第43話:顕現する漆黒
「こうは考えませんか?」
沈黙が支配する室内で、ディアナは怪しく笑みを深くする。
「悪魔は現世の形にとらわれず、絶えず姿かたちを変えられるそうですね。
この映像が、私ではないのなら。
——いったい、これは誰なんでしょう」
旅人を魅了するセイレーンのように、魅惑的な笑みを浮かべディアナはグランを見つめる。
アメジストを思わせる、深い紫色の瞳。
神秘を宿すその瞳は、明かりを受け煌々と輝いていた。
——その瞳の奥で、闇夜に浮かぶ月が、刹那瞬いて消える。
反射的に、グランは胸元から杖を取り出し魔術を放っていた。
現実を認識する前に、この身体に流れる血が、魔術師の本能が、目の前の存在が『そう』だと全力で訴えてくる。
グランが放った魔術は瞬時に張られた障壁に当たり周囲へと散る。その反動で室内には魔力で生まれた白い煙が充満し、一切の視覚を遮断した。
「時間稼ぎはこれくらいで十分か」
白い視界の中、飄々とした男の声がする。
魔力の風が中心から吹き荒れ、まだ視界を覆っていた煙の残滓を吹き飛ばした。
晴れる視界に闇が生まれる。すべての色を呑み込む、漆黒の闇が。
「ご機嫌いかがかな魔術師様。令嬢との会話は楽しかったか? 相手が俺で残念だったな」
「貴様……!」
「名残惜しいがそろそろお暇するとしよう。こっちはそんなに暇じゃないんだ」
「待て!!」
再び魔術を放つが避けられる。狙いが逸れた魔術は壁にぶち当たり、調度品が激しい音を立てて砕けた。
避けたリヴィウスは扉を蹴破り廊下へと飛び出す。その背を追い、グランは次々と魔術を放った。それに反撃するよう、リヴィウスもまた術を背後へと無造作に放つ。
あちこちから悲鳴と混乱が生まれ、ギルド内は狂乱の宴となった。
しばらく廊下を駆けて追うものの、姿を見失う。いったいどこだと気配を探るが、狂騒の中では思ったように魔力を探るのは難しかった。
外に逃げたかと一瞬思うが、ふと考え直す。
なぜ、あれはわざわざこんな回りくどいことをした?
おそらく奴らの目的はレナードとリックの奪還だろう。ならば正面から挑んだとして問題なかったはず。
魔力探知を行うと、レナードとヘンリーはまだ部屋に残っていた。合流している様子も見られない。
なら、他に狙いがあるのだろうか。身内の奪還を差し置いても、優先する狙いが。
「……!」
まさか、と思いグランは廊下を駆ける。目指すのは第三資料庫。扉に施されていたはずの魔術は破られており、扉は半分開いていた。
その扉をこじ開け、グランは奥へと進む。隠し扉を魔術で押し破り、薄暗い通路へと躍り出た。
「なんだ、もう来たのか」
隠し扉から差し込む光に照らされ、リヴィウスが少しばかり感心するように声を上げる。
「もう少し時間がかかると思ったが。頭の回転は悪くないらしい」
会話には応じず、グランは呪文を紡ぐ。詠唱に導かれるように、地中から金属の巨体がその姿を現した。
耳障りな金属音を鳴らしながらゴーレムがリヴィウスへと襲い掛かる。猛襲を、悪魔が生んだ黒い炎が阻み押し返した。
「……黒い炎」
目の前に広がるその炎に、グランは記憶の奥が刺激される。
師が収集していた膨大な悪魔研究の資料の中、伝承として残されていたかつての大戦時の記録が脳裏によみがえる。
「その特徴は、知っている。かつての大戦で、北の帝国からの侵攻を防いだ悪魔の中の一つだと」
歴史の中に埋もれていた存在が今、グランの目の前に現実として立っている。
夢が現に変わりつつあるのを感じ、グランは静かに狂喜した。
「その後、どれだけ熟練の魔術師たちが召喚を試みても一度も成功したことがないはず。
——何故貴様はここにいる」
「それは良いことを聞いた。少なくとも、お前らに好き勝手呼び出される心配はだいぶ減ったな」
「やはりあるんだろう! 異界より呼び出し、貴様を現世に縛る手段が! それを寄越せ!」
高ぶる感情のままに、グランは杖を突きつける。主の命に従い、ゴーレムは再び動き出そうとしていた。
「それは私のものだ! 魔術師が支配できない悪魔など、存在してはならない!」
「ああいいな。それくらい傲慢なほうが、俺としても良心の呵責を感じずに済む」
まるで感情の伴っていない言葉を残し、リヴィウスはゴーレムに応戦しようと炎を生み出そうとする。
が、僅かにリヴィウスの魔力に乱れが生じる。その途端、リヴィウスは舌打ちをしながら腕を引っ込めた。
「なんだ、魔力が枯渇しかけているのか?」
悪魔の器となる契約者の魔力。その魔力量がどれくらいかによって、悪魔は使える力の程度が変わってくる。
無理やり使おうと思えば使えるだろうが、それに綻びが生じれば、悪魔は現世に顕現し続けることができない。
動けなくなった悪魔を嘲笑しながら、グランはゴーレムへ指示を出す。激しい追撃をリヴィウスが避けているうちに、グランは通路の奥へと駆けた。
「しばらく相手をしていてもらうことにしよう。いるんだろう? この先にお前の主人が」
鋭い魔術が背後から飛んでくるが、悪魔の力でもないただの魔術であればグランには何の脅威でもない。
軽くあしらいながら、グランは通路の奥へと消えた。




