第65話:本当の罪と赦し
「別に、その気持ちを否定する気はない。力がなければ、できる範囲で守ろうとするのは当然だ。
意思と能力が釣り合わないということは、往々にしてある。自分を責める必要はない」
だが、ディアナには俺がいる。
確固たる自信に満ち溢れたその言葉が空間を震わせ、揺るがぬ視線がルドルフをまっすぐ射抜いた。
「だから、お前が気を揉む必要はない。諦めて、あいつが走る背を黙って見ているんだな」
ああそうか。
ルドルフは、なぜディアナがこの傲慢で不遜な男を選んだのか理解する。
ずっと、ローズベルト商会の淑女として正しいと思う枠に、自身を押し込んできたディアナにとって。
すべての常識を打ち壊し、好きに走っていいと背を押してくれるこの男の言葉は、救いになったのに違いない。
「それに、傷つくことはそんなに悪いことか?」
黙り込むルドルフに、リヴィウスはついでとばかりに一つ疑問を投げかける。
「確かに致命傷になる傷もある。少し前、あいつはこれ以上ないくらいに傷ついた。俺でさえ、もう立ち上がれないだろうと思ったほどだ。
——だが、あいつは一人で立ち上がった。
それだけじゃない。あろうことかこの俺を言い負かし、そのおかげで、こうして俺は専従魔術師として働くことになってしまったわけなんだが」
やれやれと言いたげに首を振るリヴィウスは、言葉ほどその立場を憂いているようには見えなかった。
それどころか少し楽しそうに語る様子は、どこか誇らしげにも見えた。
「傷ついて、そのまま終わってしまう奴もいるだろう。だがディアナは違う。あいつは、ちゃんと立ち上がる強さを持っている。
なんせこの俺を言い負かしたんだからな。そこらの奴と同じであっちゃ困る」
月のようなアンバーの瞳が不敵に細められる。
その瞳は、ディアナをただの庇護対象ではなく、確かにその実力を認めていることを雄弁に物語っていた。
「これからもあいつは泥臭く傷つき、苦労はするだろう。それを、俺は止めない。
俺は俺のやり方で、あいつの願いを叶える。
——そのことを、ご祖父君には理解してもらいたいもんだ」
ルドルフは、レナードから報告を受けた魔術師ギルドで起きた騒動の一端を思い返す。
明らかになった兄の死の真相。商会も失いかけ、ディアナは孤独の中多くの絶望を味わっただろう。
だが、今のディアナはこれ以上ないほど輝いている。
それは、あの絶望を乗り越え、傷を受け入れ前に進むことでしか、得られなかった光だろう。
——その輝きは、かつて傍らにあった光を、ルドルフに否応なく呼び起こさせた。
『ねえ、ルドルフ』
かつての妻の声が、脳裏によみがえる。
包帯が取れたあとも、消えない傷を抱え。
後悔から顔を上げることができないルドルフを、困ったように見つめていた妻の声が。
『私の傷跡は、そんなに醜いかしら』
違う。そうではない。
彼女は、どれだけ傷つこうと、その光を損なうことはなかった。
顔を上げられなかったのは、自分が弱いからだ。
一番守りたかった者を守れず。
自らの罪の証を、肖像画として形に遺すことを許すこともできず。
どこまでも弱かったルドルフを、彼女は侮辱だと憤ることもなく、ただ黙って赦した。
彼女は、知っていたのだ。
どれだけ彼女が許すと言っても、ルドルフ自身が自分を許せないのだということを。
『いいの、ルドルフ。
好きなだけ、自分を責めたらいい。
……だけどね。いつか、貴方の本当の罪を、赦してくれる人が現れたら。
そのときは、もう自分を責めるのはやめてあげて』
なぜ、今それを思い出したのか。
それは、ルドルフがようやく、自身の罪を自覚したからに他ならない。
ルドルフの、本当の罪。
それは、妻を守り切れなかったことではない。
自分の弱さに、正面から向き合うことができなかったこと。
傷つけた後悔を。自分の不甲斐なさを。
受け入れ、妻と共に前に進む覚悟を持てなかったこと。
妻は、とっくに現実を受け入れていたのに。
それを拒み、仕事へ逃げ、最期まで彼女と向き合うことができなかった。
後悔で目が曇っていたルドルフは、自らに現実を突きつけた男を、ただ見つめる。
ルドルフの想いを、『力がない者の言い訳』だと言い切りながら、それを責める必要はないと赦した男を。
「——まさか、貴様に言われるとはな」
ポツリと零した言葉は、誰にも届かずルドルフの胸に落ちる。
過去を思い出すと疼く傷の痛みは、綺麗には消えない。
けれど、心は少しばかり軽くなっていた。
想いに耽っているルドルフをよそに、リヴィウスは腰を上げる。
巨岩を支える障壁を確認する背に、ルドルフは声を投げかけた。
「崩落は止まってるのか」
「それは収まってる。だが土砂もかなり崩れ落ちてるから、無理やり内側からのけるのは難しいな。
上の状況もわからない。下手に衝撃を与えないほうがいいだろう」
「どうする気だ」
ルドルフの問いに「待つしかない」とリヴィウスは答える。
「救助をか?」
「そんな時間はない。そろそろ息苦しくなってきたんじゃないか? 完全に密閉されているからな」
確かに、呼吸が苦しくなってきたのをルドルフは感じる。
だが、それならば何を待つというのだろう。腑に落ちないまま、ルドルフはリヴィウスを見る。
その視線を受け、リヴィウスは悠然と笑った。あの、自身と信頼に満ち溢れた眼差しで。
「決まってる。あいつがこの状況を打開する方法に気付くのを、だ」




