第45話:夢の在り処
「——貴様は本物だな」
どうやら少し時間をかけ過ぎたらしい。杖を持つグランを見てディアナは結界を背に立ち上がり身構える。背中を汗が伝った。
不穏な光を宿したグレーの瞳がディアナを睨めつける。
「命が惜しければお前が使役する悪魔の支配権を私に寄越せ。魔力の乏しい凡人の貴様などより、私のほうが有意義に使える」
まるでリヴィウスのことを考えていない発言にかっと頭に血が上り、ディアナは杖を向けられているのも忘れてグランを睨んだ。
「彼は道具じゃないわ」
「なんだ、随分とご執心だな。だが勘違いしている。
——あれは道具であり、兵器だ」
突然目の前を影が遮った。座り込んでいたリックはディアナを庇うようグランの前に立ち塞がり両手を広げる。
「……なんの話をしてるかわかりませんが、こんなこと許されると思ってんですか」
「リック……っ」
「部外者の小僧は黙っていてもらおう」
冷たいグランの視線を受けてもリックは怯まずその場を動かない。
グランの纏う空気が重く冷たくなっていくのを感じ、ディアナは慌ててリックの肩を掴んだ。
「リックやめて! 私なら大丈夫だから」
「……ローラが言ってました。お嬢様の大丈夫は、大丈夫じゃないって。俺も同意見です」
「リック……」
「ここは動きません。
——お嬢様を傷つけるつもりなら、まずは俺にしろ」
低く唸るリックに興味の欠片もない視線をグランは向ける。だが青ざめるディアナを見て、にたりと嫌な笑みを浮かべた。
杖の先をリックに合わせ、グランは「そうすることにしよう」と囁く。
「オルフォード卿!」
「この小僧を助けたいだろう。悪魔と身内と、どちらを取るつもりだ」
「お嬢様、話を聞く必要はありません」
リックの言葉にグランは呪文を紡ぐ。
放たれた熱線が瞬時に足元を穿ち、地面を焼いた。突然の威嚇にディアナは漏れかけた悲鳴をなんとか呑み込む。
「手荒なことはしないとお思いかな? 生憎と、既に戻れないところまできている」
「……」
「もう一度だけだ。悪魔と、身内。貴様はどちらを取る」
グランの言葉にディアナは息を呑む。ぐっと歯を食いしばり、地に置いたままのミネルヴァの遺産へ視線を落とした。
「——ランタンは、悪魔が持ってるから私は渡せない。その代わり、この結界を解除するわ」
「お嬢様!」
振り返り抗議の声を上げるリックの背にディアナは額を当てる。そして彼にだけ聞こえる小さな声でそっと囁いた。
「お願い。……私を信じて」
一度だけ身体が小さく震え、リックは諦めたように両手を下ろす。
もう一度念を押すようにその背を撫で、ディアナはリックの横から一歩前へ出た。
「その封印を解くだと? そんなこと、魔術師でもない貴様にできるわけがない」
「なら、約束して。……もし解除することができたなら、リックに手を出さないで」
言葉の裏を探るよう、グランが目を細め沈黙する。
しばらくして、グランは静かに杖を下ろした。
「いいだろう。だが、少しでもおかしな真似をしてみろ。大事な庭師の腹に風穴が開くぞ」
こちらの挙動を見逃さないと射抜く視線を受け、ディアナはゆっくりとした動きで地面の箱を持ち上げる。
土を払い、神秘的な光が揺れる幕の前に立った。箱がほんのりと白く光り、熱を持つ。
あのときのように、結界に変化が起きる。今まさに誰かが見えない筆で書き出しているように、目の前に、優美な筆記体が現れた。
『未来を受け入れ、過去に進むか』
「進むわ」
ディアナが答えると文字に変化が現れる。煙のように消え、新たな一文が現れた。
『我々が受け入れるべき未来とは何か』
これが、きっと最後の鍵。
目を閉じてディアナは思考を巡らす。もうどこにも、ヒントはない。
この答えは、自身で導き出さなければならない。
——ねえ。貴女はどうして、こんなことをしたの?
ディアナが知る、彼女の痕跡を辿る。
お伽噺だという悪魔の存在を本気で信じ、追い求めていた天才魔術師。
シルキーの紐で綴じた報告書の中に資料への道筋を隠し、魔導インクを用いて鍵を隠した。
同じように悪魔を求めていたはずなのに、グランはこの先を求め、彼女は封じた。
『夢を辿れ』
なぜ、ミネルヴァは夢の寓話集へ鍵を隠したのか。
夢とは希望。未来に見る光。
我々とは魔術師。過去とは悪魔。
なら未来は——?
魔術師が受け入れなければいけない……受け入れた魔術師のみが、過去に進める。
そんな未来を、彼女は『何に』夢見た——?
視線を上げる。答え合わせは一回限り。根拠はどこにもない。
だがディアナは、そうであればいいと夢見た。
「——『すべてのものに光を』」
曾祖父が掲げた、ローズベルト商会の理念。
魔術師だけが魔術の恩恵を受けるのではなく、この世に生きるすべてのものが等しく、その奇跡を享受できる世界。
オーロラの光がより一層強くなる。錠が外れ、鎖が氷細工のように粉々に砕け散り光の粒となった。
「開いた……」
呆然と呟くディアナが、転移石に手を伸ばそうとした次の瞬間。
背後から突然突き飛ばされ、ディアナはよろめく。あわや地面に倒れこみそうになったディアナを、リックが支えた。
二人には目もくれず、グランが転移石へ触れる。
眩い光と共に、グランの姿は消えていた。
「いけない……!」
先を越されてしまった。すぐに追いかけようとするディアナの耳に、複数の足音が届く。
「ディアナ!」
「お父様……」
息を切らせ駆け寄ってきたレナードがディアナをきつく抱きしめる。苦しいくらいの抱擁と温もりに、ディアナは震える声で「ごめんなさい」と呟いた。
「私が、私のせいで、こんなことに」
「ディアナが謝る必要はない。——私こそ、すまなかった。君を、随分と独りにしてしまった」
苦しそうに謝罪の言葉を漏らすレナードに首を振る。そんなことはない。父はずっと、ディアナに歩み寄ろうとしてくれていた。
それを拒み、向き合わなかったのはディアナのほうだ。
「感動の再会のところ申し訳ないが。早く行ったほうがいい」
冷たくも聞こえる冷静なリヴィウスの声が生まれていた親子の和解の空気を割く。
集まる視線に、リヴィウスは転移石のほうを見ながら言った。
「手遅れになるぞ」
レナードと視線を交わし、ディアナはそっと身体を離す。
そして光を放つ転移石へ触れた。




