第51話:契約の始まりと幸福の定義
正式に契約を結んだことで魔力の回復したリヴィウスとヘンリーの手により、一行は地下空間から開けた地上へと出た。
外に出てみると、そこは都市にほど近い場所だった。あと少し魔導書を破壊するのが遅かったら、都市にも甚大な被害が出ていたことだろう。
夕日が沈む地平線を眺めながら、ディアナは思った。本当に、これで終わったのだと。
「ディアナ」
達成感と命が助かった安堵で、感極まり泣きそうになる。
胸の奥からせり上がってくる衝動になんとか堪えていると、レナードがディアナの名を呼んだ。
複雑な表情でディアナを見つめるレナードを見て、そういえば何も説明していなかったと改めて気付く。
ディアナはどこから話すべきかと悩んだ。
「……色々、話したいことはあるんだけど」
悪魔のこととか、短剣のこととか。
でもまずは何よりも、ディアナは伝えたいことがあった。
「お父様。私まだ、結婚はしません。
ローズベルト家に残り、後継者として、商会に携わっていきたいんです」
ずっとずっと、伝えたくて。でもそれは、罪だと思っていた。
けれど罪はもうどこにも無い。
あるのは信念と、兄の遺志を継ぐという強い想いだけ。
ディアナの、決意と意志が輝く瞳を、レナードはじっと見つめる。そして口元をふっと緩めた。
「魔術の世界でも商人の世界でも、女性の後継者というのは非常に風当たりが強い。
侮られることも、いわれのない嘲笑を受けることもあるだろう。
私も娘だからといって、一切手加減はしない。
——それでも、いいんだね」
「望むところよ」
一瞬の迷いもないディアナの返事を聞き、レナードは胸元へ手を伸ばす。
常にレナードの胸元で輝く、ローズベルト商会の理念を表す意匠を象ったバッジ。
それを外し、そっとディアナの胸元へ着けた。
「——ずっと、これを渡したかった」
誕生日おめでとうディアナ。
今の自分の姿は酷い有様だ。
誕生パーティのときのような煌びやかな衣装も、身体を飾る宝飾品も、顔を彩る化粧もない。
走り回り、風雨に晒され。
髪はぼさぼさで服は乱れているし、土埃で汚れた手足は目も当てられない。
だが。
命の輝きを放つ、その瞳だけは。
今までのどの瞬間よりも、煌めいていると実感できた。
「元商会長を説得するのは大変だぞ」
「それは腕が鳴るわね。後継者最初の仕事として申し分ないわ」
固い握手を交わす。ディアナにもう、エスコートは必要ない。
窮屈な靴は必要ないのだ。
だって、もう自分の足でどこまでも駆けていくことができるのだから。
「お嬢様! リック!」
叫ぶような声に、ディアナは西門のほうを見る。見覚えのある馬車と、身を乗り出し手を振るローラの姿が見えた。
馬車は近くに停まり、飛び出すようにローラが降りてくる。その後をセシリアが続き、ぼろぼろのディアナとレナードの姿を見てぐっと唇を引き結んだかと思うと、潤む瞳をそのままにゆっくりと微笑んだ。
「セシリア」
「みんな、無事でよかった」
「どうしてここに?」
「お祖父様と合流してギルドへ急いだのだけれど、騒ぎが起こっていて入れなくて。
お祖父様はギルドの魔術師たちと連携して、事態を治めるために動いてくれているわ。
……そうしているうちに、外壁の向こうに竜巻が見えたから」
竜巻というのは、漏れ出してしまった悪魔の力だろう。
異常事態を察し、門をくぐり様子を見に来てくれたのだ。
「どうして、どうして一人で行っちゃうんですか! 私が、どれっだけ心配したか!」
「ごめんなさいローラ」
「リックも! 無事でよかったあああああ」
「あー泣くなよ。みんな大丈夫だって」
静かに互いの無事を喜ぶ夫婦の背後で、ディアナはローラとしばし再会の喜びを分かち合う。
ようやく落ち着きを取り戻したローラは、ぐすりと鼻をすすりながらリヴィウスへと目をやった。
「……誰ですか?」
「……ええっと」
ちらりと無言でリヴィウスと視線を交わす。
言い訳の思い付かないディアナに、レナードから「そこまでだ」という助け舟が入った。
「積もる話はあるが、まずは家に帰ろう。早くしないと門が閉まってしまう」
魔術師ギルドからも増員が入り、ディアナたちはようやく帰路に就く。
長い一日が、本当に終わろうとしていた。
――いや、違う。
ここから始まるのだ。
隣に立つリヴィウスを見上げる。
慌ただしく動き回るギルドの魔術師たちをつまらなそうに眺めていた彼は、ディアナの視線に気付き、その瞳を楽しそうに細めた。
月のようにも見えるアンバーの瞳が、声にならない言葉でディアナに挑戦状をたたきつける。
お手並み拝見、と。
こうして、私と彼の日々は始まりを告げた。
不遜な悪魔と、強欲な令嬢の、最高の幸福を求める契約の日々が。
続けてエピローグがあります。同時公開ですので、続けてご覧ください。




