番外編:ローラの業務日誌
私の名前はローラ。ローズベルト家で働く、お嬢様付きの侍女だ。
主な仕事は、ディアナお嬢様のお世話をすること。
妹のように可愛がる彼女のお傍にいられる幸福を、日々噛み締めている。
専属侍女なので、基本お嬢様と行動を共にする。
けれどお嬢様は自立心旺盛な方で、一人でさっさと行動してしまうことも多く、侍女としては寂しく思うときもある。
それでも何かある時は、いつだって一番に声を掛けてくれる。
それが私の小さな誇りでもあった。……つい数日前までは。
◆
「ねえローラ。リヴィウス知らない?」
厨房でお茶の支度をしている私に、お嬢様はそう尋ねてきた。
「申し訳ありません。お見かけしてませんね」
カップを並べていた手を止めて答えると、お嬢様はその形の良い眉をひそめた。
そして「そう、ありがとう」とだけ言って、ぱたぱたと去っていってしまった。
どうやら、お茶の時間はもう少し後になりそうだ。
あの、リヴィウスという男性がローズベルト家に出入りするようになってから、お嬢様は彼のことばかりだ。
どうやらあの日、旦那様とリックを助ける手伝いをしてくれたらしく、それがきっかけでお嬢様が招き入れたらしい。
だから、お嬢様が彼を気に掛けること自体はいい。
ローズベルト商会の恩人であり、まだこの屋敷に来て日が浅い彼のことをお嬢様が気に掛けるのは当然のことだ。
少しくらいお嬢様とのお茶の時間が少なくなったとしても、我慢できる。
けれど。
問題は、リヴィウス様があれだけ気に掛けてくださるお嬢様のことを蔑ろにすることだった。
「どう思いますか⁉」
昼休憩に入り。ばん! とテーブルを叩き私は向かいのリックを睨みつける。
親の仇のように睨まれた彼は、そっと視線を外しながら自分の昼食を脇へ避けた。
「どう、って言われても」
「リヴィウス様の態度ですよ! リックはあんまりだと思いませんか?」
旦那様からは、彼については追って紹介すると言われているので、何かしら役目はあるのだろう。
けれど、あんなにリヴィウス様のことを探すお嬢様を無視してあっちこっちふらふらしているのはどうかと思う。
「今朝だって、朝食を終えたらすぐどこかに行っちゃって。
確かにリヴィウス様はお嬢様付きではありませんが、もう少しお嬢様の気持ちを汲んであげてもいいんじゃありませんか⁈」
怒りで声を荒げる私を宥めるように、リックはそっとサンドイッチを差し出す。
それを咥え、咀嚼するために黙り込む私を生暖かく見つつ、彼は自分のを齧った。
「いやあ、忙しいんじゃないか? 旦那様ともよく話してるし」
「いーえ! あれは絶対性格です! わざと素っ気なくして楽しんでるんです。本で読みました!」
「お前どんな本読んでるんだ」
リックの冷たい突っ込みは無視し、私はここ数日のリヴィウス様を思い出す。
珍しくお嬢様と一緒にいると思ったら、口も悪い、態度も悪い。
本当に、いくらお嬢様の推薦とはいえ、なぜ旦那様はあんな人物を雇ったのだろう。
「あんなの、顔だけじゃないですか!」
「いや、うん……うーん……」
何やら煮え切らない様子のリックをじろりと見る。
「まさか、リックはリヴィウス様の味方なんて言いませんよね?」
「言わない言わない。ただ、いろいろ事情があるんじゃないか」
慌てて手を振るも、どこか歯切れの悪いリックの様子に、私は溜息だけで返した。
どんな事情があったとしても、お嬢様を悲しませるようならリヴィウス様は敵である。
◆
今日は、一人で買い物に出ていた。
お嬢様が好きなお茶の葉が切れてしまったので、ちょっと出てきたのだ。
こうして街を歩くのは久しぶりだ。以前は、よくお嬢様と通りを歩いて買い物を楽しんだものだった。
また、一緒に行くことができるだろうか。
少しだけしんみりとしながら、通りを曲がったときだった。
「ごめん、ちょっといいかな?」
突然目の前に人が飛び出してきた。
考え事をしていた私は、びくりと足を止めてその人へ目をやる。
見たことのない人だ。特にこれといって特徴のない、中肉中背の男性だった。
目が合うと、男性は人当たりの良い笑みを浮かべながら一歩近づいてきた。
「きみ、ローズベルト家の使用人だよね?
この前の騒ぎについて、ちょっと話を聞きたいんだけど」
そこまで聞いて、私はさっと青ざめる。
朝礼で、ウォルター様から『近頃ローズベルト家のことを探る不審な人物が多数みられる』と聞いていたからだ。
何を聞かれても知らないと答えるように、と言われていたが、まさか自分が遭遇するとは思いもよらなかった。
「あの、私なにも知りませんので……っ」
「またまた。ちょっとは話を聞いてない?
なんでもいいんだ。どんな人が訪ねてきたとか、当主様が誰に会いに行ってたかとか。
きみから聞いたとは言わないから」
後ずさる私の腕を、男性が掴む。
思ったよりも強い力に、思わず私は顔をしかめた。
「いた……っ
放して、放してください!」
「そんな、人攫いみたいに言わないでよ。
通りじゃなくて、どこかの店で話そうか?」
口調は優しいが、手の力は少しも緩まない。
恐怖を感じ、私は悲鳴を上げることすらできず固まってしまった。
「その娘に何か用か?」
不意に、後ろから声がする。
振り返ると、最近見慣れてきた黒い姿が目に入った。
「な、なんだお前は」
突然現れたリヴィウス様に、男性はたじろく。
そんな男性に対して、リヴィウス様は「ああ、」と何か思い出したように声を上げた。
「なんだ、お前か。
噂は聞いてるぞ。『有名記者』だってな。
売れる記事を書くために、随分と努力をしてるらしいじゃないか」
いつの間にか男性の懐に潜り込んだリヴィウス様は、まるで友人に行うようにその肩に腕を回す。
そして自然な動作で私から記者を引き剥がすと、戸惑うその男性の耳元で何やら囁いた。
距離があるため、私には何も聞こえない。
けれど、その記者の顔がみるみるうちに蒼白となっていくのはわかった。
「いやあ、記者魂というのは素晴らしいな。記事を書くためにここまでするとは。常人には到底真似できない」
「な、なな、なんで……」
意味深な笑みを浮かべるリヴィウス様を、記者はまるで悪魔か死神かのように見る。
震える声には、先程までの勢いはまるでなかった。
そんな記者を気に掛ける様子もなく、リヴィウス様は楽しそうに笑みを深める。
「しかしこれだけの多大な努力が陰に埋もれるのは惜しいと思わないか?
——もっと、公にするべきでは?」
そっと囁く言葉に、記者はぶんぶんと首を振る。
もはや言葉も出ないようだった。
「そうか。あくまでも影に徹すると。奥ゆかしいじゃないか」
リヴィウス様はぱっと記者を開放し一歩後ろへ下がる。
その背の向こうに記者が見え、さりげなく間に入ってくれていることに気付いた。
「それならば俺もその意思を尊重しよう。
だが。あまり俺の周りで、その『記者魂』を発揮していたら。
——ついうっかり、口を滑らせてしまうかもしれないな?」
記者が勢いよく頷く。慌てふためいて踵を返し走り去っていく後姿を呆然と眺め、私はすぐ傍の黒い背中へ視線を移した。
「まったく。大商人っていうのも困りものだな。
これで何人目だ? あの当主は随分と敵が多いんだな」
ぶつぶつと文句を言うリヴィウス様に、「あの……」と戸惑いながら声を掛ける。
こちらを振り返った彼に、私は深々と頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとうございました」
礼をする私に、リヴィウス様は眉をひそめる。
「別にお前を助けるためにしたんじゃない。
元々あの記者は対処する予定だったからな。ちょうどお前が絡まれてただけだ」
リヴィウス様の言葉で、彼がなぜ最近ふらふらと外を出歩いていたのか気付く。
「……どうして、そんなことをするんですか?」
ローズベルト商会は情報にも敏感だ。噂の火消しに対処する人間も、それなりにいる。
最近屋敷に来たばかりのリヴィウス様が、わざわざ動く必要はない。
疑問をそのまま口にすると、彼は肩を竦めた。
「あいつの周りが騒がしいと、俺の契約にも影響するからな」
仕方なくだ、と言うのを聞いて、私の脳天に衝撃が走った。
点と点が繋がったように、急に思考が晴れる。
それはまさに天啓だった。
「これが……ツンデレ……⁈」
「は?」
呆れたようなリヴィウス様の言葉は、私の耳には入らなかった。
本で読んだ。普段は素っ気なくしつつも、その発言や態度とは裏腹にヒロインがピンチの時はさりげなく助け、守ろうとする。
礼を言っても素直に受け取らず、『別にお前のためじゃないんだからな』と意地ばかり張ってしまうという、あの。
感動だ。初めて見た。
まじまじとリヴィウス様を見つめる私を、彼は何か薄気味悪いものでも見るような眼差しで見返してくる。
「リヴィウス様!」
がしりと、その手を握る。
「私、応援しますから!」
勢いに押され、たじろくリヴィウス様をきらきらとした眼差しで見上げる。
あまりお嬢様を放っておくのはいただけないが、そこは私がフォローしたらいい。
もしかしたら、お嬢様にも春が来るかもしれないのだ。
侍女として、協力しないでどうする。
「まずはお茶なんかどうですか? ちょうど買ってきたところなんです。
お嬢様は甘すぎないお菓子がお好きですから、プレゼントとしてどうですか?」
「何言って——いやおい。ちょっと待て」
ぐいぐいと引っ張りながら店の方へ歩き出す私を引き留めようと、リヴィウス様が口を挟む。
男性ならば、無理やり腕を引っこ抜くことだってできるだろうに。——やっぱり、この人はツンデレだ。
「あのお店、お嬢様のお気に入りなんですよ。
あっちの広場は足を休めるのにちょうどいいんです。
食べ物以外なら、文具店も——」
「頼むから、もうお前一人で帰ってくれ……!」
切実なリヴィウス様の言葉は無視し、私はにっこりと微笑みを向けた。
◆
私の名前はローラ。ローズベルト家で働く、お嬢様付きの侍女だ。
主な仕事は、お嬢様のお世話をすること。
そして最近では、それに加えてお嬢様とリヴィウス様の仲を取り持つことだ。
「いいですかリック。リヴィウス様はね、貴重な存在なんですよ」
「なんかお前、最初と言ってること変わってないか?」
ツンデレが何たるかを語る私を、リックは冷めた目で見つめる。
それでもめげない。布教とは、かくも厳しい道なのである。
一人悦に浸る私を眺めながら、リックは疲れたように溜息を吐くのだった。




