第53話:行ってきます
「失礼いたします。
お嬢様、おはようございます。朝の支度に伺いました」
弾むような声とともに扉から現れたディアナ付きの侍女——ローラは、未だ寝台で上体を起こしたままのディアナと、ソファにふんぞり返るリヴィウスの存在を認め、大きな目を半眼に細めた。
静かに扉を閉めると、「リヴィウス様」と低い声で呟く。
「まだ身支度も整えていない女性の部屋に押し入るとは、何事ですか!」
いい気味だ。
ローラに怒られているリヴィウスを見て、ディアナは少しだけ胸がすく思いがする。
彼女はこういうことに厳しい。しばらく説教から逃れられないだろう。
しかし怒鳴られたリヴィウスはローラの剣幕にも動じず、あろうことかディアナを手で示しこう言った。
「ディアナが呼んだんだ」
「ならばお嬢様も同罪です!」
「えっ⁈」
飛んできた火の粉に慌てふためいている間に、リヴィウスはさっさと扉へ向かう。
「では俺は退散するとしよう。乙女の身支度を覗くわけにはいかないからな」
「あ、ちょっと!」
手を振り消えようとするリヴィウスの背に向かって、慌ててディアナは叫ぶ。
「これ、片付けていきなさいよ!」
花は好きだが、さすがにこの量はいただけない。
ディアナの苦し紛れの叫びは、すいと動く指先によって聞き届けられた。
部屋中に溢れかえっていた花々は一瞬にして消え、あのむせ返るような甘い香りもたちどころに霧散してしまう。
あっという間にもとの落ち着いた様相を取り戻した自室に安堵の息を零していると、ローラが腰に手を当て「まったくもう」と息を吐いた。
「お嬢様。いくらリヴィウス様がローズベルト商会の専従魔術師になったとはいえ、安易に寝室に呼んではいけません」
「……ごめんなさい」
そう。数日前から、リヴィウスの表立った肩書は『ローズベルト商会の専従魔術師』となった。
さすがに悪魔としての立ち振る舞いを許すわけにはいかない。ディアナと正式に契約を結んだリヴィウスをどう扱うべきか、魔術師ギルド・副ギルド長のヘンリーと、ローズベルト商会長でありディアナの父であるレナードが考えた結果がこれだった。
この屋敷でリヴィウスが悪魔だと知る者はごく少数だ。当主であるレナードと、夫人のセシリア。
何かあったときのフォローができるようにと、老執事のウォルター。そして、あの騒動に巻き込んでしまい強制的に知ることとなってしまった、庭師のリック。
彼ら以外の使用人は皆、リヴィウスのことを人間だと思い接している。
なので時々こういうことが起こる。
だって悪魔だし、という言い訳はローラには使えない。彼を普通の成人男性だと思っているローラから見れば、ディアナの行動は軽率で危なっかしいものに映るのだろう。
気を付けないと、と思いながらディアナは身支度をするため寝台から降りる。
そこでようやく、ディアナはローテーブルに残された小さな花束の存在に気付いた。
「これは?」
「最初からありましたよ。リヴィウス様じゃないんですか?」
花は全部消したはずだ。なぜこれだけ残っているんだろうと不思議に思いながら手に取る。
白と桃色の小ぶりな花が映えるよう美しくまとめられたブーケは、ディアナの手にちょうど収まるくらいの控えめなものだ。
悪魔の力で作り出された幻想の花ではなく、確かにその実体があることを伝えるかのように、上品な甘い香りがディアナの鼻腔をくすぐった。
「そういえばリックが言ってましたよ。朝から魔術師様が花をもらいに来たって」
「……そう」
調子が狂う。嫌がらせかと思うくらい大量の花々で部屋を埋め尽くす癖に、すべてを力で用意するのではなく、律儀にも本物をこうして残すなんて。
くすぐったいようなむず痒いような、奇妙な気持ちを隠すようにブーケに顔を埋める。爽やかな甘い香りがディアナの胸中を満たした。
「……なに?」
「いえ、なにも」
にこにことディアナを見つめていたローラの視線に気まずさを覚え、わざとぶっきらぼうな反応を返す。
それにローラは何も答えず、ただ幸せそうに微笑み、支度を始めるディアナを見守っていた。
着替えを終え、ディアナは鏡台の前に座る。心得たように柔らかなブラシが髪を撫で、優しく梳かしていった。
「また遅くまで勉強ですか?」
髪を結ってもらいながら、ディアナはローラの言葉に文机へ視線を向ける。
そこには開かれたままの分厚い書籍や大量の資料、ディアナ自身が考えをまとめたノートなどが乱雑に置かれていた。
「あまり根を詰めすぎてはダメですよ。各都市の競合の動向とか魔道具に使用できそうな魔術体系とか、お一人で調べるには限界があるじゃないですか。
せっかくリヴィウス様がいるのですから、相談してみてはどうですか?」
「そんなのだめよ。ようやくスタートラインに立てたのよ? まずは自分の力でどれだけできるか試してみたいの」
誰かの力を借りてしまっては意味がない。ディアナはもう、お飾りの立場に甘んじるつもりはなかった。
自分の力で、後継者としての力も身に付ける。誰がなんと言おうと、ディアナこそが後継者だと認めてもらえるように。
確かに最近睡眠時間を削ってしまっていることは自覚している。が、ディアナはそこまで苦には感じなかった。
だってようやく表立って学ぶことができるのだ。一分一秒だって惜しく、ディアナは時間の許す限り必要だと思う知識を貪欲に吸収しようとしていた。
力強く答えるディアナをローラは心配そうに見下ろす。しかしそれ以上何も言うことはなく、ブラシを置いた。
ディアナは立ち上がって、置かれたブーケを手に取る。そこから一本だけ抜き、文机の上に置いてある小さな肖像画に花を添えた。
「——行ってきます」
肖像画の中で、小さな兄妹が仲睦まじく寄り添っている。穏やかな笑みを浮かべる兄に言葉を手向け、ディアナは自室を出た。




