第58話:専従魔術師に対する挑戦状
ミシュトレイの南へと流れる豊かな大河。その大河と都市の喧騒を一望できる、なだらかに地勢が上がった先の高台に、ルドルフの別邸はあった。
都市郊外の北に位置するこの区域は、引退した各所の重鎮たちが静かな余生を過ごす場所として人気があり、それもあって通りも無駄なもの一切をそぎ落としたような洗練された造りをしていた。
落ち着いた屋敷が並ぶ中、一際大きな敷地がディアナの前に広がる。
どっしりとした佇まいと、機能美を限界まで追求したようなデザイン。
この屋敷の主を表したような質実剛健とした屋敷の中で、庭に咲く愛らしい季節の花だけが訪問客を歓迎するように揺れていた。
「ディアナ様、リヴィウス様。ようこそお越しくださいました。
旦那様がお待ちです。どうぞこちらへ」
物静かな使用人が二人を迎え入れ、ディアナたちは応接室へ通される。
ルドルフが来るのを待つ間、ディアナはソファに座り内装へ目をやった。
屋敷の外観同様、室内も彼の特性が如実に表れている。だが品の良い花瓶や調度品、温かみのあるレース掛け、飾られた絵画など、そこかしこにルドルフではない別の人物の空気を感じた。
もう既にこの世を去った祖母の存在を、ディアナは思い出す。
ディアナは祖母に会ったことがない。病のため、ディアナが生まれる少し前に亡くなったと聞いている。
ディアナが知っているのは肖像画の中の彼女だけだ。セシリアとも似た、穏やかな笑みの中に強い芯を宿す麗しき女性。
どの肖像画の中でも祖母は若々しい見た目をしていた。
晩年の肖像画は存在しない。その理由を、ディアナは知らない。
使用人が離れたのを見計らって、傍らに立つリヴィウスへそっと囁く。
「お願いだから、余計なことは言わないでよね」
「心配するな。仕事はきっちりこなすって言ったろ」
本当だろうか。姿勢正しく傍らに立つリヴィウスを横目で見ながら、ディアナは一抹の不安を覚える。
今回、リヴィウスは専従魔術師としての挨拶と、ディアナの供という名目でこの場に来ている。
厳格な祖父のことだ。リヴィウスの不遜な発言や立ち振る舞いが、彼の怒りを買うことにならなければいいが。
不安を払いきれないディアナの前で、応接室の扉が開く。
ルドルフ・ローズベルトが杖を突きながら姿を現し、ソファに座るディアナを見据えた。
ディアナはさっと立ち上がり、淑女の礼を返す。
「待たせたな」
「とんでもありません。ご健勝でなによりです」
「長々とした挨拶は不要だ。早速本題に入る」
ディアナを座らせ、自身もまた向かいのソファに座る。
鋭い眼差しが、一切の誤魔化しを許さないというようにディアナを貫いた。
「商会の後継者として立ったそうだな」
緊張がじわじわと身体を蝕んでいく。祖父の、この威圧するような眼差しがディアナは苦手だった。
ディアナという存在を、祖父の思う通りの枠に無理やり押し込めようとするような、強い光。
今までのディアナだったら、その光に立ち向かおうなどと思わなかっただろう。
だが。ディアナは視線をルドルフに向けたまま、すぐ傍に立つリヴィウスの存在を感じる。
そして彼と共に駆け抜けた三日間と、その末に勝ち取った自分の意志を改めて噛み締めた。
もう、ディアナはお飾りの令嬢ではない。立派な、意志ある一人の人間だ。
「はい」
視線を揺るがせず、ルドルフをまっすぐに見返す。
余計なことは言わない。ルドルフに、言い訳や説明は必要ない。
ただ、覚悟を示す。——それが、一番難しいことだった。
ディアナの返事にルドルフは眉を寄せる。深々と溜息を吐き、「レナードめ」と呟いた。
「自分の過ちを娘に擦り付けただけでなく、危険にまで晒そうとするとは。
教育を間違えたようだ」
「お父様は関係ありません! 私が、自分で選んだのです」
レナードを責めるような物言いに、堪らずディアナは声を上げる。
礼儀の欠けた行為を見ても、ルドルフはただじろりとディアナへ視線を向けるだけで叱責したりはしなかった。
「ディアナよ。ローズベルト商会は男児が継ぐ。それは、曾祖父の代から続く伝統だ。
その意味を、考えたことはあるか」
唐突に発せられる問いに、ディアナは勢いをそがれ一瞬言葉に詰まる。
なぜ、祖父は今更そんな問いをするのだろう。
「それは……商人の世界では、女だと舐められるからでは」
「それも一つの理由ではある。だが、根幹の理由はそれではない。
ローズベルト商会は、魔道具を生み出した商会。魔術の世界とは、切っても切り離せない確執がある」
ルドルフは杖から片手を放し、膝へ手を添える。
若い頃、事故で悪くしたという話は聞いたことがあるが、その詳細をディアナは聞いたことがなかった。
「魔術師は狡猾だ。少しの隙をついて、商会を打ち落とそうとしてくる。
融和派のヘンリー・アルノルトがギルド長の座に就いたとはいえ、保守派が完全に消えたわけではない。
水面下で、虎視眈々と返り咲くのを狙っているだろう」
その件は、ディアナの耳にも少しだけ入っていた。
古参の魔術師は保守派が圧倒的に多い。グランが失脚したとはいえ、それはただ氷山の一角が崩れただけ。
市庁舎や魔術師ギルドが新しい未来を描く陰で、闇に紛れて動き出そうとしている者がまったくいないとはいえない。
「今は変革の時だ。そこにお前が矢面に立つ必要はない。
さっさと夫を娶り、商会のことは夫と後ろ盾となる家に任せればいい」
「……お気遣い痛み入ります。ですが、私はまだ結婚をするつもりはありません」
それが最善の道だ、と決めつけられたような物言いに、ディアナは反発する心を抱え結婚を否定する。
「魔術師との確執も、それに伴い自身の身に降りかかるだろう困難も、十分承知の上です。
私は、決して安易な気持ちでこの道を選んだのではありません。
——私が、私として生きるために。そのために選んだのです」
挑むようにディアナはルドルフを見返す。
「私の能力に不安があると言うのなら、どうぞ満足いくまで試してください。
お祖父様に認められるためなら、どのような課題だってこなしてみせます」
ディアナの気迫を、ルドルフは静かに受け入れる。
一度目を伏せ、鋭い光を数秒、瞼の裏に隠した。
「——孫の実力は、もう十分知っている」
ルドルフの一瞬見せた祖父としての顔に、ディアナは戸惑う。
しかし次の瞬間、顔を上げたルドルフは既に元商会長の厳格な空気を取り戻していた。
「だが、魔道具の才があるだけではローズベルト商会の会長は務まらない。
——理不尽な暴力に、抗う力も必要だ」
ルドルフは黙ってリヴィウスへ視線を移す。そこでディアナは、ルドルフにリヴィウスの紹介がまだであったことを思い出した。
「紹介が遅れて申し訳ありません。彼はリヴィウス。ローズベルト商会の専従魔術師として、魔術師ギルドから派遣された者です」
リヴィウスは黙って頭を下げる。礼の角度も完璧で、ディアナは感心すると同時にほっと胸を撫で下ろした。
「魔術師だと? こんな若造に、いったいどんな力がある」
ディアナの紹介を聞いて、ルドルフはあからさまに眉を寄せ歓迎していない様子を伝える。
そんなルドルフの反発にも、リヴィウスはただ黙って立ち続けるだけだった。
「言い返すこともできんか。こんな男に、専従魔術師など務まるのか」
「お祖父様、いくらなんでも言い過ぎです」
むっとしながらディアナはルドルフに反論すべく口を開く。
「彼は、この前の魔術師ギルドでの事件を止める手助けをしてくれました。リヴィウスがいなかったら、都市は甚大な被害に見舞われていたことでしょう。
ローズベルト商会の専従魔術師になるようお願いしたのは私です。彼の実力は、私が保証します」
「面白い。ならばその実力を示してもらおう」
ルドルフは静かに立つリヴィウスへ鋭い視線を向ける。
「リヴィウスといったか。お前に課題を与える。
——『風の翼竜』ヴェクスの卵石を、無傷で回収してみろ」




