第55話:残された影
リヴィウスは『己が定めた誓いは破らない』と言っていた通り、それ以降周囲の人間が自身のことを魔術師として扱っても文句は言わなかった。
だがそれと、魔術師に積極的に関わりたいかはまた別の話らしい。
記憶の海から戻ってきたディアナは、現実へと目を向ける。
そこでは数日前と同様、ピリピリした空気を生み出している二人の姿があった。
「リヴィウス、君が何を言いたいかはわかる。
だが、これは君に関わることでもある。一緒に来てくれないか」
「さすが当主様。慈悲深くて涙が出る。
言いたいことがわかるなら、放っておいてくれないか」
皮肉を交えながら、リヴィウスは冷ややかな眼差しをレナードへ向ける。
「心配しなくても仕事はきっちりこなす。だが、それ以外の部分でまで仲良く肩を並べるつもりはない」
きっぱりと慣れ合うつもりはないと宣言するリヴィウスに対し、父もまた「そういうわけにもいかない」と毅然とした口調で返した。
「アルノルト卿の話では、例の魔導書についても話すことがあるそうだ。
ローズベルト商会の専従として働くのなら、君にもきちんと知っておいてほしい」
「断る」
リヴィウスの取り付く島もない様子に、レナードは小さく息を吐く。
「二人とも、もうやめなさい」
穏やかでない食卓の空気に一石を投じたのは、凛としたセシリアの声だった。
「仕事の話は、食事が終わってからにしましょう。せっかくの朝食が冷めてしまうわ。
——リヴィウス。お茶のお代わりはどう?」
余計なことは言わず、にこりと微笑みながらセシリアは向かいに座るリヴィウスへ手ずからポットを傾ける。
リヴィウスはそれを一瞥すると、先程までの刺々しい態度は一瞬にして鳴りを潜め、静かにカップをセシリアへ差し出した。
「もらう」
なんだか、契約者の私に対してよりも素直じゃないだろうか。
納得がいかず、隣で紅茶を飲むリヴィウスを小さく睨む。
視線に気付いているだろうに、彼は涼しい顔でディアナの無言の抗議を無視していた。
「レナード。貴方もあまりリヴィウスをいじめては駄目ですよ。彼は確かにローズベルト商会の専従魔術師ですが、リヴィウスを見つけ、連れてきたのはディアナです。
なら、まずはディアナの意向を聞くのが筋でしょう」
「え?」
急に矛先を向けられ、ディアナは面食らう。母・セシリアの穏やかな眼差しを受け、ディアナは「ええと、」と視線を彷徨わせた。
「それは、来てくれたら助かるけど……」
魔導書の話もされるというのであれば、ディアナには理解が及ばない可能性もある。
だが、心底魔術師が嫌いなリヴィウスを無理やりギルドに引っ張っていくのは、少しだけ良心が痛んだ。
「だそうよ。どうかしら、リヴィウス。
私も、貴方がディアナについていってくれたら心強いわ」
ちらりとリヴィウスを見ると、被せるようにセシリアが彼へ問いかける。
カップを置いたリヴィウスは、朝食の間ずっと崩さなかった貴族然とした姿勢を崩し、背もたれへともたれかかった。
先程までの不機嫌さを微塵も感じさせない飄々とした笑みを浮かべ、「いいだろう」と得意げに腕を組む。
「夫人がそこまで言うなら行ってやろう」
「ありがとう。帰ったらお茶にしましょうね。お茶菓子を用意して待っているわ」
「それはいい。夫人の菓子は絶品だからな。俄然やる気が出るというもんだ」
だから、なぜそんなに素直なのか。
そして、いつの間にお茶をするほど仲良くなったのだろうか。
朗らかに笑うセシリアと、機嫌良く返すリヴィウスを見て。
ディアナは本日何度目になるかわからない、釈然としない視線をリヴィウスへと向けるのだった。
◆
ムースの角、マティラのタペストリー、そして、蛍石のランプ。
ここでヘンリーと生体畜素特性について論議を交わしたのはつい数日前のことだというのに、もう随分昔のことのように感じる。
記憶よりもやや雑然とした室内を眺めていると、慌ただしく扉が開きヘンリー・アルノルトが姿を現した。
「やあ、待たせてしまいすまないね。レナード、ディアナ嬢。来てくれて嬉しいよ」
「忙しそうだなヘンリー。副ギルド長の後任は見つかったのか?」
入ってきたヘンリーを認め、レナードが書類の積み重なった執務机を見ながら問いかける。
レナードの問いに、ヘンリーは首を振り対面のソファへ沈み込むように座った。
「さすがに一週間ではどうもいかない。今は私が兼務しているようなものだ」
「ギルド長と副ギルド長の仕事を兼任とは、ぞっとするな」
「実行している私が一番そう思っている。
さて、ディアナ嬢。君もまだ慌ただしい日々だろうに、時間を作ってくれて感謝するよ。
……それと」
しばらくレナードと軽口の応酬を楽しんでいたヘンリーは、ソファに座るディアナへ思慮深い笑みを向ける。そして、ちらりとディアナの腕の中へ視線を落とした。
そこには、ツーンとそっぽを向いた一匹の黒猫が収まっていた。
「……すみません」
不思議そうに黒猫姿のリヴィウスを見つめるヘンリーに、ディアナは謝罪する。
曰く、夫人の顔を立て行ってはやるが、まともに言葉を交わす気はない。だそうで。
「必要であれば口を挟む。あとはそっちで勝手にやってろ」
ヘンリーと目を合わせようともせず、リヴィウスはディアナの膝の上でそれだけ言い捨て丸くなる。
しげしげと眺めていたヘンリーは、リヴィウスの態度に特段気を悪くするでもなく、「そうか」と受け入れ姿勢を正す。
「ではまずは、これまでのことを共有しよう。
——グランの処遇についてからだ」
ヘンリーは、重々しく口を開く。
災厄の悪魔を召喚するという大事件を引き起こし、拘束されたグランは、当然失脚しギルド長の座を退くことになった。
今はヘンリーがギルド長の座におり、様々な後処理を行っている。
「ディアナ嬢のことは伏せ国家魔術師に連絡を取り、グランを引き渡す手筈になっていたんだが、その前に何者かに先手を打たれたようでね。
……彼は、記憶をすっかり無くしていた。今は、まともに話すことすらできない」
衝撃の事実にディアナは息を呑む。その横で、レナードは「どういうことだ」と冷静に口を開いた。
「グランは地下牢に収容されていたんだろう。あそこの警備を突破できた何者かがいると?」
「今の段階で確かなことは何もない。当時警備を担当していた衛兵は、強烈な睡魔に襲われ何も見ていないそうだ。
だが衛兵を退けたとしても、複雑な魔術がかけられたあの場所を容易く突破できるとは思えない。
……わかっているのは、グランが言っていた『あの方』の正体は、闇に消えてしまったということだけだ」
儀式の場でグランが叫んでいた、『あの方』。
都市全体を巻き込もうとしていた謀略の陰で、グランを援助し悪魔を召喚させようとしていた、誰か。
ヘンリーが懐から白い布切れのようなものを取り出し机へ置く。
その独特な模様と布よりも生々しい質感は、ディアナにあるものを呼び起こさせた。
「あの魔導書の断片だ。短剣によってほとんど破壊され消えてしまったが、僅かに痕跡が残されていた。
調査の結果、白蛇の皮だということがわかった」
「白蛇……」
白蛇は、一部の地域では神の御使いと信仰されている。
そんな神聖な存在を魔導書の素材として利用するなんて、とディアナは眉をひそめた。
「蛇が象徴する永遠と再生の力を何らかの方法で高め、あのような膨大な魔力を溜め込んでいたのかもしれない。
口で言うのは容易いが、実際に行うのは至難の業だ。私には想像もできない。
——これを渡したのが『あの方』なのであれば、古代の魔術師に匹敵する力を持っているだろう」
ヘンリーは白蛇の皮をそっと懐へ戻す。
「この件については国家魔術師に報告してある。国でも引き続き調査をしてくれるだろう。
ディアナ嬢。巻き込んでしまった責任として事実を共有したが、だからといって君が何かを抱え込む必要はない。
ここから先は我々の仕事だ。君はまず、自分の未来のためにできることを優先しなさい」
どこまでもディアナのことを慮る優しい瞳に、ディアナは頷く。
これ以上、この件でディアナができることは何もない。自虐でもなんでもなく、それは事実だった。
さて、と切り替えるようにヘンリーがレナードを見る。




