第20話:まずは一歩
えらい目にあった……。
レナードに帰宅と任務完了の旨を手短に報告し、自室へと戻ったディアナは、はしたないと思いながらも寝台へ倒れ込み重く息を吐いた。
湯浴みもしていない格好で寝台なんて、とローラあたりが見たら目くじらを立てるかもしれない。だが、今だけは勘弁してほしい。
この場にはいないメイドへ言い訳を零しながら、ディアナは枕の下に隠していた箱を取り出す。
寝返りを打ち頭上へ掲げながら、もう冊子に戻る様子のないその箱をじっと見上げた。
「おめでとう。まずは一つ手掛かりを得たってわけだ。これで一歩前進だな」
いつのまにかソファで寛いでいたリヴィウスが、本気なのかどうなのかわからない声音でディアナに賛辞の言葉を贈る。
同じような冒険を繰り広げてきたはずなのに、さすが悪魔というべきか。
まったく疲れた様子を見せないリヴィウスを羨ましげに見つつ、ディアナは「そうね」と目を閉じた。
ランタンに刻まれた召喚の魔術式を打ち破れる、悪魔の力を宿す古の短剣。
それが、明日ケレメン家での競売に出品される。
なんとしても、手に入れなければならない。
「まずは作戦を考えないと。いったいどうしたら、競売中に短剣をこっそり使って戻すことができるかしら……」
「戻す? まさかお前、律儀に短剣を返すつもりじゃないだろうな」
信じられない、といったようにリヴィウスが声を上げる。
「この状況を生み出している俺が言うのもなんだがな。
……自分の命が懸かった状況で、のこのこ返す心配までしている余裕が、お前にあるのか?」
「わ、わかってるわよ。でも、さすがに借りっぱなしにはできないわ。それこそ窃盗よ。
落札した人にもケレメン氏にも迷惑がかかるわ」
呆れた目を向けられ、ディアナは言い訳のように常識を口にする。
魔術師ギルドに侵入している時点で今更な気がするが、これ以上、罪悪感を増やしたくはなかった。
「だったら、お前のお父様にお願いして競り落としてもらえばいい。自分の物ならどうしようと構わないだろ」
「それも考えたけど。宝飾品や美術品ならいざ知らず、急に短剣を強請るなんて不自然すぎるわ」
今まで武具関係に興味を示したことなどない。
父は聡い。ほんの少しの違和感から、ディアナの状況を見抜いてしまうかもしれない。
それだけは駄目だ。
ディアナは誰にも知られず、この悪魔との契約を破棄し、今までの日常に戻りたかった。
そのためには、妙な挙動は慎むべきだ。
「それに、ローズベルト商会と短剣を結びつける公的な記録は残したくないのよ。万が一ということもあるでしょう?」
表向きは水神の力を宿す短剣という触れ込みだが、いつそれが悪魔の力だと気付かれるかわからない。
そんな危険なものを、自分の勝手でローズベルト商会と結びつけたくはない。
となると、ディアナは競売で落札した誰かの手に渡る前に短剣を拝借し、ランタンを破壊してからまたこっそりと戻さなくてはならない。
そんなこと、可能だろうか。
仮にも信用第一の金融業で名を馳せているケレメン家主催の競売だ。警備だって厳重だろう。
「せめてもう少し早くわかっていれば、偽物を用意してすり替えておいて、返すまでの時間稼ぎができたのに」
落札者さえ確認しておけば、競売が終わったあとに訪問するなりして返しにいくことができたかもしれない。
だが、早く……といっても、ディアナがこのような状況に陥ったのはつい今日のことだ。
どれだけ急いで偽物を作らせたとしても、明日の競売には間に合わなかっただろう。やはり時間がないというのは痛手だ。
今更ながらディアナは、期限が三日しかないという現実を心の底から悔やんだ。
「できるぞ」
本日二度目の重い溜息を零せば、軽い口調で言葉が返る。
一瞬何を言われたのか理解できなかったディアナは沈黙し、一拍の後リヴィウスを見た。
「できるって、なにが?」
「俺の力を使えば、本物そっくりの偽物を作るなんて簡単だ」
そう言いながら、リヴィウスはローテーブルに置かれた一輪挿しを手に取る。そしてもう片方の手を虚空へ向けた。
その手の中で、黒い炎が捻じれ集まっていく。黒に混じり、陶器の艷やかな白が少しずつ形となり現れてきた。
数秒の後、リヴィウスの手には寸分違わぬ同じ一輪挿しが収まっていた。
完全に姿を現したそれを、リヴィウスがディアナへと放る。
慌てて受け取ったディアナは、まじまじとその一輪挿しを見つめた。
色、形、大きさはもちろん。よく見なければわからない、細かな傷も完璧に再現されていた。
「こんなところまで……?!」
「尤も、悪魔の力までは再現できない。
俺ができるのは物質としての複製。つまり素材の構成要素から見た目までを完璧に再現した同一個体を作り出すことだけだ。
とはいえ、偽物としては完璧だろう」
「確かに、これなら……」
偽物としては十分だ。
リヴィウスの話によると、生成したものは彼が異界に還ってもきちんと残るらしい。
それならば、落ち着いた頃に改めて本物と入れ替えることも可能かもしれない。
そうディアナが考えていると、リヴィウスは「だから本物を返すのは諦めろ」と再度忠告した。
「落札した奴も、悪魔の力を持った本物よりそのほうが幸せだろう」
「……でも、さすがに返さないっていうのは、やっぱり申し訳ないわ」
偽物を使うということに関しては賛成だ。
だが、返さないでそのままでいいというリヴィウスの意見に関しては、最後の良心がディアナに頷かせることを踏みとどまらせる。
確かに見た目はそっくり、いやまったくの同じだ。これを偽物と他者が判別することは難しいだろう。
だがディアナは知っていて、すり替えるのだ。同じだから良い、と割り切れるものではない。
それはディアナの良心の問題だった。
「それに、少なくとも落札する人は水神の力を宿していると信じて落札するのよ。
それなのに、ただの綺麗な短剣だったと知ったらきっとがっかりするわ」
「術式を仕込んでそれらしい能力を付与しておけばいい。
さすがに伝承通りの力を定着させることは難しいが、水属性を付与するくらいだったら俺だって簡単にできる。
伝承との違いは、どうせよくある誇張表現だろうと勝手に納得するさ」
悩むディアナはリヴィウスの言葉に納得する前に眉をひそめる。
今回この悪魔はやたらと協力的だ。そのことに引っかかりを覚える。
「どういうつもり?」
警戒を込めて、ディアナはリヴィウスを胡乱げに見つめた。
「なんだかやたらと親身じゃない。なにか企んでるわけ?」
「ご挨拶だな。お前は俺のことをなんだと思ってる?」
「悪魔でしょう」
その通りだ、と答えながら、リヴィウスは少し考え込むように口を閉ざす。
いったいなんと答えるつもりなのか。少しだけ緊張を滲ませ、ディアナはリヴィウスの言葉を待った。




