第60話:峡谷の村
馬車旅は比較的順調に過ぎていった。
街道沿いの宿場町を経由して南に下ること五日目。ディアナたちは、とうとう件の村に到着した。
「お待ちしておりました、ルドルフさん」
ディアナたちが馬車を降りると、さっそく村の者が歓迎し出迎えてくれる。
杖を突くルドルフに手を貸しながら、気さくに声を掛ける村人の様子を見て、彼らが本当にルドルフのことを頼り、慕っていることが窺えた。ルドルフもまた、鋭い光をわずかに緩めて代表者だろう若者を見上げる。
「故郷の危機に動くのは当然のことだ。カールは元気か。以前肺を悪くしたと言っていただろう」
「はい。ルドルフさんの送ってくれた薬のおかげで、父も元気に過ごしています」
嬉しそうに語る若者は、ディアナたちに気付くと丁寧に礼をする。
「自己紹介が遅れました。村長補佐のデニスと申します。本日は遥々このような辺境まで、ようこそお越しくださいました」
「ディアナ・ローズベルトと申します。こっちはリヴィウス」
「ディアナ様と、リヴィウス様ですね。我が村のためにありがとうございます」
深々と礼を行うデニスに向かって、ディアナは「顔を上げてください」と慌てて声を掛ける。
「どうぞ、祖父に対するように私たちにも気軽に接してください。
祖父の故郷でしたら、私にとっても縁のある地なのですから」
「……ありがとうございます」
ディアナの言葉を受けて、デニスは顔を上げ微笑む。
そして再びルドルフへと向き直り、「立ち話もなんですから家へどうぞ」とディアナたちを村長の家へと案内してくれた。
客間に通され、デニスの奥さんだろう女性がディアナたちの前に温かなお茶を置いてくれる。
そのお茶は普段飲み慣れたものと風味が異なるが、甘く、香ばしい風味はディアナにとって好ましいものだった。
全員が一息ついたのを見計らい、デニスは再び深々と頭を下げる。
「本当に、このように早く対処していただけて助かります。ギルドにも相談はしていたんですが、今は人員の確保が難しいとかで先送りになってしまっていて。
……それで、対応する方々はどちらに?」
「あれだ」
ルドルフの示す先——リヴィウスを見て、デニスは不思議そうに首を傾げる。
「彼が陣頭指揮で、後ほどメンバーが来るのですか?」
「いや。彼奴一人だ」
「一人⁈」
ルドルフの言葉を受け、デニスは優しそうな表情を一気に青ざめる。
「ルドルフさん、それはいくらなんでも無茶です!
相手は、あのヴェクスですよ⁈」
「彼奴は受けると言った。——そうだな?」
詰め寄るデニスを受け流しながら、ルドルフはリヴィウスをじろりと睨む。
視線を向けられたリヴィウスは、相変わらず余裕の崩れぬ笑みでルドルフを見返した。
「問題ない」
「だそうだ」
「ええ……」
二人のやり取りを呆然と眺めていたデニスの言葉に、ディアナも内心激しく同意する。
大丈夫。貴方は間違っていない。
ただ、この二人がおかしいのだ。
「それで、現状の被害はどうなっている」
「あっ、はい。現状はまだ静かなものです。ただ、先日峡谷の見回りに出たとき、馬が一頭やられました。
いつもなら、縄張りの範囲外だったのですが」
ルドルフの言葉に、デニスもようやく我に返りヴェクスの被害を報告する。
その言葉を聞きながら、ディアナはふと浮かんだ疑問をこっそり横のリヴィウスへ投げかけた。
「いつもよりヴェクスが攻撃的なのと、卵石って何か関係があるの?」
「あれはヴェクスの過剰な魔力が結晶化したやつだからな。近くに置き続けると、あてられて魔物の本能が過剰に刺激される」
リヴィウスの返答を聞き、なるほどとディアナは納得する。
魔道具の素材となるだけなら、そんなに急ぎ回収する必要はない。
なぜデニスはこんなに感謝しているのだろうと思っていたが、村にも被害が及ぶ可能性があるのなら一刻も早く回収したいと思うのは当然だろう。
しかし、狂暴化しているヴェクスの群れを相手に、無傷とは。
ディアナには想像もつかない。いったいリヴィウスは、どのようにしてこの課題をこなすつもりなのだろう。
ヴェクスがリヴィウスに傷一つ付けられないことはディアナもわかっている。悪魔を傷つけられるのは悪魔だけ。それは、ゴーレム戦のときに重々実感したことだ。
だが、ゴーレム戦のときとは違う。おそらくルドルフは、リヴィウスの働きぶりを見るために何らかの方法で彼の課題をこなす姿を確認しようとするだろう。
あのときのように、敢えて攻撃を受けるような戦法はとれない。ルドルフはリヴィウスが悪魔だと知らない。ばれるリスクは最小限にしなければ。
一人勝手に悩んでいるディアナをよそに、いつの間にか被害報告は終わり解散となったらしい。
今日はもう日も暮れかかっているから、峡谷に発つのは明日になった。
夕食の支度が終わるまで、部屋で休んでおくといいと案内してくれる奥さんの後に従い、ディアナたちは離れの一角へ向かう。
「リヴィウスよ、一つだけ言っておく」
与えられた客人用の部屋にさっさと引っ込もうとするリヴィウスを、ルドルフが呼び止める。
「この村は南方の国境に最も近い村だ。峡谷から目と鼻の先に狂暴な魔物や金品を狙う夜盗、自分たちの領土を少しでも広げようと侵攻してくる他部族がうろついている。
ヴェクスの縄張り意識が強いことは知っているな。あの竜は時として村に損害を与えるが、それら外部の脅威を弾く天然の防塞でもある」
わかっているな、とルドルフは一切の妥協も許さぬ視線でリヴィウスを射抜く。
「つまり、トカゲを傷つけるなってことだろ」
「傷つけるなとまでは言わん。勿論、無力化で済むならばそれが一番いいが。
防塞としての機能が著しく損なわれるような対処は控えろ」
ルドルフの厳しい眼差しに、リヴィウスは大仰に頭を下げた。
「ご祖父君のご意向に沿うようにいたしましょう」
「貴様に祖父と呼ばれる筋合いはない」
これみよがしに慇懃な一礼をしてみせるリヴィウスを切って捨て、ルドルフは踵を返し部屋へと入ってしまう。
残されたリヴィウスは、ぱっと姿勢を崩し面白そうにディアナを横目で見下ろした。
「誰かさんに似て偏屈な爺さんだな」
「それ私に言ってる?」
「ああ失敬。偏屈は言い過ぎだったか。お前は、気が強いだけだもんな」
「それでフォローしたつもり?」
ああ言えばこう言う悪魔を半眼で睨む。と、その右手の人差し指に見覚えのない指輪がはまっていることに気が付いた。
少し太めのストレートの銀細工に、海のような深い青の石が埋め込まれたシンプルなデザイン。
こんなもの持っていただろうか。首を傾げ、ディアナはリヴィウスを見上げる。
「その指輪どうしたの?」
「これか? 人間は、魔術を使うには触媒が必要だろう。面倒だが怪しまれても困る。道中退屈だったからな。作ってみた」
魔術に使用する触媒とは、そんな気軽に作れるものなのだろうか。
似合うだろう、と面倒だと言いながらも気に入っている風の悪魔の指輪をもう一度眺める。
「貴方、青が好きなのね」
そう指摘すると、リヴィウスは意外そうに瞳を瞬かせた。
「特に意識したことはない」
「でも、この前擬態してたバングルも青い石だったでしょう。好きなんじゃないの? 綺麗な色だものね」
悔しいから言わないが、その色はリヴィウスによく似合っていると思う。
開放的な明るい空とも、光を反射する大河とも違う。
深い深い、生命の脈動を感じる海の青。
敢えてその色を選んでいるのだと思っていたが、どうやら違うらしい。
じゃあなぜその色なんだろう、と思考を働かせようとしたそのとき、リヴィウスが揶揄いの色を乗せディアナを見やった。
「なんだ。お揃いが欲しいのか? それならそうと早く言え。バングルくらい簡単に作ってやれる」
「いらないわよ!」
なぜ悪魔とお揃いの装飾品を持たなければならないのか。
これ以上話していても時間を無為に消費するだけだ。ディアナは見切りをつけ、さっさと自室へと足を向ける。
「明日は重大任務なんだから。ふざけて失敗したりしないでよね」
「はいはい」
おざなりに返事をするリヴィウスを置いて扉を閉める。
指輪の色のことなど、ディアナの頭の中からはもうすっかり消えてしまっていた。




