番外編:出逢いの夜
現世へ顕現し、その器の脆弱さにリヴィウスは内心呻いた。
契約者の魔力があまりにも少なすぎる。
通常の魔術師による悪魔召喚とは異なり、ランタンを用いて現世へ召喚されるため、リヴィウスの契約者は一般人であることが多い。
魔力量が魔術師よりも少ないのは想定内だが、だからといってこの少なさは歴代一かもしれない。
これでは、本来の実力の十分の一も発揮できないだろう。
だからといって、契約者の前で泣き言をいうつもりはない。
表向きは平静を装いながら、リヴィウスは「さて、」と青年姿で顔を上げた。
「俺の名はリヴィウス。見ての通り悪魔——あ?」
いつものように名乗りから入ろうとしたリヴィウスは、床に伏していた少女がこちらを見ていないことに一拍遅れて気付く。
「……なんだ、落ちたのか?」
新米魔術師によくある話だ。急激に魔力が消費されると、身体の防御機能が働き気絶する。
しかし、リヴィウスを召喚するだけで気絶した契約者は、これが初めてだった。
魔力量の少なさといい、気絶といい、今回の契約者は随分と魔術とは縁のない存在らしい。
膝を折り、リヴィウスは少女を覗き込む。
目覚める様子はないものの、呼吸は安定しており、脈も正常だ。
ただ単に寝入っているだけだろう。
魔力が回復するまでこの場に転がしておいてもいいのだが、契約は第一印象が大事だ。
冷たい床に放置した結果、風邪を引いて逆恨みでもされたら堪らない。
仕方がない、とリヴィウスは少女を抱き上げる。
よほど魔力を消費したのか。少女はピクリとも動かなかった。
廊下へ出る。僅かに感じる人の気配と魔力の残滓を手掛かりに、リヴィウスは少女の部屋だろう扉を開けた。
入ると想像していたような部屋が広がる。
上品な天蓋付きの寝台。分厚い日記帳が開かれたままの文机。
一輪挿しの飾られたローテーブルと、向かい合うように配置されたソファ。
衣服の素材からも推測できたことだが、どうやらこの少女はそこそこ良い家柄の人間らしい。
寝台にゆっくりと横たえ、布団を被せる。
まだ何も知らない少女は、健やかな寝顔をしたまま枕へ顔を埋めた。
「呑気なもんだな」
まあいい。意図せず自由な時間が手に入った。
今のうちに、現状を把握しておくか。
時代、国の情勢、この都市周辺の地理情報。そしてこの家について。
知りたいことは色々ある。
リヴィウスは確認事項を脳内で指折り数えつつ、ふと文机の日記帳に目を向ける。
そこには、日常や業務など、たわいもないことがつらつらと書かれていた。
『譲れないこと』という文字が、書き手の思考を表すように僅かに滲んでいる。
気まぐれにページをめくる。ぱらぱらと流し読みしていると、魔道具や素材についてはやけに文量多く書かれていることが見て取れた。
以前リヴィウスが召喚された時代には、魔道具などというものは存在しなかった。
近年開発されたものだろうか。
相変わらず、人間の進歩は早い。
しかし惜しいな、とリヴィウスは思う。
ページに書かれた文字から溢れる想いの種は、正しく育てればリヴィウス好みの極上の『欲』となっただろうに。
そんな未来はやってこないことを、リヴィウスだけは知っている。
「不幸な娘だ」
もし、今夜ランタンに触れさえしなければ。
少女はリヴィウスに関わることなく、幸せにその生涯を閉じただろう。
ほんの少しの同情を覚えつつ、それでも手心は加えない。
それとこれとは別の話だ。
未だ穏やかな眠りの底に沈む少女を一瞥し、リヴィウスは明日少女へ突き付ける絶望の対価を心に描く。
これを告げたら、少女はいったいどんな反応をするだろう。
恐怖か、絶望か、怒りか。
——どんな感情を向けられたとしても、運命を塗り替えることはできないだろうが。
せめて。少女がこの対価に見合う願いを掴み取ればいい。
絶望を突きつけるリヴィウスが願えることといったら、それくらいだった。
「お前は、どんな願いを口にするんだろうな」
リヴィウスは知らない。
少女——ディアナが、この三日間の旅路を経て、悪魔も驚く手口で運命を勝ち取ることを。
そして、そんな彼女の輝きを見て。
——もう少しだけ、この輝きを見ていたいと。そう、思ってしまうことも。
それは物語の幕が開く前。
誰も知らない、夜の闇に消えるだけの、悪魔の些細な独白。
夜は更けていく。そして、日はまた昇る。
あと少しで始まる二人の魂の旅路を見守るように、月だけが優しく部屋を照らしていた。




