第35話:忍び寄る謀略
不思議なことに誰にも邪魔されることなく、ディアナは屋敷まで安全に戻ってくることができた。
それが良いことかはわからない。だって、何も解決などしていないのだから。
だが、このまま都市の外で蹲っていても仕方がないことだけは理解していた。重い足を引きずりながら、ディアナは屋敷の裏門へ向かう。
正面から戻るのは、どうにも気まずかった。
裏門から入ると、不穏な変化に気が付く。なんだかいつもより、屋敷内が騒がしい。
こっそりと使用人用の勝手口から屋敷内に入り込んだディアナは、目の前から飛び出してきた小さな影にぶつかり思わずよろめいた。
「お嬢様! ああ、どこにいらしたんですか?」
ぶつかった影——ローラはディアナの姿を認め大きく息を吐く。涙の跡が強く残るディアナの顔を見て痛ましそうに眉を寄せ、ローラは力いっぱいディアナを抱きしめた。
「ローラ……いったい、なにがあったの?」
その温もりに再び涙腺が緩みそうになるのを堪えながら、ディアナはまずは現状を把握しようとローラへ問い掛けた。
その言葉でローラもまた事態を思い出したらしい。がばりと身体を離すと「リックが戻らないんです」と涙声で告げた。
「リックが?」
「昼頃鍛冶屋に行くために外出したのを最後に、消えてしまったんです。鍛冶屋に確認しても、来ていないと」
そんな。頼もしく笑う赤毛の青年の姿が脳裏をよぎる。
そして彼に託した短剣を思い出し、まさかばれてしまったのかと血の気が引いた。
ディアナの様子を怖がっていると感じたのか、ローラは「大丈夫です」と強くディアナの手を握る。
「今、旦那様が憲兵に連絡しています。きっと、すぐに帰ってきます」
きっと、無事に。
震えながらも気丈に振舞おうとするローラを見て、ディアナはよろめきながら正面ホールへ向かおうとする。
「……お父様と、話をしないと」
「いけませんお嬢様! 起きてからなにも口にしていないと聞いています。自室に運びますので、少し休んでください」
「でも、」
「お願いです。お嬢様まで、倒れてしまったら。私……」
懇願するローラに、ディアナは強く出られずに立ち止まる。そのうちに正面玄関が騒がしくなり、ディアナは何事かと陰から覗き込んだ。
そこには黒いローブを着た魔術師風の男が数人立っていた。ミシュトレイの魔術師ギルドの者ではない。胸元に刺繍されている印章は、見たことのないものだった。
いったいどこから、と息を潜める。
「国家魔術師です。この家の庭師を、窃盗の容疑で拘束しました」
胸元から取り出した令状を広げながら、国家魔術師と名乗るその男は淡々と冷酷な内容を口にする。
集まっていた使用人たちは息を呑み、現れたレナードは「どういうことかな」と静かに問い掛けた。
「彼は窃盗を行うような人間ではない。何かの間違いでは」
「先日行われたケレメン家での競売に出品された短剣を所持しているところを、憲兵が確保しました。魔術がかけられていたため、こちらで身元を預かっています。
つきましては、関連する容疑でローズベルト家当主とご令嬢に同行をお願いしたい」
心臓がどくりと大きく脈打つ。目の前が暗くなり、よろめくディアナをローラが隣で支えた。守るように肩を抱きかかえるローラの腕の中で、ディアナは呆然と先程の男の言葉を反芻する。
国家魔術師。まさか、短剣に宿る悪魔の力がばれてしまったのか。
そのために、リックは連れていかれてしまった?
いったいどこまでばれているのか。リヴィウスの存在は? 国家魔術師は、何を把握しているのだろう。
荒くなる呼吸を必死に宥めるディアナの向こうで、レナードは努めて冷静に「娘は今この場にいない」と答える。
「話ならば私がしよう」
「旦那様」
「後は頼むよウォルター」
心配そうに呟く老執事に笑顔を向け、レナードは堂々と国家魔術師たちについて屋敷を出ていく。
ガラガラと馬車が遠ざかり、屋敷内の空気が再び動き出したのを感じてもまだ、ディアナは動けないでいた。
行かなければならなかったのに、行けなかった。
踏み出せなかったその事実が、ディアナの心を殊更に打ちのめした。




