第71話:零れ落ちた本心
自室に戻り、ディアナは森へ向かう準備を始めた。
東の森へは馬車で二時間。街道も整備されているので、比較的安全に行くことができる。
未だ落ち着かない憤りをぶつけるように、やや乱暴にカバンへと荷物を詰める。遊びだと思っているのか、その近くをラーノが鳴き声を上げながら飛び回っていた。
はらはらとその様子を見ていたローラが、決意したように顔を上げる。
「やっぱりお一人でなんて心配です! この前あんなに危ない目に合ったばっかりじゃないですか。
せめて、私も一緒に連れていってください!」
「ローラ……」
ローラの心配してくれる気持ちは嬉しい。彼女が、本当に心の底からディアナのことを想ってくれているのが伝わるから。
でも、その想いがどこからくるものであろうとも、ディアナは一切の心配を受け取る気がなかった。
「ありがとう。でも、心配はいらないわ。東の森には魔術師もいないし崖崩れの心配もない。あるのはのどかな集落と、私と同じくらいの年頃の魔女の家だけよ。少し話をしてくるだけ」
「でも……」
「それに、ラーノのお世話があるでしょう? やんちゃなこの子を任せられるのはローラだけだわ。お願いね」
事実、ラーノはそれはもう悪戯好きで、ローズベルト家に来てから花瓶は倒すわ庭の花をむしるわ好き勝手にはしゃいでいる。
きちんとやってはいけないことを伝えるとその場では理解するが、楽しいことがあるとすぐに忘れる。
もう少し落ち着くまでは屋敷の外に出すことは難しい。自然、屋敷内で世話をする人間が必要だった。
「それは、そうですけど……」
納得しきれない様子のローラは、何か同行できる理由がないかと探すように視線を泳がせる。
そこに来訪を告げるノックの音が響いた。現れた人物を見て、ローラはぱっと表情を明るくさせる。
「奥方様」
「レナードから話を聞いたわ。東の森へ行くのね」
セシリアはバツが悪そうに黙り込むディアナと、横に立つローラを見る。ローラはセシリアならば自分の味方になってくれるだろうと、期待を込めてセシリアを見つめていた。
「奥方様。どうか私にお嬢様へ同行する許可をください。いくら東の森だからって、お一人でなんて心配です」
「ありがとうローラ。でも、ディアナと二人で話をさせてもらえないかしら」
味方だと思っていたセシリアにやんわりと退室を促され、ローラは驚いて目を丸くする。
それはディアナもだった。てっきりディアナを諭すために来たと思っていたのに、ローラを遠ざけようとする意図が分からず戸惑いながらセシリアを見上げる。
ディアナの視線を受け、セシリアは穏やかな笑みを浮かべた。そしてローラへ視線を移す。
「貴女にはラーノのお世話をお願いしたいわ。まだ他の人では無理だから」
「……はい」
ディアナに続き、セシリアにまで言われてしまったらローラにはもう打つ手はない。
わかりやすくしょんぼりと肩を落とし、ローラはラーノを連れて部屋を出ていった。
沈黙が落ちる。
まとめていた手元の荷物に目を落とし、ディアナはただセシリアの言葉を待つ。
いったい、お母様は何を言うつもりなのだろう。
何を言われても、ディアナの決意は変わらない。
東の森へは一人で行く。
魔女の説得も、自分一人で成し遂げてみせる。
そんな、頑なに凝り固まったディアナの決意ごと包み込むように、視線を落としていたディアナの肩に柔らかく温かな布地が掛けられた。
「森で冷えるといけないから」
驚いて顔を上げると、セシリアの穏やかな視線とぶつかる。
ディアナのすべてを認めてくれるような深い母の眼差しに、意固地になっていた心が少しだけ緩むのを感じた。
「——お父様がいけないのよ。いつもリヴィウスリヴィウスって。
お父様は私のことを、リヴィウスのお守りがないと何もできない子どもだと思ってるんだわ」
セシリアはただ黙ってディアナの言葉を聞いている。それが余計に、ディアナの口を軽くさせた。
一度箍が外れてしまうと、溢れ出す想いは止まらない。
少しずつ降り積もっていた不満は堰を切ったようにあとからあとから湧いてきて、何を言っているのかもよくわからないまま、ディアナは思いつくままに言葉を吐き出す。
「夜会のことだってそう。どうしてお父様の横にリヴィウスがいるの? 私のほうがずっと、先だったのに。
そんなの、ずるい。悪魔のくせに、どうしてあんなに馴染むのが早いのよ。もう少し、困ればいいんだわ。
だって——」
胸が苦しい。怒りなのか、悔しさなのか、名前のつけられない感情がぐるぐるとディアナの中で暴れ回っている。
なぜか不意に、ケレメン家での競売の夜を思い出す。
ランタンを短剣で破壊しようとした、あの二人だけの室内で。
刹那心に浮かんだ、あのときはあり得ないと思っていた『もしも』の未来を思い描いた、あの夜を。
「——私の悪魔なのに」
ぽつりと言葉が零れる。
目の前で黙って話を聞いていたセシリアの目が驚いたように瞬くのを見て、ディアナははたと我に返った。
自分の言葉を脳内で反芻する。少し遅れて、かああ、と顔に熱が集まるのがわかった。
なんてこと。
これではまるで、お気に入りのおもちゃを取られて駄々を捏ねている子どもではないか。
羞恥心から頭を抱えていると、「あらあら」とセシリアが楽しそうに微笑んだ。
「……子どもみたいって思ってるんでしょ」
「そんなことないわ。ただ、リヴィウスが聞いたらなんと言うかしらと思っただけよ」
セシリアの返しに、ディアナは嫌そうに眉を寄せる。
「絶対に言わないでね。どうせ、『俺は物じゃない』って怒るんだから」
「もちろん、言わないわ」
掛けたままだったショールをまとめ、ブローチで留めてくれる。
金細工のそれは石の代わりに色ガラスで装飾されていて、普段使いのものとしてはなかなか素敵な代物だった。
見覚えのないブローチから視線を上げて、「貸してくれるの?」とセシリアへ尋ねる。
「あら。貴女のよ」
微笑むセシリアを見て、そうだったろうかと首を傾げる。
あまり身に覚えがないが、ずいぶん前に買ったものかもしれない。
自分の持ち物すら把握できないくらい、最近の忙しさで頭が回らなくなっていることをディアナは少しだけ反省する。
「気を付けていってきてね」
「ええ。行ってきます」
セシリアに見送られ、ディアナは森へと出発した。




