第18話:漆黒の巨人
「綺麗……」
突き当りとなっている壁の、目線より少し上。
円形の魔術式が刻まれた中央に、半透明の鉱石が埋まっていた。
大きさはディアナの拳くらい。雫のような形に加工されたそれは、己から生み出される光を増幅させ宝石のように煌めいていた。
その鉱石を中心に、光の粒が次々と生まれては漂い消えていく。まるで妖精の円舞のような幻想的な光景に、ディアナは今の状況も忘れうっとりと見惚れる。
対してリヴィウスは、驚いたように目を丸くした。
「転移石だって? なんでこんなとこに」
「転移石って、さっき貴方が言ってたやつ?」
「そうだ。物質に縛られる現世じゃ、転移なんてそう簡単にできるもんじゃない。
対象物を損傷させずにそんなことできるのは、妖精くらいのもんだろう。あいつらは半分現世からはみ出してるからな」
リヴィウスが言うには、転移石は時空を結ぶドアのようなものらしい。希少価値が高く、世界でも存在を確認できているのはそう多くない。
対となる石同士でしか転移ができないという制限はあるが、長距離を一瞬で移動できる利便性から、古来より国が管理し重要施設や都市に配置されているのだという。
「この都市は国の影響が薄いからあるはずないと思ってたが、もしかして管理外のやつか」
「よくわからないけれど、これを使えば外に出られるの?」
ここは突き当りで他に通路や出口らしきものは見当たらない。そう思ったのだが、リヴィウスは首を振った。
「無理だ。これは使えない」
「どうしてよ」
「よく見ろ」
言われ、鉱石の埋め込められた壁をじっと見つめる。そこでは先程と同じように光の粒がふわふわと浮かんでいるだけで、特に変わりはないように思える。
ディアナの様子に何かを察したリヴィウスは、壁に向かって手を伸ばした。その指先が壁に触れようとした刹那、空を裂くような鋭い音が光と共に生まれ弾ける。
突然のことに思わずディアナは小さく悲鳴を上げたが、当の悪魔は動じることもなく手を引っ込めた。その途端、目の前の空間が少し歪む。
「見えたか?」
なぜ今まで気付かなかったのか。ちょうどリヴィウスが手を差し出していたくらいの距離で、乳白色の膜が揺らめいている。
それは壁全体を覆うように波打っており、その壁を封じ込めるように左右から白く光る鎖が垂れ巨大な錠がかけられていた。
オーロラのような光を帯びた錠前は、見ただけで普通のものではないことがわかる。
「これは……」
「神聖術と魔術をかけ合わせた高度な結界術だ。普通の結界術よりも解除がややこしくなるから、古代文明の魔術師が多用してた時代もあったな」
「貴方解けるの?」
念のため聞いてみる。
だが、リヴィウスは首を振った。
「無理だ。神聖術に悪魔は手出しができない」
少しだけ予想していた返事に、ディアナはジト目で横の悪魔を見やる。
「なにそれ。やっぱり役立たず──」
「おいそれ以上言うな。お前はよっぽど俺の神経を逆撫でしたいらしいな」
そのときである。ディアナの言葉に低く唸るように不満を零すリヴィウスの足元で、地面に亀裂が生まれた。
下方から膨れ上がるように隆起した地面に、あれと思う間もなく肩を押され、ディアナは後ろへ倒れこむ。
その足先を掠めるように、巨大な何かが地面より勢いよく噴き出す。
地面が膨れ上がる不気味な音と金属の擦れる嫌な音が反響して混ざりあい、頭をひどく揺さぶった。
ほんの数秒の間にいったい何が起こったのか、ディアナにはわからなかった。ただ地面に打ち付けた肩の痛みを感じながら、上半身を起こす。
それは巨大な腕だった。地より突き出た黒く光る腕はまるで巨人の纏う鎧のようで、大人の胴ほどの太さがあった。固く握られた拳に、リヴィウスが拘束されているのが目に飛び込んでくる。
次の瞬間、腕はその巨体に似合わぬ速度で大きくしなり壁へとリヴィウスを叩きつけた。拳が壁を粉砕し、轟音と共に土煙が上がる。衝撃で生まれた風から身を守りつつ、ディアナはそろそろと目を開けた。
瓦礫の山の中にあの悪魔の姿は見えなかった。腕の付け根、隆起した地面の陰から赤い光が覗く。
ゆっくりと、それは地より這い出てきた。
全身を金属鎧で包んだ巨人は、ようやくその足を地につける。地面がその重さを象徴するようにめきりと沈んだ。
立ち上がった巨人の大きさは山のようであった。あれだけの巨体が出てきたというのに、地面は隆起の名残を少し残しているだけで、陥没している様子は見られない。
これも魔術なのか、と考えていると兜の隙間から漏れる光がディアナを捉えた。冷淡な光がじっと己を見ているのに気付き、初めてディアナは呆けていたことに気付く。
同時に感じる命の危機に、冷たい汗が背を伝うのを感じた。
――ちょっと待って。
ようやく動き始めた思考が、今の状況を冷静に分析する。そうして生まれた一つの疑問を、生唾と共に必死に飲み込もうとしたができなかった。
――あの悪魔は、私を助けてくれるの?
脳裏に浮かんでしまった疑問は、恐怖となり身体中を巡る。
つい先程までは考えないようにしていた。異界に悪魔が帰る方法は二つ。
一つは契約の行使。そしてもう一つは、契約者の死。
今のところ、あの悪魔は契約の成立を優先に動いてくれているが、もし、彼の中で考えが変わったら。
契約にこぎつける努力よりも、面倒臭さが上回ってしまったら。
目の前で、巨人がゆっくりとディアナに向かって手を伸ばす。全身をすっぽりと包み込んでしまうような掌が視界を塞ごうとしても、ディアナは動けなかった。
ただ、己の命を握りつぶそうとしている漆黒から、目が逸らせない。光が遮られ、影が落ちた。
指先が冷たく震える。心臓の脈動がその生を主張するかのように、強くディアナの身体を震わせた。
人生で初めて直面する圧倒的な死の気配に、僅か十六の少女が抗うことは難しかった。
伸びる指先がディアナに触れようか、というまさにそのとき。そこを起点に、小さく黒い炎が生まれる。
まるで喰らうように、一気に燃え盛った炎は巨人の腕を、肩を伝い全身へと奔り覆い尽くした。
轟轟と燃え盛る巨人の背後に、黒い影が立つ。
「ここの魔術師はだいぶ懐古主義らしい。魔導式ゴーレム――古代文明の置き土産か。動いているのを見るのは久しぶりだ」
「あ……」
聞こえてきた飄々とした声に、未だ強張る心を抱えたままディアナは言葉にならない息を漏らす。
瓦礫に埋もれたはずのリヴィウスは、傷どころか塵一つ付いていない小綺麗な姿で炎の中のゴーレムを見上げた。
背後にいる襲撃者を、ゴーレムはゆっくりと振り返る。その胸部で、赤い拍動を放つ鉱石が一際輝きを増した。
「それがコアだな。防護術に守られてて、今の火力じゃ厳しいな。お前を作った奴はだいぶ優秀らしい」
今や、ゴーレムの標的は再びリヴィウスへと移っていた。炎を纏ったまま、ゴーレムはもう一度リヴィウスを掴もうと腕を伸ばす。
が、今度はリヴィウスのほうが動きは速かった。猫のように膝を曲げ跳躍し避けると、伸びた腕を足掛かりにゴーレムの背後を取る。
そしてその背に向けて圧縮した空気のようなものを打ち出した。
ゴーレムがバランスを崩し倒れこんだ隙に、リヴィウスがディアナを抱え上げる。軽々と宙に浮いたディアナは、ぐんと引っ張られる感覚と顔面を襲う風に目を閉じた。
風を感じたのは数秒。気が付けば、ディアナはゴーレムから離れた通路の陰に降ろされていた。
「怪我はないな。
少し離れてろ。ちょっと暴れる」
「え? あ、ちょっと――!」
止める間もなくさっさと通路の向こうに消えていく黒い影を、ディアナは呆然と見送る。
「――暴れるって、なにするの」
思考が十分に働かず、ぽつりとそれだけを零す。震える指先はまだ死の恐怖を覚えており、心臓もまたどくどくと己の存在を主張していた。
落ち着かせるように深く呼吸する。しかし調子を取り戻す余裕など与えられる暇もなく、通路中に大きな金属音が轟いた。びくりとディアナはそちらへ視線を向ける。
ゴーレムの全身を覆っていた黒い炎はもうすっかり掻き消えている。リヴィウスの言う通り、あの炎はゴーレムの金属の身体を燃やすには足りないようだった。
先程までと変わらず、滑らかな黒の光沢が怪し気に赤い光を反射している。大ぶりの拳がリヴィウスを狙い、地面へと叩きつけられた。
地面を割り割く轟音はビリビリと全身を刺激し、ディアナの恐怖心を刺激する。
離れてろと言うが、近づくなんて死んでも御免だ。一歩だって動ける気がしない。
「いったい、あんなのどうやって倒すっていうの……?」
リヴィウスの言葉を借りれば、今彼は力が制限されている状態だ。
そんな状態であんな強力そうなゴーレムを破壊することができるのだろうか。ディアナには想像がつかなかった。
しかしリヴィウスの様子を見る限り、決して危機に直面しているようには見えない。むしろ少し楽しそうだ。それが決して強がりでないことを祈るしかない。
手を固く握りしめ、ディアナは遠くに見える黒い背中を見つめた。




