第1話:お飾りの淑女
ノックの音に、ディアナは扉を振り返った。
入ってきた男性を見て、明るい笑みを向け軽やかに回ってみせる。
「どうかしら、お父様」
今日のために用意された明るい緑色のドレスは華やかでありながら、その繊細な刺繍により落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
ディアナの動きに合わせてひらりと揺れるドレスを見て、父・レナードは娘と同じ紫の瞳を優しそうに細める。
「とても綺麗だよ。まるで森の妖精のようだ」
「お母様よりも?」
「それは難しいな。彼女は女神だから」
父、レナードの言葉にディアナは肩を竦め、周囲で片づけを行っていたメイドはくすくすと笑う。
彼ら夫婦の仲の良さはローズベルト家では誰もが知っていて疑いようもない。
実の両親ながら羨ましい限りだ、とディアナは軽く息を吐いた。
大恋愛の末、駆け落ち同然に一緒になったというのだから、その愛の深さはどれほどだろう。
今は別の用事で不在の母、セシリアとの仲を思い出していると、「ふむ」と父が顎に手をやる。
父の視線にディアナは軽く首を傾げた。
「どこか気になる?」
「いや。十分素敵だよ。だけど、少し肩が寒そうかな」
言われディアナは鏡を振り向く。確かに首元と肩は少し出ているデザインだが、そこまで気にするほどでもない。
「私はこれでも大丈夫だけれど」
変えたほうがいいだろうか。
振り向きかけるディアナの肩を、柔らかな布地が包んだ。
驚いて、その品を鏡越しに見つめる。
暖かく胸元を覆い隠すショールは、まるで星屑を砕いて織り交ぜたかのようにきらきらと煌めいていた。
仕上げと、レナードが青いブローチで留める。
その正体に気付いたディアナは、途端に表情を輝かせた。
「ルナタイトのショール! 実現したのね」
「まだ試作段階だけれどね。君にいち早く渡したくて」
感動した眼差しでディアナはショールを撫でる。
月のマナを秘めているといわれるルナタイトの鉱石には、あらゆる運気や能力を増幅する作用があるといわれている。
それを使い、新たな商品を開発していると聞いてはいたが、これのことだったのか。
滑らかな質感を味わいながら、ディアナの脳内では様々な思考が溢れていく。
いったい、どのようにショールへ能力を付与したのだろう。
粉末にして? それとも、別の方法で?
知りたい。
奥底から湧き上がる欲求に押し上げられるように、紅潮した頬でディアナは父を見上げた。
優しい瞳と目が合う。その途端、高ぶっていた熱はまるで蓋をされた蠟燭のように息を潜めた。
不思議そうに見つめるレナードに、ディアナは完璧な淑女の笑みを向ける。
「――素敵な贈り物ありがとうございます。祝いの席に相応しい品ですわ」
ディアナの言葉にレナードは少しだけ困ったように笑った。
しかし何も言わず、優しく腕をディアナへと差し出す。
「行こうか。今日は君が主役だ」
◆
会場へ向かうと、そこには幻想的な世界が広がっていた。
蛍石のシャンデリアが煌めく天井。歩くたびに水面のような波紋が揺れる床。
壁際に置かれた水槽では七色の鱗を持つ魚が優雅に泳いでおり、その横では奏者のいないハープが神秘的な音を奏でていた。
現れたディアナに、複数の視線が突き刺さる。
羨望、賞嘆、好奇、打算、野心。
様々な感情を乗せた視線が、自身を貫くのを感じる。
隣から向けられる気遣うような視線に、心の中だけでディアナはそっと返した。
大丈夫。私はもう、役割を間違えないから。
ディアナ・ローズベルト。
曾祖父の代、民衆に向けた魔道具を発明し、広めたことで無名の商人から一大商家にまで成り上がったローズベルト家の一人娘。
望めば手に入らない物などなく、下手な貴族よりも貴族らしい優雅な生活を約束された幸福な少女。
そんな誰もが憧れる立場にいながら、ディアナの心はまるで凪いだ海のようだった。
隣の温もりに寄り添いながら歩を進める。
今日のために特別に仕立てられたヒールの高い靴は足に吸い付くようにピタリとはまり、靴擦れの心配もない。
その代わりとても窮屈だった。
不安定な足元は、誰かの手を借りなければ満足に歩くこともできない。
それが、ひどくもどかしかった。
「紳士淑女の皆さま。本日はご多忙の中、娘ディアナのためにお集まりいただき感謝いたします。娘も今年で十六となり、成人を迎えました」
レナードの挨拶が始まる。その間も、ディアナはじっと姿勢を崩さず淑やかに微笑んでいた。
挨拶が終わると、たちまち人が集まってくる。
「商会長、この度はご息女の成人おめでとうございます」
「誕生日おめでとうございます、ディアナ嬢」
次々と祝いの言葉を述べていく人々に、ディアナは丁寧に礼を返していく。
オルヴァン家、ツェーリア商会、メレス家。
誰も彼もが皆、ディアナと年の近い息子、それも次男や三男を伴っている。
それだけで、彼らが何を目的としているかは十分推察することができた。
ローズベルト商会は男児が継ぐ。それは曾祖父の代から続く暗黙の伝統だ。
それゆえ、将来ディアナと結婚する者がローズベルト商会の実権を握ることになる。
結婚適齢期となったディアナと、どうにかして縁を結ぼうと考える人間が現れるのは当然だった。
そのことに嫌悪感は湧かない。それが当然の世界で、ディアナは生きてきたのだから。
「――ところでお聞きしましたか、魔術師ギルドの件については。どうやら流れは融和派に傾いているようで。
このままいけば商会にも良い流れができそうですな」
「ええ、ありがたいことに。アルノルト卿とも近々話ができるといいのですが」
仕事の話をし始めた大人から一歩離れ、ディアナは窓際に寄る。
すぐさま近寄ってくる子息たちに微笑みを向け、淑女としての仕事をこなす。
そうして過ごすことしばし。ちょうど一人になったディアナの目の前に、グラスが差し出された。
「疲れただろう。一息つくといい」
「ありがとうございます」
レナードからグラスを受け取り、冷たく冷えた果実水を口に含む。
コージャの実によって加えられた喉を刺すような感覚は、何度飲んでも快感で癖になる。
「味はどうだい」
少し火照った身体を冷ましていると、レナードが尋ねてくる。
「文句なく、美味しいです。これからの季節にぴったりの商品ですね」
「時期に間に合わせるよう急いだからね。だからこそ、まだ改良の余地はある」
「星詠祭までに間に合うといいですね」
夏に王都で行われるこの国の祭事に完成度の高い品を用意できれば、ローズベルト商会の名は更に箔をつけていくことだろう。
頭の中で日数を計算しながら、ディアナは口を開いた。
「味を増やす方向でいくのなら、広大な果樹園を持つメレス家との交流を最優先にしたほうが良さそうですね」
「うちの姫は心強くて何よりだ。だが、あまり仕事のことは気にしないでいい。
本当に気になる人との縁を大事にしなさい」
「あら、そういうわけにもいきませんわ。商会の一人娘として、家のことを考えるのは当然のことです」
父の言葉から、ぷいと顔を逸らす。そんな様子に苦笑しつつ、レナードはディアナを覗き込んだ。
「そんな健気な姫君には、褒美を取らせなければならないな」
「あら。ショール以外にも、まだなにかくださるんですか?」
「もちろん」
言ってごらん、とレナードが優しく尋ねる。
今日は特別な日だ。子どもだったディアナが、大人へと至る祝いの日。
子どもとして最後の。大人として最初の望みは何か。
なんでもいいとレナードは呟く。
「君が望むものならなんだって」
視線を落とす。不意に、ディアナの視界に光るものが飛び込んだ。
レナードの胸元で蛍石の光を反射する小さなバッジ。
魔術師が、この世の奇跡を管理していた時代。
魔力の低い人間でも、魔道具を用いることで、この世の闇を照らせるようにと。
そんな願いを込めて、曾祖父が掲げた『すべてのものに光を』という理念を表す、バラと光を象った商会の誇り。
「商人がなんでもいいなどと、気軽に言うものではありませんわ。
でも、そうですね。西の海に、水中で咲く珍しい花があるそうです。一度見てみたいわ」
目を逸らし、ディアナは無邪気にお願いを口にする。
よくある、ご令嬢の他愛無い我儘。
だがそれでいい。
既に祝いの品は自室に溢れかえっている。
他に、何が必要だというのだろうか。
「……本当に?」
思考を読むようにレナードは囁く。
深い紫の瞳が、静かに言葉以上のことを語っていた。
それを、ディアナは見ないふりをする。
「さあお父様、まだ幕は下りていないのだから。お客様を持て成さないと」
促すディアナの向こうに次の来賓客を認め、レナードは小さく息を吐いた。
だが、すぐさまいつもの商会長としての表情を浮かべ、にこやかな笑みで彼らを迎える。
それにディアナも倣い、半歩後ろで彼らの話に耳を傾けた。
そう、必要なんてない。恵まれた境遇。温かな家の者に囲まれた、何不自由ない生活。
これ以上を望むというのなら、ディアナはきっと地獄へ落ちるだろう。
目を伏せる。耳の中で柔らかな声がする。父よりも高い、優しくディアナを呼ぶ声。
同時に思い出される。
細いがディアナよりも硬い手の感触。引っ張られるよりも引っ張るほうが多かった、その頼りないが大好きな手。
名を呼ばれ顔を上げる。令嬢にふさわしい笑みを浮かべ、ディアナは役割へと戻っていった。




