第29話:幸せの押し売りは結構です
結論から言うと、競売は恙なく終わりを迎えた。心配していた魔術師も短剣には興味を持たず、不審な動きも見られなかった。
引き渡しまで再度先程のホールで懇談する参加者の間をすり抜け、ディアナは一人庭へと出る。もちろん、リヴィウスと入れ替わるためだ。
酔い冷ましか、何人か外に出ている参加者の目に留まらぬよう庭の隅へと向かう。水瓶を肩に担ぐ女性像の陰に滑り込み、ディアナは用意していたケープを羽織った。
「短剣はもうあるの?」
返事の代わりにずしりと腕の中が重くなる。
いつのまにか手の中には布の塊が収まっており、隙間から優美な装飾の柄が見えた。
急に現れたそれに驚きながらも、しっかりと両手で抱え込む。
「よかった。それじゃあ作戦通り——」
「ディアナ嬢、こんなところにいたのか」
草を踏む音とミハイの声にディアナは慌てて短剣を背に隠し振り向く。嬉しそうに笑みを浮かべながら、ミハイは一歩ディアナへと近づいた。
「ようやく落ち着いて話ができる。今日はずっと会いにいけず、さびしい思いをさせたね」
「いえ、そんなことは」
否定するディアナに対し「なんて奥ゆかしいんだ」と勝手に感動するミハイは、ローラと少し感覚が似ているのかもしれない。
しかし困った。短剣の落札者に本物が引き渡される前に、早く保管庫へ向かい偽物とすり替えなければいけないのに。
まだリヴィウスとも入れ替わっていない。しかし彼がいる限り、ここでリヴィウスと入れ替わることは無理だろう。
こうなったら、多少怪しまれたとしても休憩室を借りてそこで入れ替わるか、と考えていたディアナの耳元に温もりが触れた。
「……着けてきてくれたのだね」
うっとりと、甘い声でミハイがそう呟く。いつの間にか肩が触れ合うほどに傍に寄り添っていたミハイは、至近距離からディアナの瞳を見つめた。
「この、無垢だが強い輝きを放つところが貴女にとてもよく似ている。
あんなことがあったのに気高くあり続け、ローズベルト家を背負おうとしている貴女に」
心臓を鷲掴みされたかのように息が詰まる。
過去の情景が。昨日見たがらんとした私室が。脳裏を一瞬で駆け巡る。
言葉が出ない。何を言えばいいのか、何を言いたいのかもよくわからない。
そんなディアナの胸中にも気付かず、ミハイはイヤリングに触れていた指をディアナの頬に滑らせた。
「私と結婚したらそんな苦労はさせない。嫌なこと、苦しいこと、そのすべてから君を守ると誓おう。
——だから、私の手を取ってくれないだろうか」
「……なにを言ってるのですか?」
それは聞く人が聞けば、とても甘美なプロポーズの言葉だろう。だが、この両者の間では決して言ってはならない言葉だった。
信じられない言葉に、ディアナは唖然としてミハイを見上げる。
「ミハイ様はケレメン家の嫡男でしょう。貴方はケレメン家を背負う必要があります。
ローズベルト家に婿入りするのは、不可能でしょう」
「誰も婿入りするとは言ってないよ」
ディアナの当然の指摘を、ミハイはあっさりと否定する。
右がダメなら左へ進めばいいとでも言いたげに、ミハイはなんの悪びれもなく「貴女がケレメン家に嫁げばいい」と言い放った。
「……なんですって?」
思わず口調が崩れるディアナに動じることもなく、ミハイは「そうだろう?」と名案だとばかりにディアナの肩を引き寄せる。
「貴女は確かに、ローズベルト家唯一の跡継ぎだが女性だ。ならば無理にディアナ嬢が家を背負う必要はないだろう。
私と結婚したら悠々自適に暮らせる。周囲の好奇な視線も、魔術師ギルドとの確執も気にしなくていい暮らしを約束しよう」
ディアナが戸惑っている間に、ミハイは一人で話を進めていく。
彼が語る明るい未来は、現状を憂い悲しみに沈む令嬢には救いとなるだろう。
だが、ディアナは違う。
わかってもらいたくて、抱き寄せるミハイの胸を押し距離を取りながら、ディアナは口を開いた。
「っそういう問題ではありません。
私は——」
「ああ、もしかして魔道具開発への興味があるのかな? 別に私は妻の趣味を否定する気はない。
そうだ! 我が家にも工房を作り、そこで趣味としてやったらいい。資金も素材も、貴女が望むならいくらでも用意しよう」
ディアナを遮って放たれたミハイの悪気無い一言は、その心に痛烈に突き刺さった。
痛みが熱に、怒りに変わる。
彼に悪意はない。ミハイの善良さを、ディアナはよく理解している。
だが善意から放つ言葉が、いつだって他者にとって救いになるとは限らない。
まさに、ミハイの言葉はディアナの逆鱗に触れるものだった。
いったいどれだけの喪失を抱え、絶望と後悔に苛まれたのか。
いったいどれだけの覚悟で、それでもこの道に立ち続けることを選んだのか。
ミハイの言葉は、それら今までの過程をすべて踏みにじり、今のディアナ一切を否定するものだった。
俯くディアナの表情を隠す髪を一房取り上げ、口付ける。
ミハイの贈ったイヤリングが揺れるのを愛おしそうに見つめ、ミハイはそっとその耳元で囁いた。
「ディアナ嬢。……いや、ディアナ。願わくばこの手を取ってほしい。
——私は、貴女を幸せにしたいんだ」




