第17話:近すぎる距離、意外な機転
聞こえてきた足音に、ディアナはぎょっと口を噤む。
リヴィウスもまたその気配を察知したのか、神妙な顔つきで探るよう息を潜めていた。一気に場を緊張感が包み込む。
足音は一定の速度で大きくなっていく。それはだんだんとこちらへ近づいているようだった。
「まずいな」とリヴィウスが舌打ちする。
振った片手を合図にするように、広げられていた資料は本棚へ滑るように戻っていった。
一切の痕跡を無くし、リヴィウスは扉のほうを見る。
「気取られたか。まっすぐここに向かってきてる」
「ここって、この部屋に? 逃げ場なんてないわよ」
慌ててディアナは周囲を見渡す。資料庫は本棚で死角は多いが、それほど広いわけではない。
この室内に入ってきたならすぐにばれてしまうだろう。
別の部屋に逃げ込もうにも、足音はすぐ傍まで迫っている。入口から出れば、まず間違いなく顔を合わせてしまうに違いない。
「ど、どうしよう。貴方、空間転移とかできないの?」
「俺だけならともかく、お前を連れては無理だ。力が足りない」
ディアナが慌てて尋ねると、リヴィウスはあっさりと否定する。
「なによそれ。貴方それでも悪魔? 魔術師よりも使えないじゃない!」
「ちょっと待て。訂正しろ。俺が使えないだって?」
ディアナの言葉がよほど癇に障ったのか、リヴィウスは眉を寄せ口を開いた。
「あんな転移石頼みの転移と俺の転移を一緒にするな。
大体、お前の魔力がちっぽけなのがいけないんだろう」
それどころかディアナに対して不満を露わにするリヴィウスに、ディアナは目を尖らせる。
「なによそれ、責任転嫁?」
「違う。悪魔は器の強度によって使える力の程度が変わるんだ。
契約しようとするだけで気を失うほど弱々しい魔力しか与えられなくて、俺がどれだけ苦労してやりくりしているかわかるか?
むしろこんなに力が制限されている状態で、ここまで働く俺に感謝しろ!」
「そんなの知らないわよ! ちっぽけな魔力が嫌なら、あんな魔具でだまし討ちみたいに契約させようとするんじゃないわよ!」
言い合っている間にも足音は近づいてくる。
何かないかと資料庫の奥にまで移動する。だが、奥まった壁には絵画が飾られ、その両端を燭台が飾っているだけで、当然他の部屋へ繋がる扉も隠れる場所もなかった。
いくらローブで誤魔化せるといっても、魔術で施された錠前が付いた部屋にいるのはどう考えても怪しすぎる。見つかったら最後、ディアナだとばれるのは必至だった。
万事休すという文字がのしかかったディアナの腕をリヴィウスが引く。密着するよう強く抱きしめられたディアナは、目の前に広がる黒い衣服に心臓が飛び出るかと思った。
「ちょっと! 急になにするの」
「黙ってろ」
上から降ってくる低い声と、身体を包み込むよう抱きすくめてくる腕の感触に声が裏返る。
抗議の声を上げるディアナを無視し、リヴィウスは絵画に背を預けたまま腕を伸ばした。
そのまま壁に備え付けられた燭台を掴み、思い切り下へ引く。その途端、重い音を立てて壁が沈み込み、支えを失ったように身体がぐるりと回転した。
唐突に我が身を襲う衝撃に、ディアナは思わず目の前の黒へと縋りつく。
もつれる足は地面を捉え損ねるが、支えられた身体は倒れることなく、再び地面へと触れた。
それは一瞬の出来事だった。光が遮られ暗くなった視界の中、ディアナはようやく落ち着いて自身の状況を確認することができた。
もうびくともしなくなった絵画に触れ、何が起こったか理解する。
「この絵回転するのね。まったく気付かなかったわ」
どうやら仕掛けを使い、ディアナは絵画の裏側に移動したらしい。
「絵画の傍に燭台なんておかしいと思ったんだ」
しかも魔術師の施設でだ、と付け足すリヴィウスに、確かにとディアナも頷く。
一般の屋敷ならともかく、魔術師の施設であればもっと便利な光源はいくらでもある。熱や光に弱い絵画のすぐ傍に置くには、燭台は不自然だった。
あの壁を見てすぐ、リヴィウスはそれに気付いていたんだろう。入口ばかりを気にして思考が働かなかったディアナは、感心するように息を吐いた。
「貴方って意外に頭も回るのね」
「『意外に』は余計だが、そうだろう。そこらの平凡な奴らと比べてもらっちゃ困る」
ふふんと得意げに目を細めるリヴィウスの瞳が、暗闇でうっすら金色に光っていることに気付く。
ああ、やはり彼は悪魔なのだなとぼんやりと思っていると、未だ抱きしめられたままだったことを思い出した。
腰に回った腕と意外にしっかりとした胸板の感触を意識した途端、顔に熱が集まり、反射的にディアナはぱっと離れた。
唐突に離れた距離に、リヴィウスが訝しげな表情を浮かべる。
「なんだ」
「近いわ」
「そりゃ失敬」
まったく悪びれた様子のないリヴィウスにいらっとしながらも、今はそんなことに構っている場合ではないと気持ちを切り替える。
ディアナは回転し、閉じた壁を見つめた。意外にも分厚いのか、先程まで聞こえていた足音はこちら側に来てからぴったりと聞こえなくなってしまった。
ほっと息を吐き、胸に抱いたままの箱の存在にようやく気が付く。
「どうしよう。持ってきちゃったわ」
「持っておけ。どうせこのギルドにそれを必要とする奴なんざいやしない」
たとえ正式に登録していない資料だとしても、勝手に持ち逃げは気が引けるが、今更のこのこと戻しに行くわけにもいかないので仕方がない。
ついでに、となんでもないようにリヴィウスが絵画に手を触れる。すると額縁の部分が壁と同化するように色を変えた。押してみるがびくともしない。完全に壁とくっついてしまったらしい。
「魔術に対する妨害付きだ。物理で壊そうと思えば壊せるが、道具を取ってくるのに時間はかかる。今のうちに別の出口を探すぞ」
「……ということは、この先を進まなきゃいけないわけね」
肩を落とし、ディアナは通路の先へ目をやった。暗い通路はぼんやりと足元が確認できる程度で、その奥に何が広がっているかはまったくわからない。
背後からじわじわとにじり寄ってくる本能的な恐怖から、ディアナは無意識に唾を飲み込んだ。
「行くわよ。早くここから出て、明日の作戦を立てなくちゃ」
恐る恐る通路を進み始めるディアナの後ろで、リヴィウスは一つ溜息を零すと指を鳴らした。
途端に通路の両端に炎が灯り、一気に視界が明るくなる。
「転んで怪我でもされたら堪らないからな。行くのはいいが、せめて後ろを歩いてくれ」
そう言って、さっさとディアナを追い抜いていくリヴィウスの背後を見失わないよう、慌てて追いかける。
明かりが灯ったことで恐怖心が薄れ、だいぶ余裕が生まれたディアナは、左右に目を配りながら歩を進めた。半円を描くようになだらかな傾斜を描く天井には、見たこともない植物の蔓が這い、ところどころ垂れ下がっている。
左右の石壁には先程資料庫で見たような、おそらく魔術に用いられる文字が途切れなく刻まれていた。どこに通じるかわからない細い通路が点々と闇の中へ通じている。
うすら寒い風がどこからか抜けていく。それがなんともいえぬ不気味な雰囲気を醸しだしていた。
「ねえ、通路は覗いていかなくていいの?」
「覗きたいなら覗いてもいいが。あまり愉快な気配はしないな」
それはつまりどういうことだろうか。リヴィウスの口ぶりから、おそらく出口ではないのだろう。
ぶんぶんと首を振り、ディアナは壁面の魔術文字へ目をやった。
「あれはなんなの?」
「内部の魔力や音を外部へ漏らさないための魔術式だ。見たところ古代文明の遺跡の一部らしい。都市の郊外にある遺跡と同じものだろうな」
確かにここ、ミシュトレイの西部には古代文明の遺跡がある。だがこんな都市の内部にまで存在するとは思わなかった。
となると、この通路は外の遺跡まで通じているのだろうか。てっきりギルド内の別の部屋へ通じると思っていたのに、あまりに離れてしまうと御者との合流が不自然になる。
どうしようかと悩んでいると不意に目の前の背がぴたりと動きを止めた。
「なに、どうしたの?」
別の出口でも見つかったのかと前を覗き込む。目に飛び込んできたのは神秘的な光の粒だった。




