第74話:届いた言葉
取り付く島もないとは、まさにこのことだった。
静かな拒絶を前に、ディアナは戸惑い口を閉じる。
気まずい沈黙が落ちる中、その空気を破ったのは扉を激しく叩く音だった。
何かとディアナが振り向く先で、村人が慌てて飛び込んでくる。
「大変だノエル! また瘴気が出た」
村人の言葉にノエルはさっと顔色を変える。
急いで立ち上がり、外していたフードを被り直すとそのまま扉から外へ出ていこうとした。
「待って! 私も行くわ」
「ディアナ様はこちらでお待ちください」
「なにかあったんでしょう? 手伝えることがあるかもしれないわ」
言葉を交わす時間も惜しいのか。ノエルは一度だけディアナを止めようとしたが、それ以上は何も言ってこなかった。
さっさと外へ出ていってしまうノエルの後を慌てて追う。
ノエルと村人は森の奥へ向かっているようだ。村とは反対のほうへ進んでいく二人を追いながら、ディアナは周囲を観察する。
この森は街道の整備や開墾の際に取り残された、中規模の森だ。狂暴な魔物などは生息しておらず、狼もいない。
ウサギやリスなどの小型の動物がほとんどで、大きくても鹿や猪くらいのものだった。
穏やかな陽光が木々の間から差し込んでいる。村に恵みを与える、資源豊かな森。
だが、この平和な森で何か異変が起こっているらしい。
森の中腹辺りで、ようやくノエルは立ち止まる。木の根元にしゃがみ込むノエルの背後から、ディアナはそっとその足元を覗き込んだ。
黒い靄のようなものが木の根元に漂っている。
それは小さいが決して霧散することはなく、ずっと同じところに留まり続けていた。
「よかった。まだこれくらいなら……」
安堵しながら、ノエルは腰の袋から青い石を取り出す。
そして両手で包み込むと、目を閉じた。
手の隙間から青い光が粉のように零れていく。その光が靄へかかると少しずつそれは薄れ、やがて消えてしまった。
「助かったよ。今朝はなかったんだが、気が付いたらどんどん出てくるんだから困ったもんだ」
ふうと息を吐くノエルの横で、村人も胸を撫で下ろす。
話しぶりから、結構な頻度で瘴気は生まれているようだった。
「瘴気というのは、いったいなんなの?」
状況が落ち着いたのを見計らい、ディアナはノエルへと気になっていたことを尋ねる。
すると、ノエルは今初めてディアナがいることに気が付いたというようにはっと振り返った。
驚いた瞳と目が合い、ディアナは首を傾げる。
「どうしたの?」
「いえ、その……」
戸惑うように瞳を揺らし、ノエルは気まずそうに目を伏せる。
「申し訳ありません。脇目も降らず、ディアナ様をないがしろにしてしまい」
「なんだ、そんなこと?」
何か変なことを言ってしまったかと内心不安を感じていたディアナだが、ノエルの言葉にほっと息を吐く。
「大丈夫よ。これでも子どもの頃は素材収集のために野山を駆け回っていたんだから。
後をついていくくらいわけないわ」
「……そう、ですか」
それはそれとして、令嬢としてどうなんだ。
戸惑うノエルの瞳はそう語っているようにも見えたが、ディアナは無視した。
「——瘴気は、自然界に発生する澱みです。
これがあまりに大きくなりすぎると、周囲の環境に悪影響を与え、最悪魔物が発生してしまうこともあります」
改めて、ノエルは先程のディアナの疑問に答えてくれる。
具体的には、食物が枯れやすくなったり、水が濁ったり、更には大気まで穢していくという。
放置しておくと危険なため、国は定期的に育ってしまった瘴気の浄化を行っているのだそうだ。
ノエルの説明を聞き、ディアナは何か繋がったような気がした。
この魔女が、契約の引継ぎをひたすらに固辞する理由。
『自分には過ぎた役目』と言っていたが。きっと、本当の理由は。
「——この瘴気があるからなのね?」
ディアナの問いに、ノエルの瞳が僅かに揺れる。
それで十分だった。
屈み込んでいた上体を戻し、ディアナはまだしゃがみ込んだままのノエルに手を伸ばした。
「小屋に戻りましょう。話してくれるわよね?」
◆
「——瘴気が増えているんです」
小屋に戻り、再び机を挟んで向かい合った二人の口火を切ったのは、ノエルの静かな言葉だった。
先程までの揺るぎない態度とは違い、その紺の瞳には不安と焦燥がありありと揺らめいている。
「瘴気自体は、元々この森でも自然に発生するものです。ですが、その頻度はひと月に一度あるかどうか。
自然に満ちるマナの歪みが発生の理由なので、自然の浄化作用が上手く機能していれば、そうそう起こることはありません」
それが、最近は多過ぎる。
机の上で軽く重ねられていたノエルの両手が、言葉に隠れた感情を物語るようにぐっと握りしめられる。
「数日に一度は当たり前。下手をすれば、一日に何度も。
今は妖精の力を借りて瘴気の発生源をいち早く突き止めることで、大きく育つ前になんとか浄化できています。
……ですが、それもいつまでもつか」
項垂れるノエルを、ディアナは痛ましそうに見つめる。
「国には報告したの?」
「はい。一度調査団がいらしてくださったのですが、特に原因となるものはなかったそうです。
まだ魔物発生に至るような大きな瘴気は確認されていないので、当面は今の対応を続けるしかないというお話でした」
それはつまり、ノエル一人にこの森の責任を押し付けるということだ。
国の身勝手な結論に、ディアナは自然眉を寄せた。
「私の状況は、ご理解いただけたかと思います。
——今、私がこの森を離れるわけにはいきません。
これ以上、他に心を向ける余裕が、私にはないのです」
申し訳ありません。
ノエルは再び深く頭を下げた。
「……わかったわ」
ノエルの心の一端を垣間見て、そう呟く。
その言葉を受け、安堵したように顔を上げたノエルの手を、ディアナは力強く握った。
「一緒に、どうすればいいか考えましょう。
瘴気をこの森から消し去る方法を」
「……え?」
「まずは瘴気がどのような場所に出るのか、改めて見てみたいわね。
それと、さっきの浄化? あれも一度おさらいしておきたいわ。
森に瘴気が増えているという話だけど、村には異常ないのかしら。村の人に話を聞いてみるのもいいと思うの」
ぽかんとするノエルを前に、ディアナは指を折りながら今後の計画を語り出した。
「瘴気の発生を把握するのに妖精の力を借りてるっていうのは、こちらの提示した範囲を巡回してくれるっていう認識でいいの?
妖精ごとに巡回区域を割り振ることで、もっと効率的に森の状況を把握できないかしら」
「ちょ、ちょっと待ってください」
どんどん先へ進もうとするディアナを、ノエルは慌てて制止する。
きょとんと見返すディアナの視線を受けて、魔女は戸惑ったように視線を泳がせた。
何を言おうか迷いつつ、その口を開く。
「……妖精に、そんな細かな指示はできません。彼らは、気まぐれですから」
「あらそうなの」
「いえ、すみません。ちがいます。……そうではなくて」
言葉を探しながら、ノエルは居住まいを正す。
「お気遣い、有難うございます。
ですが、これは魔女である私の問題です。
ディアナ様が心を砕く必要はありません」
「違うわ」
ノエルの言葉を、ディアナはきっぱりと否定する。
「ノエルはもう、友達でしょう。なら、友達の問題は私の問題でもあるわ。
心を砕いて、何が悪いの」
面食らった顔をして、ノエルはディアナを見つめる。
その表情は、今まで頑なに魔女としての仮面を崩さなかったノエルが初めて見せる、年相応の少女のものだった。
「……ともだち」
「そうよ。テーブルを挟んでお茶を楽しんだら、それはもう友達だわ」
未知の言葉を口にするように、ノエルは呟く。
ほんのりと頬を染めながら、ノエルはきつく握りしめていた指先をもぞりと動かした。
「初めて言われました」
「そうなの? うちに来たら、うるさいくらい言われるわよ。お節介な幼馴染が多いから」
ローラとリックの幼馴染コンビを思い浮かべながら、ディアナはくすりと笑う。
そして颯爽と立ち上がった。
「さあ。もう一度森を見てみましょう。
一人では気付けなかったことも、二人ならわかるかもしれないわ」
ノエルは座ったまま、ディアナを眩しそうに見上げる。
一度目を閉じ——ゆっくりと頷いた。
「はい。よろしくお願いします」




