第36話:無情に閉じた扉
「——リック」
恐怖と絶望で凍り付いたディアナの耳に、ぽつりとローラの言葉が届く。緩慢にディアナは傍らの彼女を見た。
ディアナを支えていたはずのローラは、今はもう縋りつくようにその腕を回し、深い青の瞳は不安と恐怖で濡れていた。
ぼろぼろと零れ落ちる涙に、ディアナの心が僅かに反応する。
「どうしよう、私……お嬢様を、支えなければならないのに。
——リックに続いて、旦那様までいなくなってしまって……っ」
震えて泣くローラの姿に、ディアナは我に返る。
自分はいったい、何をしていたのか。
すべて自分が蒔いた種だというのに。多くの人を巻き込んで、危険に晒して。——こうして、大切な人を傷つけている。
もう二度と、そんなことはしないと誓ったのに。歯を食いしばり、ディアナはローラの肩にそっと手を添える。
「大丈夫よ、ローラ」
「お嬢様……」
「きっと、私がなんとかするから」
恐怖の残る心を自覚しながら、それでもディアナは正面ホールへ踏み出す。ディアナの姿を認め、「お嬢様」とウォルターが心配そうに駆け寄った。
「よくご無事で」
「心配かけてごめんなさいウォルター。馬車を用意してくれる?
……私も今から、魔術師ギルドに向かいます」
「そんな! ダメですお嬢様!」
ローラが悲鳴を上げる。ウォルターもまた、ディアナの言葉に賛成しかねると首を振った。
「危険すぎます。お嬢様はお屋敷でお待ちください」
「そうです。窃盗なんて冤罪に決まっています! きっとすぐに誤解が解けて、二人とも帰ってきます」
ローラの希望が叶わないことは、ディアナが一番よく知っている。
もしも国家魔術師が短剣について本気で調べたら、悪魔の力も、短剣が二本あることもすぐにわかってしまうだろう。
そうなれば、今はまだばれていなくても、複製したリヴィウスの存在まで辿り着いてしまうのは時間の問題だった。
ならば先にディアナが赴き、ローズベルト家は無関係だと証言しなければならない。
それが、せめてもの責任の取り方だ。
「馬車を用意して。ないなら歩いていくわ」
止めようとする二人を振り切り、ディアナは玄関へと足を向ける。
「いけません」
凛とした声が、階上から響いた。その声は常よりも冷たくて重く、一切の慈悲をそぎ落としたような声だった。
「お母様……」
「ウォルターの言う通りです。そんな危険を貴女が冒す必要はありません。すべてが終わるまで、ここにいなさい」
いつも穏やかに微笑む母の、見たことのない厳しい表情にディアナはたじろく。
だがここで引くわけにはいかない。必死に勇気を振り絞り、ディアナは「でもお母様、」と反論しようと口を開く。
「国家魔術師は私の同行も求めてるのよ。ここで拒否をすれば、ローズベルト家が窮地に追い込まれてしまうわ」
「手札をすべて切ることが、勝負の最善とは言えません。レナードが貴女を庇い、一人で連行された気持ちを考えなさい」
「でも、元はと言えば私が——っ」
「それ以上の発言は許しません!!」
堪らず真実を告白しようとするディアナの言葉を、セシリアは強く遮る。その剣幕に、ディアナは思わず口を閉じた。
黙り込んだディアナを、セシリアはまっすぐに見つめる。
「レナードがいない今、ローズベルト家の全権限は妻である私にあります。だから私の指示に従いなさい」
ディアナを部屋へ、と使用人に伝えるセシリアの言葉に、ディアナは拘束されることを悟る。
「待って! お母様、お願い話を聞いて——っ」
心配そうに、けれどもセシリアの命令に背くことなく、使用人はディアナを自室へと連れて行く。
中へ押し込まれ、慌てて振り向いたときには扉は無情にも閉められたあとだった。「外に出ないよう見張っていて」と使用人に命ずるセシリアの声を聞き、ディアナは母の本気を読み取る。
「お母様! お願い、開けて!」
「——お願いよ、ディアナ」
扉を叩き叫ぶディアナの耳に、さっきまでとは打って変わったセシリアの苦しげな声が届き、手を止める。
「お願いだから、ここにいて。
……もう、私に後悔をさせないで」
お願い、と震える声に、過去の光景がフラッシュバックする。
兄が消え、いつも穏やかな母が、初めて見せた取り乱す姿。父に支えられるその震える肩が、あまりにも小さく見えた、あの光景を。
それ以上、ディアナはもう何も言えなかった。去っていく母の足音を聞きながら、ディアナはその場に座り込んだ。




