第24話:主なき部屋と黒猫
「ごめんなさいローラ。靴も一緒に合わせたいから、もう少し持ってきてもらえないかしら」
「そうですね。わかりました、ちょっと待っていてくださいね」
ローラが出ていってすぐ、ディアナはバングルを睨みつける。
「なんで、またそこにいるのよ」
「お前が急に部屋を飛び出していくからいけない。あのメイドと鉢合わせしそうになったから、とりあえず収まっただけだ」
「さっさと離れて」
「なんで」
「なんでって、わかるでしょ。
貴方乙女の着替えを覗く気?」
「どこに乙女がいるって?」
至極真面目な声音で返される問いを聞き、ディアナはバングルへ指をかけた。ほっそりと優美な曲線を描くバングルは金属だが、渾身の力を入れれば少し曲げるくらいは自分にもできそうだ。
気持ち的には半分に折り曲げられる気がする、とディアナは強く力を込める。
「待て待てわかった俺が悪かった。頼むからそう無理に外そうとするな。痛みはないが気色が悪い」
「この際猫の姿でもいいから部屋を出ていて。終わったら呼ぶから」
見つからないでよ、と言って手を放すとバングルは煙となって消え、その中から黒猫が一匹床に着地した。「はいはい」とわざとらしく溜息を吐く。
「ごゆっくりどうぞ、お嬢様」
「早く行って。ローラに見つかるでしょ」
ご丁寧に鳴き声を上げてから、リヴィウスは扉の隙間からするりと外へ出ていった。その数秒後、ローラが箱を抱えて戻ってくる。
間一髪だった、と内心安堵の息を吐きながら彼女を迎え、ディアナはさっそく衣装合わせに取り掛かった。
小物はどれがいいかと見比べていればくすくすと背後から楽しげな声がする。振り返ればローラがとても嬉しそうな表情でじっとディアナを見つめていた。
「なあに、どうしたの?」
「いえ、お嬢様にもとうとう春が来たのかと思いまして」
「どういうこと?」
「こんなに張り切って、ミハイ様に会うのが嬉しいんですよね」
わかります、とても素敵な方ですから。と訳知り顔に頷くローラに待ったをかける。
「違うわよ。彼はそもそも婚約者候補にはなりえないんだから」
「そんな言い方はいけません! 恋はするものではありません。落ちるものです!
理性と感情を一緒に考えてはダメですよ」
「そう言われても」
「お互いの家を背負う者同士の禁断の恋……! 家のことを考えながらも惹かれるのを止められない二人! 滾ります!」
彼女は最近ロマンス小説でも読んだのだろうか。キャーキャーと一人暴走気味のローラを放置し、ディアナは淡々と小物を合わせていく。
こうなったローラに何を言っても無駄だ。さっさと済ませてしまおうとディアナは無心に当日の衣装を決めていった。
◆
割とあっさりと選んでいったものの、すべて決め終えたときには外はとっぷりと日が暮れかけていた。
怒涛の一日だった、と窓の外を眺めながら、ふとディアナはまだリヴィウスが戻らないことに気付く。
あの悪魔のことだから、衣装選びが終わった瞬間にひょっこりと顔を出すと思っていたのに。ローラが退室してからしばらく経つが、未だ気配を感じない。
まさか、何かあったのだろうか。
トラブルを起こしたか、もしくは見つかったか。
不安に思ったディアナは、自室から外へ出た。きょろきょろと隅のほうを探しながら廊下を歩く。
彼は猫の姿で出ていったから、もしかしたら庭にでもいるのだろうか。庭を覗こうと窓に近寄ろうとしたとき、ふと半分開いている扉が目に入った。
その部屋がどこか気付き、ディアナは言葉を失う。
静かに近づき、ゆっくりと扉を開ける。少しだけ埃臭い匂いが鼻を突いた。
殺風景な空間が広がる。
机、寝台、衣装棚、ソファ。必要最低限の家具が置かれたその部屋は、ディアナの部屋と大して変わりない大きさだがさらにがらんとして見えた。
木製のベッドに敷かれた落ち着いた色合いのシーツには皴一つ見当たらず、文机の上には本や便箋が寸分のずれもなく積み重なっている。
大型の衣装棚に付いたガラス窓からは成人男性の衣服が覗き、その前に立てかけられた姿見には綺麗な布が掛けられていた。
そんな部屋の中心に、ぽつりと黒猫が小さな背中をこちらに向けている。
「勝手に入らないで」
リヴィウスが振り返る。日が暮れ、闇が濃くなる空間で、彼の金色の瞳が煌々と輝いていた。
「兄でもいるのか」
ディアナの拒絶を平然と無視し、問いを重ねるリヴィウスに眉を寄せる。が、動くつもりのない彼にこれ以上無駄な労力を掛けたくなかったディアナは一つ息を吐くと「違うわよ」と小さく否定した。
「いたのよ。……もういないわ」
「へえ」
あまり興味のない風にそれだけ言い、部屋を見渡すリヴィウスに苛立ちが込み上げる。
胸に渦巻く感情をぶつけるように、ディアナは語気を荒げた。
「もういいでしょう。さっさと出ていって」
退室を促す。これ以上ここに居たくなくて、ディアナはリヴィウスを待たずに踵を返した。
背後から小さな足音が追いかけてくる。それがまるで昔の自分のようで。追いつかれたくなくて、歩を速めた。
背筋を伸ばして歩く。誰にも侮られないように。隙を見せないように。
染み込んだ所作はどんなときでもディアナを縛る。それは鎖でありながら、自身を守る盾でもあった。
自室の扉の前でディアナは立ち止まる。振り返らずに、背後にいるだろうリヴィウスへ言葉を放った。
「——今日は疲れたから夕食まで休むわ。明日は出発するまで、曾祖父の書斎を探すから。
……だから、それまではどこかに身を隠していて」
今日はもう疲れ切ってしまった。もう、誰も部屋へと入れたくはなかった。
ノブを回す。きしむ音を立て開いた扉の奥へと、ディアナは自らを隠す。
ぱたんと音を立て、分厚い木の扉はなにものをも拒絶するかのように固く閉じられた。




