第78話:あの日の再演
信じられない言葉に、ディアナは言葉を失う。
「燃やす? だって、あの大樹は——」
「ドライアドはいません。信じたくありませんが……おそらく、あれに呑み込まれてしまったんだと思います」
硬い声が淡々とノエルから吐き出される。感情の感じられない、平淡な声。
それが無性に、ディアナを苛立たせた。
「どうして? まだわからないじゃない。もしかしたら、あの蔓や種子だけ取り除いて、ドライアドを助ける方法があるかもしれないのに、燃やすだなんて」
「ディアナ様にはわかりません!」
言い募るディアナに被せるように、ノエルが叫ぶ。
その声には悲痛が溢れ、長年の孤独が響き渡るようだった。
「私たち魔女は、普通とは違います。精霊や妖精——普通の人には見えない、見たくもないものまでもが、見えてしまう。
ディアナ様には、まだ手があるように見えるかもしれません。
でも、魔女である私には、見えてしまう。
……もう、無理なんです!」
紺の瞳が、きつくディアナを睨んだ。
その瞳に浮かぶ絶望と、ある種の諦念が、ディアナにあることを思い起こさせる。
「魔女である私には、この森を守る義務があります。
そのためなら、私はどんなことでもやります。
——そう、しなければならない」
震える声が、かつての自分を呼び起こす。
ノエルは、少し前のディアナと同じだ。
役割に己を縛り、その道以外はないと信じ、他へ目を向けることを許さず。
そうすることでしか、自分の存在理由を肯定できなかった、少し前の自分と。
湧き上がる怒りに押され、ディアナはノエルの肩を掴む。
かつての自分を叱るように。その顔を俯くことを許さないというように。瞳を伏せるノエルをまっすぐに見据えた。
「魔女としての考えなんか、どうでもいいわ。
——貴女は、どうしたいの」
ノエルの目が大きく見開かれる。
「ドライアドは、家族なんでしょう?
ずっと、一緒にいたんでしょう?
——悔しくないの? こんな、誰のものかもわからない悪意に、好き勝手されて」
「私、は……」
「綺麗事はいらないわ。偽りのない、貴女の本心を聞かせて」
紺の瞳に透明な幕が張る。まるで、頑なに凍らせようとしていた心が、ディアナの熱にあてられ溶け出すように。
くしゃりと表情が歪む。その頬を、一筋の涙が伝った。
「——助けたい。ドライアドを。
このまま諦めるなんて、いや」
「それでいいのよ」
身体を離す。ディアナは未だ不気味に蠢く大樹へ視線を戻した。
蔓は意思を持ったように動いているが、最初以上の攻撃を仕掛けてこようとはしていなかった。
もしかしたら、遠くから見守っている限りは敵意を向けてこないのかもしれない。
「もう手遅れ、という考えは捨てましょう。助けられることを前提に手段を考えるの。
どうしたら、あの大樹からあの蔓と種子を引き剥がせると思う?」
涙を拭き顔を上げたノエルは、もう狼狽えてはいなかった。
静かに考え込むように黙り込んだあと、すっと指を大樹の奥へと向けた。
「大樹のもう少し奥に、ウンディーネの宿る泉があります。
ウンディーネを召喚し、ドライアドの力を増幅することができれば、暴走を内側から抑えてくれるかもしれません」
「なるほどね。良い案じゃない」
「問題は、泉の位置が私たちがいるここよりも大樹に近いことです。
召喚を行うには、泉の淵まで行かなければいけません。
大樹の攻撃範囲に入ってしまうかも」
それは確かに心配だ。
召喚中、ノエルは身を守ることができない。もしも大樹の妨害にあってしまえば、命の危険にも繋がりかねない。
何か代替案はないかと考えているディアナを横目に、ノエルは杖を取り出しながら言った。
「泉の向こう岸なら、大丈夫かもしれません。
ディアナ様は、ここにいてください。もし私に何かあったら、すぐに村へ行って国へ報告を入れるようにお願いします」
「待って。私も傍まで——」
「だめです」
ついていこうとするディアナをノエルは止める。
「私には魔法の心得がありますが、ディアナ様には身を守る術がありません。
もし、ディアナ様に何かあったら、レナード様に顔向けができません。ここにいてください」
「でも、私が言い出したのよ? それなのに、何もしないなんて……」
「そんなことはありません」
反論するディアナの言葉を、ノエルは微笑みながら否定する。
「ディアナ様は、私に勇気をくれました。
それだけで、十分なんです」
「ノエル……」
「何かあったら、村へお願いします」
それだけ再度言い残し、ノエルは木々の中へ入っていく。
開けた場所を避け、ぐるりと泉まで回り込むつもりなのだろう。確かに距離を保っていれば少しは安心だ。
どうか何事もなく泉まで辿り着きますように、とディアナは両手を組み祈る。
ディアナの心配をよそに、大樹は特に大きな動きを見せなかった。
これなら案外大丈夫かもしれない、と気を緩みかけたそのときだった。
ぴくりと蔓が反応する。鋭く風を切り一直線にノエルへと向かう蔓は、激しい音を立て周囲の木々へとぶつかった。
難を逃れたノエルは素早くその場を離れる。しかし一度射程内に入ってしまったからか、それともノエルの意図を見抜いているのか。
蔓は執拗に彼女を狙い、その身体を絡めとろうと迫る。
しかし周辺の木々がうまくノエルの身体を隠してくれ、蔓の攻撃がノエルに届くことはなかった。
しばしの応戦のあと、蔓は不意に動きを止める。
不気味なまでの静けさを保つ蔓は、まるで何かを考えているようにも見えた。
何か起きる前に、早くウンディーネを召喚しなければ。
ディアナと同じことを考えているのか、ノエルの足が速まった。あと少しで泉に辿り着く。
そんなもう少しのところで、ノエルの足元が突然隆起した。
「え——っ」
驚くノエルの足元から生えてきたのは、巨大な根。
地を割り突き出した太い根はノエルの足元に絡みつき、容赦なく木々の中から引きずり出す。
堪らずディアナは悲鳴を上げる。
「ノエル!」
「くっ——!」
引きずられながら、ノエルは腰の袋から赤い石を取り出し呪文を唱える。
生まれた炎が根を覆い、その熱に怯んだのか根は大きく身悶えた。
ノエルの足を掴んでいた力が緩む。その隙に、ノエルは根から這い出し泉のほうへ駆けた。
その後を追うように蔓が迫る。それに応戦するようノエルは杖を構えたが、蔓のほうが早かった。
彼女の腕を蔓が打つ。弾みで手から零れ落ちた杖は、蔓の追撃に大きく弾き飛ばされてしまった。
「いけない……!」
杖がなければ召喚はできない。杖が転がるのを見て、脇目も降らず、ディアナは木々の間から飛び出した。
開けた場所に転がる杖を拾う。ノエルのほうを見るのと、視界に蔓が飛び込んでくるのは同時だった。
やけに蔓の動きがゆっくりに見える。
槍のように切っ先を向けた蔓が、ディアナの視界いっぱいに広がる。あんなものに身体を貫かれてしまったら、死は免れないだろう。
想像した痛みと死への恐怖で身体は固まり、ディアナは庇うように両腕で顔を覆った。
次に訪れる痛みに耐えようと、きつく目を閉じる。
——暗闇の中、衝撃が弾けた。
耳元を何かが激しく燃える音が掠め、しかし熱は感じなかった。
強い風がディアナの髪を乱し、その肩から留めていたはずのショールが滑り落ちる。
誰かの気配に、ディアナは恐る恐る目を開いた。
あの日と同じ、黒い世界がそこには広がっていた。
燃え上がる異質な炎が蔓を阻み、目に映るすべてのものを黒に染め上げていく。
あの日と違うのは、たった一つ。
黒づくめの背が、ディアナを守るよう大樹へ立ち塞がっていることだけだった。




