第47話:絶望の具現化
「……貴方がやったの?」
怒りで震える手をぎゅっと抑える。記憶の中微笑む兄の表情が。ディアナを呼ぶ愛おしそうな声が。何度も何度も浮かんでは消えた。
「貴方が、兄を、殺したの?」
「直接手を下したわけではない。私は少し、家を飛び出したくなるよう仕向けただけだ。
——そう例えば、大事な妹が外に駆け出していく光景を見せるとか」
想像の世界で、テオドールは窓の外を見る。
眠りについたはずの妹が屋敷の外に駆けていく幻影を見れば、誰だって慌ててその後を追うだろう。
夜の闇にたった一人で飛び出せば、戦う術を持たない少年などどうとでもなる。
「あとは戻ってきたくならないよう、北の領地境に捨てただけだ。
まさか差し向けた部下まで失うとは思っていなかったが、ローズベルト商会の勢いを半減できただけで十分損失は賄えた。
そのまま大人しくしていてくれたら、尚よかったのだがな」
今度こそ、ディアナはなりふり構わず駆け出そうとした。怒りで視界が染まり、ただ一つのことしか考えられなくなる。
目の前の憎い仇に一矢報いたい。心を占める感情は、それだけだった。
勢いに任せ飛び出そうとしたディアナの首根っこを誰かが掴み引き倒す。先程までディアナの頭があった場所を、熱線が穿った。
「——落ち着くんだ、ディアナ」
静かな父の声が降り注ぐ。あまりにも冷静なその声にディアナは反発しようと顔を上げるが、その瞳に浮かぶ激情に何も言えなくなった。
怒りと苦しみ、後悔、無力感。
すべてがない交ぜになったような闇をその紫の瞳に閉じ込め、レナードはディアナをじっと見つめる。
そしてようやく気付く。自分を抑えつけるその腕が、細かく震えていることに。
「戦況を、見誤ってはいけない。怒りに我を忘れ感情のままに振舞えば、相手の思うツボだ」
「……」
「わかるね?」
こくりと小さく頷く。「よろしい、」と言ってレナードはようやくディアナの拘束を解いた。
もう駆け出そうとはしない。怒りはまだ胸の内で燻っているが、それをぶつけるのは今じゃない。
ディアナの視線の先で、召喚は完了しつつあった。異界への扉が開き、悪魔が顕現しようとしている。
「あれなに……?」
召喚陣の中心に、いつの間にか金属の山のようなものができていた。よく見るとゴーレムの部品のような。
疑問を浮かべながら見つめていると、「なるほどな」とリヴィウスがすべてを察したかのように頷く。
「悪魔契約をどうやり過ごす気だと思ったら、魔力の器の代わりにゴーレムに憑依させて縛るつもりらしい。
確かに、上手くいけば契約を通さず悪魔を使役できる。さすが魔術師。いつの時代も考えることがえぐいな」
「それ、感心して見てていいの? 契約を通さないってことは、オルフォード卿は対価を支払う必要もないってことでしょう?」
好き勝手できるじゃないか、と慌てるディアナに対してリヴィウスはどこまでも落ち着いている。
静かな、それでいて侮蔑のこもった眼差しをグランへと向けたまま口を開いた。
「上手くいけばの話だ。——力の残り香程度ならともかく、悪魔自身を現世の代物に宿せるわけがない」
リヴィウスの言葉と同時に、ゴーレムの身体が崩れ始める。末端から砂のように形を失い、ぼろぼろと零れ落ちる様は、まるで急激に腐食が進み朽ちているかのようだった。
「まだだ! まだ——!」
失敗に終わるかに見えたが、グランが呻き悪魔へ杖を向ける。グランの流し込む魔力が、異界へと戻りかけていた悪魔を引き戻し捉えた。
未だ形を成さない悪魔が、何かに抗うように蠢く。
「もうやめろグラン! そのままでは命に関わる!」
「諦めるわけにはいかん! 私は、私はあの方に選ばれたのだ!」
「あの方……?」
「未来を創るのは我々純粋なる魔術師だ! 貴様ではない!」
その途端、召喚陣の中心から爆風が生まれた。無理やり異界から引きずり出された悪魔が、中途半端に纏わり付く器を引き裂くように顕現する。
つぎはぎだらけの器に収まりきらない悪魔はその力を無尽蔵に溢れさせ破壊の限りを尽くした。
銀の風が先程までとは比べ物にならない勢いで壁を、天蓋を抉っていく。
リヴィウスの炎の中は安全だったが、時折不安定に揺れる様子からいつまでもつかはわからなかった。
「派手だな。ここまでいくと最早大災害だ」
口笛を吹きそうな勢いで、リヴィウスが楽しそうに呟く。
「だがあの状態はもたないな。悪魔の力が尽きるのが先か、術者の命が吸い尽くされるのが先か。そう長くはかからないだろう。
もって数分といったところか」
「じゃあ、その数分を耐えれば——」
「だがその僅かな時間でも、都市の三分の一は消し飛ぶだろうな」
それは絶望を具現化したような言葉だった。




