第50話:今回は俺の負け
「貴方言ったわよね? 悪魔は、契約者が死ねば異界に還るって。
どうしましょう。私は天寿を全うするまで貴方に見守ってほしいんだけれど、それじゃあ対価はあげられないわね?
——貴方の返答次第では、願いを変えてあげたっていいんだけれど」
誰だってただ働きは嫌よね? と綺麗な笑みを向ける。
初日。リヴィウスは対価を変えろと要求したディアナに対して「なんで俺が妥協しなきゃならない」と突っぱねた。
つまり、それは妥協の余地があるということだ。
リヴィウスは無理なものは無理と言う。契約に関して、決して嘘偽りは語らない。
最初から、ディアナが持っている手札は少なかった。リヴィウスに対抗できるのは、彼が求める魂という手札だけ。
ならば手札を増やせばいい。彼にはどうにもならない、契約者の願いという手札を切り札に変えるのだ。
それは契約を拒み、願いを恐れていたディアナには決して思い付かなかったこと。
だが、今は違う。
逆境を契機に、苦難を武器に変える力が、今のディアナにはある。
「そんな願いは無効だ、という意見は聞かないわ。
リヴィウス。貴方は契約者自身が掴み取った結果は尊重すると言ったわね。
それがどんなに不利な条件だろうと、覚悟をもって契約に臨んだ契約者を尊重すると。
私は貴方の言う『魂を取るな』といったような、直接的に矛盾する願いは言っていない。
ただ、私の人生を見届けてほしいだけ。
長期間の契約も、前例があると言っていたわ。
貴方の提示した契約条件と、なにも矛盾はない。ただ、召喚の仕組みとちょっと齟齬が出ているだけの話よね」
悪魔召喚は魔術師の技術。契約は悪魔の領域。
リヴィウスはこうも言っていた。
だから、契約とは別の領域で勝手に発動してしまう契約者の死による異界への強制送還に、リヴィウスは抗うことができない。
さあどうする、とディアナは挑むようにリヴィウスを見る。
もはや形勢は逆転したも同然だった。変えなければならないのは、ディアナではなくリヴィウスのほうとなった。
「……」
長い沈黙の末、リヴィウスは重く深い溜息を吐く。
「つまり。お前は人生をかけて、商会や自身の人生の充実のために、この俺を使い倒し。
——最期には、死に逃げすると。
そう言ってるんだな?」
端的にまとめるとえらく酷いことを言っている。
人間同士の交渉なら、塩をまかれてもおかしくはない。いや、背後を刺されるかもしれない。
だがこれは悪魔契約。人間の基準で考えてはならない。
いったん息を吸い、ディアナは力強く答えた。
「その通りよ!」
「なるほどなるほど。……この強欲女が!」
「今の私には誉め言葉だわ」
それで、どうするの?
ただ罵るだけのリヴィウスを見つめ、ディアナは最後通告を突きつける。
「契約を呑むの? 呑まないの?」
「いいだろう。呑んでやる」
対価を変えさせるための無茶な願いだ。どうせ呑まないに決まっている。
そう思っていたディアナは、あまりにもあっけなくリヴィウスが頷いたため逆に面食らい目を瞠った。
「……吞むの⁈」
「いやあっぱれだ。正直感心した。ここまで厚顔無恥で傲慢な願いを突きつけた契約者は、おそらくお前が初めてだ。
——今回は、俺の負けだ」
……今回は?
一瞬疑問がよぎるが、次の瞬間目の前に現れた光の渦にディアナの思考はもっていかれる。
ディアナの目の前に光り輝く誓約書が浮かび上がる。古代文字の連なる神秘的な書面は、まるで芸術作品のようだった。
なんて美しいのだろう。禁忌の術だということも忘れ、ディアナはその美しさに目を奪われる。
「ディアナ・ローズベルト。我が強欲なる契約者よ。
お前が真の幸せを掴むまで、この俺が誠心誠意お前の手足となってそれを助けることを誓おう」
朗々とリヴィウスの声が反響する。初めて呼ばれるその音に、彼もまた初めてディアナの名を呼んだことに気付いた。
お互い、似た者同士だったのかもしれない。
両者は今、初めて互いに向き合ったのだ。
誓約書にディアナの名が刻まれる。
契約は成された。これでもう、ディアナは命の危機に怯えることはない。
光が収まり、天井の空いた地下空間に一日の終わりが訪れる。
赤い日が差し込み、災厄の名残を残す床を明々と照らした。




