第66話:以心伝心の一手
崩落が落ち着いた断崖を、ディアナは固い地盤の上からそっと覗き込む。
だいぶ高さがあるにもかかわらず、大量の土砂や岩が降り積もっているのが見て取れた。
あの中に埋まってしまったら、人間であればひとたまりもないだろう。ディアナは顔を上げ、周囲を見渡す。
「ど、どうしましょう。今すぐ救援を呼びに行かないと」
ルドルフの杖を握りしめ、おろおろと狼狽えるデニスを「落ち着いて」と宥める。
「リヴィウスがいるから、お祖父様もきっと大丈夫。ただ、あの状態だったら数分もしないうちに呼吸困難になるわ。
救援を呼びに行くよりも、早く二人をあそこから助け出す方法を考えないと」
リヴィウスだけならば、きっとすぐに戻ってくることができるのだろう。だが何の音沙汰もないのは、万が一にも悪魔であることがばれては困るからと、ルドルフの存在を気にかけてくれているからだ。
だったら、リヴィウスが魔術師としての力を十分に発揮できるようにしなければならない。
いったいどうしたらいいだろう。ディアナに魔術の知識はない。だが、あの悪魔の思考は少しだけ理解できる。
ふとディアナは腕の中の卵石を見下ろす。
なぜ、リヴィウスはディアナにこの卵石を託したのか。
ルドルフを助けるのに邪魔だったから?——片手が塞がっている程度で、リヴィウスが動きを阻害されるとは思えない。
万が一傷がついたら、課題達成にかかわるから?——ディアナに放り投げるほうが、傷がつく可能性はずっと高い。
では、なぜ?
「——これが、使えるってこと?」
ヴェクスの卵石が、光を受け緑色に輝く。
魔術の鎖に繋がれ、深い眠りについているヴェクスをディアナはじっと見つめる。
ヴェクスは竜種の中では小型だが、普通の魔物と比べれば明らかに巨体の部類に入る。
その肉体は、巨体に相応しい屈強な骨と筋肉を備えており、重量も見た目通り重い。
それなのに、鳥のように自在に空を飛翔できるのは、彼らが持つ魔力に関係がある。
『風の翼竜』
その名の通り、風のマナを内に秘めた彼らは、自らを縛る重力すら操ることができるのだという。
ヴェクスの卵石は、ヴェクスの体内で過剰に生じた魔力が結晶化したもの。
それならば。この卵石にも、同様の力が宿っているのでは——?
ディアナは腕の中の宝玉を見つめる。凹凸のない優美な流線形は、見る者に傷一つ付けることすら躊躇わせる。
一つ瞬きをする。
大きく息を吸い、ディアナは躊躇なくそれを地面に叩きつけた。
呆気なく硬質な音を立てて卵石は砕け、大きな破片が四方に散る。
それを手近の石で更に砕き、ディアナは卵石の粉を作っていった。
「ちょ、ディアナさん⁈ なにやってるんですか、せっかくリヴィウスさんが取ってきた卵石を!」
ディアナの奇行にデニスが慌てて止めに入る。その手に石を手渡し、ディアナは「貴方も手伝って」と頼んだ。
「細かく砕いて、それを撒くの。風の魔力の結晶だもの、きっとあの岩を浮かせてくれるわ」
「そうなんですか?」
「わからないけど」
「……わからないのに、砕いちゃうんですか?」
「やってみる価値はあるわ」
戸惑うデニスと共に、ディアナは卵石を砕いていく。
ある程度の量がたまると、ディアナはそれを崖下へと撒いた。
きらきらと光る緑の粉末が風に乗り、崩れ落ちた岩石や土砂に混じっていく。
両手をぎゅっと握る。
お願い、と祈るようにディアナはその光景を見つめていた。
——と。
身体に響く重低音と共に、僅かに巨石が動くのが見えた。
◆
障壁の向こうで巨石が動くのが見える。
想定通りうまくやったようだと、リヴィウスは重力から解放された土石を威力を最小限弱めた魔術で押しのけた。
これ以上断崖を刺激しないように巨石を動かす位置を調整し、ようやく人が通れるくらいの隙間を作るとリヴィウスはルドルフを振り返った。
「効果が切れる前に早く出るぞ」
「これは、何があった?」
「あいつが卵石を砕いて撒いたんだろ」
「……ディアナが? 卵石をか?」
「あいつならやる」
リヴィウスの答えにルドルフは驚き目を丸くする。
課題だった卵石を粉々に砕いたと知れば、そういう表情にもなるだろう。
隙間を通り抜け安全地帯まで下がってから、ルドルフはリヴィウスを試すように見据えた。
「……もし私が、『卵石を傷つけたから認めぬ』と言ったらどうする気だ」
「難癖付けるか? 俺は別にもう一つ課題をこなしたっていいが、あいつは怒ると怖いぞ」
そんなつもりもない癖に、やっぱり偏屈な爺さんだ。
リヴィウスの揶揄いを含んだ返しに、ルドルフはふっと力を抜き控えめにその口元を緩める。
「——そうか。怒らせるのは、やめておこう」




