第59話:南方への旅路
「ヴェクスの卵石ですか……⁉」
ルドルフの言葉に、ディアナのほうが驚き目を剥く。
ヴェクスの卵石とは、普通の卵とは異なる。竜種の魔物であるヴェクスが、自身の中で過剰に生み出された魔力を結晶化したものだ。
魔道具の素材としても超一級素材の代物で、市場で取引すれば軽く屋敷を一軒建てることができる。
だが、それを無傷で入手するのは困難を極める。
まず、ヴェクス自体がかなり手強い。彼らは竜種の中では小型だが、その代わり群れで生息し狩りをする。
縄張り意識も強い。巣の中に侵入してきたものは、なんであろうと容赦はしない。
徹底的に排除しようと集団で襲い掛かってくる。
翼竜の卵石を回収するためには、ハンターギルドと魔術師ギルド、双方の実力者を数十人は集めて組織だって行う必要がある。
それに加えて、卵石は大抵巣の一番奥にある。翼竜の巣は峡谷にあることが多く、彼らの妨害を受けながら峡谷の深くまで潜らなければならない。
どう考えても、たった一人の魔術師が行う課題ではない。
悪魔の力を使えば容易かもしれない。だが、今リヴィウスは専従魔術師としての力を試されている。
力を封じ、魔術だけを用いてこれらのことをやり遂げなければならないのはさすがに無謀だろう。
青ざめたディアナはリヴィウスを見る。
そして、ずっと澄ました顔で立っていたリヴィウスの瞳に、微かに愉悦を含んだ光が灯ったのをはっきりと感じ取った。
お行儀の良い仮面から僅かに覗いた悪魔の気配に、ディアナはまずいとルドルフへ向き直る。
「お祖父様、いくらなんでもそれは——」
「いいだろう。ご祖父君の挑戦状、確かに受け取った」
ディアナの言葉に被せるように、リヴィウスは自信に満ち溢れた声で快諾する。
「なかなかに難しい課題だ。だが、それくらいやり応えのある課題でなければ面白くない。
ローズベルト商会の専従魔術師として、ご祖父君が満足する結果を見せることを約束しよう」
「ちょっとリヴィウス⁈」
「決まりだな」
勝手に話を進めるリヴィウスに非難の声を上げるが、ルドルフの言葉でディアナは訂正する機会を失う。
「ヴェクスの巣がある南方の村までは片道五日だ。
長旅になる。準備は十分にしておくように」
杖を突き、ルドルフは振り返ることなく応接室を後にする。
静かに閉じる扉を見つめながら、ディアナは大変なことになってしまったと頭を抱えた。
「ちょっと! 余計なことは言わないでって言ったでしょ!」
馬車に戻り二人だけになった瞬間、ディアナは目の前に足を組んで座るリヴィウスを睨みつけた。
「別に余計なことは言ってない。実力を見せてみろと言われたから応じただけだ」
「それが余計なのよ! ヴェクスがどんな魔物か知ってるの? 一人でなんて無茶に決まってるじゃない」
「たかが翼の生えたトカゲだろ。力が使えない程度で苦戦するような相手じゃない」
ちょうど退屈してきたところだったんだ、とリヴィウスは楽しそうに双眸を細める。
「これくらいの遊びがないと、専従魔術師なんてやってられるか」
機嫌良く言い放つリヴィウスの言葉を聞き、ディアナは呆れかえる。
二大ギルドが総力を挙げて取り掛かるミッションを、遊びだなんて。
「……貴方といると、心臓がいくつあっても足りないわ」
「退屈しないでいいだろう?」
ふふんと胸を張る悪魔に、これ以上何を言っても無駄だと悟る。
深く息を吐き、ディアナは腹をくくった。
「まあいいわ。やるからには、恥ずかしい結果だけは見せないでよね」
「誰に物を言ってる。お前は特等席でのんびり見物でもしてるんだな」
村までは往復で十日。滞在日数も加えると、約二週間ほどミシュトレイを離れることになる。
ディアナ自身の課題もある。その間も課題が滞らないようにしなければ。
揺れる馬車に身を預けながら、ディアナは明日からどうすべきか段取りを立てるのだった。
◆
それから二日後。ディアナたちは南方の村へと旅立った。
できるだけのことはやった。ディアナは睡眠不足のために重く感じる頭で、ここ二日の準備を思い返す。
出店を手伝ってくれる人員の選定については、レナードがこの二週間で候補を選出しておいてくれるという。
企画案も、可能な限り作成して提出してきた。
だが、それでも焦燥は消えない。約三ヶ月しかない準備期間のうち、二週間も穴を開けてしまうのは惜しかった。
馬車の窓から見える景色の移り変わりを何とはなしに眺める。
豊かな平原の緑は南方へ向かうにつれ少しずつその色を減らしていき、代わりに荒涼とした岩肌が覗くようになってきた。
スウィフト王国の南部は、小さな複数の諸国に接している。彼らはそれぞれの民族でまとまり、独自の文化や信仰を持っていることが多い。その影響もあり、この辺りの地域は国の中でも独特な文化を持っていたりする。
そんな知識を思い出しながら、ディアナはただ窓の外を眺め続ける。
それ以外、することがなかった。
なぜなら、馬車の中にはディアナとルドルフしかいなかったのだから。
……気まずい。
沈黙が落ちる馬車内で、ディアナはさっそくこの馬車の振り分けを後悔していた。
この旅で、ディアナたちは三つの馬車を使用している。一つは荷物用、一つはディアナとルドルフ用、そしてもう一つがリヴィウス用だ。
ルドルフがリヴィウスとの同乗を拒否したため、それぞれの馬車が用意されたまではよかった。問題は、ディアナがどちらに乗るか、という点だった。
最初はリヴィウスのほうの馬車に乗ろうと思ったのだが、ルドルフに呼ばれ、そちらの馬車に乗ることになった。
だが、こうなるのであれば無理にでもあっちに乗っていればよかったかもしれない。
重苦しい沈黙に耐えながら、ディアナは窓から見える前方の馬車へ視線を向ける。
きっと今頃あの悪魔は、悠々自適に羽を伸ばしているに違いない。
「ミネルヴァの結界を解いたそうだな」
不意に沈黙を破ったルドルフの言葉を聞き、ディアナは驚きと共にルドルフを見た。
「ミネルヴァをご存じなのですか?」
「まだ私が現役の頃、交流していたことがある。——どこまでもふざけた、破天荒な人間だった。
……だが、彼奴が未だ魔術師ギルドにいたならば、商会とギルドの確執は、もう少しましになっていただろう」
ルドルフの手が膝をさする。無意識だろうその行動と伏せられた瞳に、ディアナはヘンリーと似たようなものを感じた。
覆すことができない過去に対する、どうしようもない後悔と、自責の念。
今からでも何かできるのではと、すべてを背負い込み足掻こうとしている、孤独な戦いの影を。




