第48話:欲深き令嬢
「そんな……なんとかして止めないと」
あまりの規模の大きさにディアナが思わずそう零せば、リヴィウスは視線を悪魔から外しディアナを見た。
「なんで」
「なんでって……」
予想外の言葉に、ディアナは唖然としてリヴィウスを見つめる。
都市の三分の一が破壊されると言ったのはリヴィウスだ。それを止めないと、と言うディアナに対して、逆になぜそんな言葉が出てくるのか。
「どうせ犠牲になるのは魔術師ギルドの連中が大半だ。身から出た錆。危険を冒して止める必要はないだろう。
あと数分、こちらはもちこたえればいい」
「そんな、ただ見過ごすようなことできないわ!」
「だから何故だ? 商会と魔術師ギルドは敵対してる。グラン・オルフォードがいなくなったからといって、保守派が完全に消えるわけじゃない。ギルドが壊滅すれば商会にとって有利に働くだろう。
——安易な正義感だけは語るなよ。俺はそんなものに手を貸すほど、甘くない」
アンバーの瞳がディアナを無慈悲に見下ろす。つまらない答えは聞きたくないと、その瞳は暗に語っていた。
そんなリヴィウスをディアナは毅然とした態度で見返す。
「だからよ。——ここで何もせず見ていたら、魔術師ギルドは壊滅。派閥も関係なく、多くの魔術師が死ぬわ。
とても綺麗なエンディングね?
巻き込まれたローズベルト商会は、その悲劇を乗り越えて、偶然生き残った融和派筆頭のアルノルト卿と新たな時代を築く。
そんなことになれば、きっとこんな噂が飛び交うことになるわ。
——ローズベルト商会が、黒幕だったんじゃないかって」
ディアナは知っている。噂は、時に真実より勝ると。
「お父様が国家魔術師に連行されたという噂は、きっともう都市に広まっているわ。
私が求めているのは、ローズベルト商会の完全な身の潔白。
そのためには、目撃者である魔術師たちにも、事を企てたオルフォード卿にも、生きていてもらわなきゃならないの」
それにね、とディアナは一呼吸置き拳を握る。
「ついでに魔術師ギルドに恩を売っておいて、この先の魔道具開発を有利に進めたいわ!」
力説するディアナの言葉に、一瞬場が静まり返る。得意げに胸を張り、ディアナは楽しそうにリヴィウスを見上げた。
「私って、実は意外と欲張りみたい」
「確かに、この危機的状況で随分と欲深だな」
リヴィウスが呆れたように溜息を吐く。そしてそのまま、仕方ないというように口の端を上げた。
「——でも嫌いじゃない」
再び視線を悪魔へと戻す。悪魔の力は更に暴走しているようだった。魔力を強制的に吸い取られているグランもまた、最初の余裕は消え去り苦悶の表情を浮かべ呻いている。
「策はある?」
「あるにはある。魔力の供給を止めればいい。魔力はあの魔導書を経由して悪魔に流れてる。
どうにかしてあの魔導書を奪い、破壊するしかない」
「簡単に言うが、グランは実力だけは確かだ。
彼の施した術式に干渉し破壊するには、相当の実力がなければ難しい」
リヴィウスの言葉にヘンリーは眉を寄せる。ヘンリーほどの魔術師が言うならば、相当難しいのだろう。
どうしたものかと悩んでいるとリヴィウスは「なんだそんなことか」と笑い飛ばした。
「一つだけあるだろう。一介の小娘でも、高位の魔術師の術式を簡単に破壊できる方法が」
ディアナとリヴィウス、二人の視線がリックへと集まる。急に視線を受け、リックは動揺しつつ肩から下げたカバンの紐を握りしめた。
「リック。貴方まだ、あの短剣を持っている?」
「え? ああ、あれですか? 持ってますけど」
狼狽しながらカバンから出した短剣を見て、リヴィウスは満足そうに頷く。
「道を誤った弟子には、師匠直々に引導を渡してもらうことにしよう」
おい魔術師、とリヴィウスがぞんざいにヘンリーへと言葉をかける。
「お前は神聖術を使えるか?」
「普通、魔術師は神聖術を使えないものだよ」
突然のリヴィウスの問いに、若干呆れの色を混ぜヘンリーは答える。
「なんだ。その歳になってまだ師匠を越えられないのか。情けないな」
「……貴重な時間を使ってやりたいことが、私を馬鹿にすることなのかな」
悪魔の挑発に乗らず淡々と答えるヘンリーに対し、リヴィウスは一つ大きく舌打ちを鳴らす。
だがそれ以上は突っかかる様子はなく、「なら障壁だけでも張っておけ」と言い放った。
「悪魔の力は弾けなくても、瓦礫や二次被害からは身を守ることができるだろう」
「君はどうするつもりだ」
「俺は悪魔の気を引く」
「ちょっと待ってほしい」
短剣をディアナに手渡すリヴィウスに、レナードが待ったをかける。ディアナの手の中に収まる短剣を見て、心配そうに胸に手をやった。
「その短剣は、私には使えないだろうか」
「お父様」
「お前じゃ無理だ。この暴風の中は耐えられない。
こいつにはあらかじめ守護をかけているが、新しくかけ直す力はもう俺にはない。
この防壁だってそろそろ限界だ」
炎の檻が不安定に揺らぎ始める。早く動かなければ、全員が助からない。
苦渋の決断で手を下ろすレナードを安心させるよう、ディアナは自信に満ちた笑みを浮かべ「心配しないで」とその手を握った。
「私に任せて」
「……気を付けるんだよ」
身を引いたレナードの代わりに、リヴィウスは「いいか」とディアナの目を覗き込む。
「まっすぐ走れ。他は気にするな」
頷き、ディアナは駆け出す。背後で炎が躍る音が聞こえた。
安全な炎の中から飛び出したディアナを、すぐさま銀の風が襲う。石を粉々に砕くような力だ。ほんの少しでも身体を掠めれば命はないだろう。
だが恐怖はなかった。あと少しで風が身体を抉るというところで、その銀を黒が弾き返す。周囲で繰り広げられる攻防を視界の隅で捉えながら、ディアナはただ走った。
足が軽い。今なら、どこまでだって駆けていける気がする。
召喚陣の中心が近づく。膝をつくグランは、もう魔導書を手に持ってはいなかった。
力の奔流に抵抗しながら、近くに落ちている魔導書に慎重に近づいていく。
「やめろ……! それ以上、近づくな……っ」
震える手を伸ばしながら、グランは必死の抵抗を行う。だが、魔力が極限まで放出され肉体的にも限界がきていたグランに、それ以上の抵抗は難しかった。
グランの瞳が亀裂の入る短剣を映す。屈辱に顔が歪み、憎悪に満ちた目で鈍く光る刀身を睨みつけた。
「まだ、否定するのか……私を、これ以上否定するな!」
短剣を振り上げる。鋭い切っ先が魔導書の中心に突き刺さり、声にならない断末魔が魂を揺さぶった。
暴れまわっていた銀は一度収束し、巨大な爆発となり空間へと散る。
激しい衝撃と落盤の轟音が身体中を震わせ、ディアナはその場に伏せ身を守った。
静寂が訪れる。同時に、先程までとは違う清涼で優しい風が頬を撫でた。
目を開ける。悪魔の力の暴走で、天井には大きく穴が開いていた。
悪魔の力は天候すら変えてしまったらしい。
空を覆っていた暗雲は消え去り、深い青と赤が入り混じる空が見える。——既に、夕暮れに差し掛かろうとしていた。
「——どうしてこんなことを」
呆然と空を見上げていたディアナは、近くにヘンリーが来ていたことに気付かなかった。
すぐ傍に倒れ伏している、魔力を急激に失った反動で急激に老いたように見えるグランの傍らに立ち、悔しそうに表情を歪める。
「どうして?」
弱々しく呼吸を繰り返しながらもぎらぎらと光る瞳だけはそのままに、グランはヘンリーを睨みつけ強く吐き捨てた。
「貴様こそ、何故わからない。かつての魔術師の栄光を。かつての万能感を。貴様はその血に刻んでいるはずだ。
——知っていて、どうして易々とそれを手放せる」
何故、私の手を取らなかった。
グランの言葉は、そう責めているように感じた。
ヘンリーはそれ以上何も言わず、ディアナの背後を振り返る。
「君が手を下すかい」
寂しそうに、悲しそうに、ヘンリーはレナードにただそう聞いた。
「……いや」
問われ、レナードは沈黙のあと首を振る。
「すべてを司法に委ねる。——私は、その男とは違う」
色々なことが明らかになった一日だった。
この都市に蔓延していた恐ろしい謀略のこと。失踪した兄のこと。
真実は鋭すぎて、まだディアナの心ではそのすべてを受け止めることはできない。
ゆっくりと、向き合っていく。——その時間を、私は手に入れなければならない。




