第69話:遠い背中
——こうして。
長旅の疲れを癒したり、企画案の修正を行ったり、忙しく日々を過ごすこと五日。
とうとうリヴィウスの、専従魔術師としての衣装が出来上がった。
深い黒を基調とした衣装に、細やかな金の刺繍と装飾。
かっちりとした隙のない着こなしは高潔さを印象付けながら、短い手袋から覗く手の甲の肌色が妙に色気を醸し出していた。
胸元では商会の一員であることを示すバラと光を象ったバッジが光り、上から羽織るマントにはミシュトレイの魔術師ギルドに所属している証である印章が刻まれている。
ローズベルト商会の専従魔術師として、これ以上ないくらい完璧な装いだった。
「リヴィウス様の新しい衣装、とっても素敵ですね、お嬢様。
特に紫! 差し色に紫なんて、最高じゃないですか」
ウォルターと着こなしの最終確認をしているリヴィウスを眺めていると、横でローラが上機嫌に笑う。
確かに、ジャケットやベストの裏地、装飾のあしらいに紫が使われているのが見える。
だが、なぜそれでここまでローラが上機嫌なのかわからず、ディアナは首を傾げた。
「そこまで言うほど?」
「またまた。金と紫ですよ。完全に、お嬢様の色じゃないですか」
もー! と恥じらうローラを見つめ、きょとりとディアナは瞬きする。
「お父様の色なんじゃないの?」
「どうしてそうなっちゃうんですか?」
だってお父様だって紫の瞳じゃないか。
ローズベルト商会の専従魔術師ならば、当主の色を差し色にしてもおかしくない。
金はそちらのほうが全体のバランスが良かったんだろう。リヴィウスの瞳の色とも合うし、別におかしくはない。
うんうんと一人頷いているディアナに、ローラは肩を落とす。
そしてそのままリヴィウスへと視線を向けた。
「リヴィウス様。お嬢様にはもっとわかりやすくアプローチしたほうがいいですよ」
「それを聞いて、俺にいったいどう答えろっていうんだ?」
ローラの言葉を聞いて、リヴィウスが呆れた表情で合わせ終わったマントを脱ぐ。
クライン工房の女主人が、理想的な数字と言っていたのも頷ける。
ただ立っているだけで、リヴィウスは様になる。
『広告塔に』という言葉は、決してお世辞ではないのかもしれない。
本格的に考えてみようか、と頭の中で商人としての計算を働かせ始めたディアナの耳にノックの音が聞こえた。
この部屋の主はリヴィウスだが、ウォルターに装飾の扱いを説明されているところを見ると、どうやら応える気はないようだ。
仕方なく、ディアナが代わりにノックの主へ声を返した。
「どうぞ」
「失礼するよ。衣装合わせは終わったかな」
扉を開け、レナードが姿を見せる。そして専従魔術師の衣装に身を包むリヴィウスを見て、「ほう」と感心するように息を吐いた。
「よく似合っている。さすがリヴィウス、どのような服装もうまく着こなすな」
「当然だ。俺は何着たって似合う」
気を良くしたリヴィウスが軽く胸を張る。そんな彼に対して、レナードはとびきり人の良い笑みを向けた。
「これでようやく、正式な場に顔見せができるというものだ」
「……顔見せ?」
空気は一転。瞬時に訝しげな視線を送るリヴィウスを、レナードは涼しい笑みで受け流す。
「当然だろう。紹介したい相手は山のようにいる。
早速今夜の夜会から随行してもらおう。皆、専従魔術師はどんな人物かと興味津々の様子だからね」
リヴィウスが反論しようと口を開く前に、レナードはその手に書類の束を押し付ける。
「夜会の出席者リストだ。頭に入れておくように。
——やるからには、徹底的にやるのだろう?」
ああそれと、とついでとばかりに二、三追加で別の書類を押し付けていく。
「これは研究員からだ。この前提示してくれた、魔術式を用いた場合の仮想実験のデータがまとめてある。
いくつか改善したい項目を挙げているから、それに対しての回答を近日中に頼むよ」
リヴィウスは黙って書類を受け取った。
最早やり合うのも面倒、とばかりに深く息を吐き、目の前のレナードをじろりと睨む。
「人使いが荒いって言われないか?」
「人を使うのが上手いとはよく言われるね」
では、頼んだよ。
そう言って、レナードは爽やかな笑みを残し去っていった。
「いつか絶対に寝首を掻いてやる」
「娘の前でそういうこと言うの止めてくれるかしら」
ぼそりと呟かれた言葉に思わず突っ込む。
この悪魔、やろうと思えば本当にできるのだから笑えない。
ディアナの切実な訴えを気にも留めず、リヴィウスはマントを放りソファにどさりと腰を落とす。
そして黙々と渡された資料を読み込み始めた。
ここ数日、忙しかったのはディアナだけではない。
リヴィウスもまた、専従魔術師としての仕事をこなしていた。
その仕事の一つが、研究員への魔術的な助言だ。
魔道具を開発するにあたり、どこまでの魔術を用いてよいか。
より効率的に効果を発揮するためには、どのような術式を組めばよいか。
魔術師ギルド長であるヘンリーが定めた境界を把握し、その範囲内で研究員へ助言を与えること。
それが、リヴィウスの主な仕事だった。
そしてその仕事ぶりを見ていて、ディアナは気付いたことがある。
それは、リヴィウスは意外に人と関わることが嫌いではないということだった。
最初研究員たちと仕事をすると聞いたときは、どんな問題を起こすだろうかとひやひやしていたディアナもこれには驚いた。
口調や態度は相変わらずだが、ヘンリーやレナードに対するような反抗的な態度は見られない。
むしろ頼られると嬉しいようで、憎まれ口を叩きながらも得意げに力を貸している様子をディアナはたびたび目にしていた。
もう一つ気が付いたことは、リヴィウスは魔術師は嫌いだが、魔術自体は嫌いではないということだ。
ヘンリーとの共同研究の一環として、仮説式を魔道具に落とし込む作業のときも、やれこの術式は美しくないだとかこの演算は非効率だとか散々文句を言い、勝手に書き換えていたのをディアナは思い出す。
魔術師を嫌う悪魔のくせに、魔術は好きというのはいったいどういう了見なのだろうか。
本当に、リヴィウスはよくわからない。
本格的に仕事モードに入ってしまったリヴィウスの邪魔にならないように、ディアナはローラとウォルターを伴い部屋を出る。
……なんだろう。
リヴィウスが、専従魔術師として商会に馴染むのは、良いことのはずだ。
彼の立場が盤石になればなるほど、悪魔であることがばれる危険性は格段に減る。
契約者であるディアナにとって、それはありがたいことのはずだった。
なのに。
扉一枚の距離が、とても遠く感じる。
自室の机の上に広げたままの企画案が脳裏に浮かぶ。
睡眠時間を削っては資料を読み漁り、渾身の策と提出しては直される、大量の紙の束。
頭では理解している。ディアナは後継者といっても、ほんの少し素材について知識があるだけの、成人したばかりの小娘だ。
まだまだ学ぶことはたくさんある。未熟であることも、経験が全然足りないことも、十分に承知している。
でも、と意固地な心が小さく叫ぶ。
始まりは、同じだったはずなのに。
むしろディアナのほうが、ここには長くいるはずなのに。
——どうして、今はこんなにも立つ位置が違うのだろう。
胸の内で燻る自分勝手な感情には蓋をして。
ディアナは課題の続きに取り掛かるべく、自室へと足を向けた。




