第64話:守る者の矜持
暗闇がルドルフを包み込む。一瞬気を失っていたのを自覚し、ルドルフは土の匂いがこもる空間で目を開けた。
身体中に鈍い痛みが走っているが、特に致命傷になりうる外傷はない。意思通り動く手足を確認し、ルドルフはゆっくりと身を起こす。
「気が付いたか」
少し離れた場所から、低い男の声がした。同時に人工的な光が空間に灯る。
魔術の光に照らされ、黒づくめの男が地べたに腰を下ろしているのが見えた。アンバーの瞳が光を反射し金色に揺らめく。
「障壁を張ってるから土石による圧死は心配しなくていい。だが、酸欠は防ぎようがないな。助かりたかったら黙ってるほうがいい」
見ると、周囲を白く光る障壁が囲んでいる。人間など簡単に押しつぶせる大きさの岩がひしめき合っているのを見上げ、ルドルフはリヴィウスへと視線を移した。
「なぜ助けた」
目の前の魔術師は喋るなという忠告を無視し口を開くルドルフに一瞬眉を寄せる。だが、すぐに澄ました仮面で取り繕った。
「別に俺はお前がどうなろうと知ったことじゃない。
——だけど、ディアナはお前が死ぬと悲しむんだろう」
今までのふざけた言い回しとは異なる。静かなその言葉は、道化師ぶった仮面の下に覗くその男の行動原理を、よく表しているようにルドルフには思えた。
この課題を受けたのも。朝、峡谷への同行を許したのも。こうして、ルドルフを身を挺して助けた行動もすべて。
その信条に所以するものだと、ルドルフは気付く。
ただ、ディアナの身の安全を守るだけではない。
リヴィウスが何よりも優先し、本当に守ろうとしているもの。
それはディアナの『意思』であり、心そのものなのだと。
ルドルフの脳裏で長い艶やかな銀の髪が揺れる。レナードに受け継がれた、ローズベルト商会の初代会長と同じ色。
銀と紫を持つ可憐な女性が、記憶の中でルドルフへと微笑みかける。
『ルドルフ。貴方が心配してくれるのは嬉しいわ。
だけど、私も父の娘だもの。少しくらい、商会の手助けがしたい。
……それは、許されないことかしら』
思い出すたびに、膨れ上がる後悔がルドルフの胸を押し潰す。
あのとき、もし心を鬼にして彼女の意思を拒んでいれば。
あのとき、もしもう少し早く、違和感に気付いていれば。
いくつもの『もしも』が浮かんでは消え、もう二度と取り返しがつかないのだという冷酷な事実がルドルフの心を蝕んでいく。
膝に添える手に力が入る。未だ過去に囚われた心を抱えたまま、ルドルフは口を開いた。
「——意思を尊重する、その信念は美しいものだ。
だが、美しさばかりでは、本当に大切なものを取り零してしまう」
ルドルフは絶望に突き落とされた日のことを思い出す。
いつも通りの、日常を過ごしていたはずだった。
初代の実子である妻は、婿としてルドルフを迎え入れたあと、商会の表立った仕事をすべてルドルフに任せるようになった。
だが、商会を直接継ぐことはできなくても商会のためにできることはある、と商会内のフォロー……メンバーの細かな要望の調整や在庫の確認など、内側の働きをより積極的に行うようになった。
それを、ルドルフは止めることができなかった。
矢面に立っているわけではないから、関わるのは商会のメンバーだけだから、とつい言い訳をして、妻が楽しそうに働く様子をただ眺めていた。
そんなある日。
いつも通り在庫を確認するために、妻と一緒に倉庫を訪れたときのことだった。
僅かな違和感。鼻を衝く異臭と、何者かが手を加えたような、些細な配置のズレ。
気付いたときには、もう何もかもが手遅れだった。
倉庫での爆発は、原因不明の事故として処理された。
幸いにも、妻も自分も一命を取り留めた。
だが、自分は足に障害が残り……妻は、その顔に一生消えない深い火傷を負ってしまった。
『すまない……』
病床で眠る妻の横に膝をつき、ルドルフは何度も謝罪の言葉を繰り返す。
都市一の美貌だと皆にもてはやされていた美しい相貌は、無慈悲な暴力に穢されてしまった。
再び過去の後悔に沈み込みそうになる心を、ルドルフは無理やり現在へと引き戻す。
視線の先には、かつての自分と同じ道を歩もうとしている若き魔術師が、金色の瞳をルドルフへと向けていた。
「リヴィウスよ。お前の軽率な行動のせいで、いつかディアナに取り返しのつかないことが起こる可能性は、ゼロではない。
——そのとき、お前はどうする気だ」
孫娘に、妻と同じ運命を辿らせたくない。
言葉を綴ることが苦手であるルドルフができることは、厳格な仮面を殊更に振りかざし、伝統という枠に押し込めて、ディアナを脅威から守ることだけだった。
「いつだって、完璧に守れるとは限らない。現に、先程ヴェクスの襲撃というハプニングも起きた。
何かあってからでは遅い。……安全な場所で、傷つけられないよう過ごしてもらいたいと願うのは。
——それは、そんなに罪深いことだろうか」
後半は、まるで己に言い聞かせるようにルドルフは言葉を吐き出す。
ただ、健やかに。穏やかに過ごしてほしい。
闇深い因縁にも、残酷な真実にも囚われず。明るい陽光の下で、ただ笑っていてほしい。
そんな、大切な者を持つ人間なら誰しもが願うだろう想いを、いったい誰が否定できるだろう。
沈黙が場を支配する。リヴィウスに、何らかの答えを期待しているわけではなかった。
リヴィウスは、一見不可能と思われる課題を難なくこなしてしまった。
今更ルドルフが何を言おうと、この男の実力を否定することはもうできない。
約束は約束だ。ディアナが後継者として立ち、荒波に揉まれようとするのを、もうルドルフは止めることができない。
だが、それでもルドルフは吐き出してしまいたかった。
ルドルフの胸の内を。
ローズベルト商会の元商会長としてではない。ただ、孫娘を想う一人の祖父としての心を。
これからディアナを支えていくだろう男に、ただ知っておいてほしかった。
「——それは、守る力がない者の言い訳だろう」
もう言うべきことは何もない。そう思い沈黙するルドルフの耳を、淡々とした声が打つ。
驚いて伏せていた顔を上げる。嘲るでも蔑むでもない、ただ事実を伝えているだけというような平淡な表情で、リヴィウスは残酷な真実を告げる。
ルドルフの胸に鋭い痛みが刺す。その痛みが全身を蝕む前に、リヴィウスはがらりと雰囲気を変え尊大な笑みを浮かべた。
「俺は守れる」
そのどこまでも傲慢な言葉は、不思議とルドルフの心に抵抗なく入り込んだ。




