第54話:変化する日常
あの騒動から一週間。日常を取り戻しつつあるローズベルト家だったが、一つ変わったことがある。
それは、食卓を囲む人数が三人から四人になったことだ。
器用にナイフとフォークを使い朝食を口に運ぶリヴィウスの様子を、ディアナは横目でじっと見つめる。
憎らしいほどに綺麗な所作だ。悪魔だからものは食べないと言っていたくせに、そこらの貴族よりもずっと品がある。
昔、王族と契約していたことでもあったんだろうか。
しかし一週間経ってもまだ慣れない。普通の人間のようにふるまうリヴィウスを見て、ディアナは妙な気持ちになる。
初めて会ったときの印象が強いせいだろうか。音もなく現れては消え、動物や装飾品に擬態し、ゴーレム相手に大立ち回りをしても汗一つかいていなかった悪魔の姿は、未だにディアナの脳裏に強烈に焼き付いてしまっている。
あの黒い炎が、脳裏から離れない。
さすがにあの力は魔術師としても違和感があるということで、ここ数日リヴィウスは悪魔としての力を使っていない。
窮屈ではないのだろうか。そう思い一度だけ問いかけたことがあるが、『いいハンデだ』と言うだけであまり気にしてはいないようだった。
本人がそう言うのであれば、ディアナがそれ以上口出しすることはない。そう思うが、それでもやはり気になってしまう。
「君たちに話したいことがある」
慣れていかないといけないんだろうな、と思いつつ食事を続けるディアナに、目の前に座る父・レナードが声を掛ける。
「今朝アルノルト卿から連絡があった。ある程度事後処理も落ち着いたので、今後のことを話したいそうだ。
朝食を終えたら支度をしておいてほしい」
「そう、ようやくひと段落ついたのね」
魔術師ギルドの前ギルド長、グラン・オルフォードが魔術師の栄光を取り戻すため災厄の悪魔を召喚しようとした、あの事件。
ギルド長が起こした都市全体を揺るがす前代未聞の事件は、魔術師ギルドだけでなく都市の中枢を司る参議院も巻き込む大事件となった。
直接狙われたローズベルト商会も例外ではなく、レナードもまた事態の収束のため忙しく走り回っていたことを知っているディアナは、ようやく落ち着いたと聞きほっと胸を撫でおろす。
だが、隣のリヴィウスはそうではなかった。
明らかに機嫌が急降下した空気を感じ取り、ディアナは溜息を吐く。
それも仕方ないだろうな、とディアナはあの日のリヴィウスの様子を思い出していた。
◆
「リヴィウス。君にはローズベルト商会の専従魔術師として振舞ってもらう」
怒涛の事件から数日後。
さっそくディアナとリヴィウスを執務室へ呼んだレナードは、開口一番そう言った。
「意味がわからないな。悪魔に魔術師の真似事をしろだって? 悪趣味にもほどがある」
魔術師嫌いのリヴィウスは、当然不快感を剥き出しにレナードへと突っかかる。
しかし悪魔の威嚇にも顔色一つ変えず、レナードは「アルノルト卿と決めたことだ」と決定は覆らないことを念押しした。
「人間社会に属するためには、大なり小なり身分と信頼が必要だ。商人の世界はそれが特に顕著でもある。
専従魔術師という立場は、悪魔の力を隠すのにもディアナの願いを叶えるためにも、まさにうってつけだ。
君にとっても、悪くない提案だと思うが」
そう言うレナードを一瞥し、リヴィウスは鼻を鳴らす。
「余計なお世話だな。願いの叶え方は悪魔である俺自身が決める」
それに、俺は人間社会に属するつもりはない。
きっぱりと、強い拒絶を含んだ声で答えながら、リヴィウスは嘲笑を向けた。
「お前らは俺の正体がばれることを気にしているようだが、この三日間、俺の存在に少しでも気付いたか?
娘が悪魔と契約を交わそうとしていたっていうのに、呑気にパーティに参加していた奴らに言われる筋合いはないな」
悪意ある挑発が込められた言葉を、レナードはただ黙って受け止める。
リヴィウスが父に向ける言葉のナイフは鋭く、ディアナは耐えきれず「もうやめて」と口走りそうになった。
だがディアナよりも先に、レナードが揺るがない視線をまっすぐリヴィウスへと向けたまま、静かに口を開く。
「だが、グラン・オルフォードは気付いた」
「……」
リヴィウスは反論しない。それが事実だと、彼もまた知っているからだ。
「確かに我々一市民が、悪魔の存在に気付くことは難しいだろう。
だがいつまた、グランのような存在が現れるかわからない。
私は父としても、ローズベルト商会を預かる長としても、悪魔という危険因子を無条件で懐に迎え入れるつもりはない」
リヴィウスは黙ってその双眸を細める。彼が何を考えているのか、どうしようとしているのか、その表情から読み取るのは難しかった。
しばらく無言の応酬が続き、レナードは緊迫した空気を破るように息を吐き椅子へもたれる。
「——とはいえ、悪魔の君が『どうしても嫌だ』と言うのならば、それを止める力は私にはない。
残念だが、仕方ない。君の契約に対する熱い想いに応えたいという思いもあったのだが、いらぬお世話だったようだ」
急に先程までとは変わりしんみりとした調子で言葉を紡ぐレナードを、リヴィウスは訝しげに見つめる。
逆にディアナは、レナードが本気で落としにかかり始めたことに気付き、口を挟むまいと一歩後ろへ下がった。
「誰にだって、許せないことはある。
君が長年のうちに積み重ねた魔術師に対する嫌悪は、相当なものなのだろう。
——契約を完璧に遂行したいという、悪魔の矜持すら凌駕するほどに」
ぴくりとリヴィウスの指先が震える。その僅かな反応を、レナードは見逃さない。
「気にすることはないリヴィウス。恨みや悲しみといった感情は、そう簡単に乗り越えられるものではない。
我々人間だって、理性ではこのほうが正しいとわかってはいても、感情がついていかないということはままある。
——君の恨みの深さを推し量れなかった、私が浅慮だった」
君が誇る悪魔の矜持とは、所詮その程度だったんだな。
神妙な顔の裏で、確かにレナードはそう語っていた。
ばんっっ、とレナードの執務机をリヴィウスが激しく打ち鳴らす。
「——いいだろう」
静かに、唸るように、リヴィウスは言葉を紡ぐ。
「専従魔術師の任、受けてやる。
だが俺は、やるからには徹底的にやる。『こんなはずじゃなかった』と、あとで泣き言を言っても知らないからな」
「それは助かる。ちょうどこれからアルノルト卿との共同研究も本格的に始まるところだったんだ。
君が手を貸してくれると言うのなら、これ以上心強いことはない」
にっこりと、レナードは商人の笑みを浮かべる。
改めて父を尊敬した瞬間だった。




