるんだろうか。
答えが出ないまま、ディアナは眠りの淵へ旅立った。




