第16話:見つけた希望と迫る足音
光が溢れる。込められていた魔術が本を開いたことで作動し、力の奔流となってディアナの髪やローブを大きく揺らした。眩しくて目を閉じたディアナの手の中で寓話集が形を失い、別の何かを形作る。
ようやく勢いが収まるのを感じ、ディアナはそっと目を開けた。手の中に収まる、先程とは異なるものに視線を落とす。
「……箱?」
大きさは先程の冊子と同じくらい。白木でできたその箱は、先程のレースと同じような模様で縁取られただけの、シンプルなものだった。
鍵もなく、少し持ち上げれば呆気なく蓋は外れた。中から紙の束と一冊のノートが覗く。
「これが、ミネルヴァの隠した研究資料……!」
ノートを手に取り開く。そこには報告書顔負けの文字量がこれでもかと詰め込まれていた。
何かの資料の切り抜きがあちこちに貼られ、注釈の線がひっきりなしにページを跨ぎ飛び交っている。
碑文の一節や何かの図式が描かれていたかと思えば、ただ単語が羅列してあるだけのページもあった。
まるで彼女の頭の中身をそのまま書き写したような、乱雑で熱意のこもったそのノートはまさしく探していたものだった。
一緒に収まっていた紙の束は研究論文らしい。ミネルヴァのものとは違う筆跡に、彼女が集めた論文であることがわかる。
その中の一つにやけに印が多い論文があった。気になって、ディアナは題名に目をやる。
「――『水神の力を宿す武器について』」
それは魔導付与を研究していた魔術師の研究論文らしかった。
この世界には創造神である女神・セレスティア以外にも、土着の神として信仰されている精霊や妖精、自然神が数多く存在する。この水神もその一柱なのだろう。
中を読み込んでいくと、大戦時『とある地域で祀られていた水神の異能を、魔術を介して武具へと宿すことに成功した』という内容が綴られていた。
武具へ異能を宿す経緯は、専門的な用語や魔術的知識が前提となる記述でよくわからなかった。
だが、水神の力を宿した武器は鋼すら両断し、盾はあらゆる攻撃、魔術を跳ね返したこと。
また、魔力量や技量に差のある魔術師の魔術に対しても、有効な対抗手段となったことなどが記されていた。
そのあたり一帯にぐるぐると丸印がつけられ、伸びた線の先にミネルヴァの走り書きがある。
『悪魔の力?』
「これってどういうことかしら。水神ではなく、悪魔の力を宿した武器だったということなの? ミネルヴァは、なにを根拠にそう思ったのかしら……」
「魔導付与の技術は昔からあった。土着の神や精霊の力を無理やり武具に定着させてその力の一部を借りる魔術方式だが、苦労のわりに得られる効果はそんなに強くない。だから引っかかったんだろ」
思わず呟いた言葉に返ってきた返事にディアナは顔を上げる。予想以上に近い位置に黒が見え、どきりとした。
上から覗き込んでいたリヴィウスはディアナを見ず論文を手に取った。適当に流し見ながら口を開く。
「水神の力を付与したところで、せいぜい水を操れる力を得るくらいだ。鋼鉄を凌駕する強度も、ましてや高位の魔術師の術式を打ち破る力なんざ得られない。
それこそ、そんなことができるのは悪魔の力くらいだ」
「悪魔の力ってそんなにすごいの?」
改めて問うと「当然だ」と得意げに胸を張る。
「悪魔は異界の存在だから、この世の物理的な理には左右されない。普通の武器も、魔術も通らない。
──悪魔を傷つけられるのは、悪魔だけだ」
だからこんな実験が行われたんだろうな、とリヴィウスは論文を雑な仕草で振る。傷むのを気にしたディアナが慌ててその手から論文を取り上げると、気にした風もなくリヴィウスは背後の本棚へともたれかかった。
「そう簡単に現世の素材に悪魔の力を宿すことはできないが、水の悪魔なら納得だ。剣を精錬するときに水は必須。悪魔の力を使い精錬した剣には、多少なりとも力が宿る。
まあ悪魔召喚が激化していた時代には焼け石に水だっただろうが、悪魔の存在が禁忌となっている現代なら、驚異の武器になるだろうな」
「そう……」
リヴィウスの言葉に手元へ目を落とす。この情報は、使えないだろうか。悪魔の力の断片であることは間違いない。どうにかして、契約破棄に繋がる糸口にならないだろうか。
そのざらついた紙をそっと撫でる。資料として添えられていた短剣の挿絵に自然と目がいった。どこかで見たような気がする。柄に刻まれた細かな意匠を指でなぞりながら、ディアナは手に入れた知識の断片を手に、思考の海に沈んでいった。
術式に干渉できる悪魔の力を宿す短剣。現世に魔力の器で繋ぎ止められている悪魔。
『今契約は不完全な状態なんだ』
響いた悪魔の言葉に、思考の海から一つの閃きが泡となり生まれ弾ける。
――もし、この短剣であのランタンを破壊することができたなら?
未だ不完全な契約で繋がるディアナより、召喚の依り代となったあのランタンのほうがリヴィウスとの繋がりは強いはずだ。
なら楔となる魔力の器も、ランタンに依存しているのではないか。
ランタンの魔力が切れればディアナが魔力を補わなければならないという話だが、それはランタンが無事だった場合。
契約が不完全な今なら、召喚を無かったことにできるのでは……?
あくまで仮説だ。だがピースが一つ一つはまっていくごとに鮮明になっていく思考に、今朝の食卓がふとよぎった。
「――この短剣」
記憶がつながり思わず声が漏れる。怪訝そうに顔を向けるリヴィウスに向かい、ディアナは興奮する気持ちを抑えきれず論文を突きつけた。
「これよ! これを使うのよ。悪魔の力が宿った短剣であのランタンを破壊する。
あれには召喚に関する術式が刻んであるんでしょう?契約が不完全な今なら、その術式を破壊することで魔力の器も壊れて、召喚を取り消せるかもしれない」
ディアナの迫力に押されるがまま、リヴィウスは差し示された短剣の挿絵へ目をやる。
眉を寄せ首を振ったかと思えば、挿絵を指でコツコツと叩いた。
「確かにあのランタンには召喚と契約の術式が刻んである。
契約が完全であればあのランタンを破壊したところで召喚が取り消されることはないが、今の状態だったらそうなる可能性もないことはないだろう。
お前が一か八かの大博打に打って出るのは大いに結構だが、試せなきゃ机上の空論だ。
短剣の所在はこの論文じゃわからないのに、どうやって短剣を入手するって?」
「それが、わかるのよ」
想定していた返答に、ディアナは得意げに笑みを浮かべ挿絵を見つめた。
独特な細かな意匠。見覚えがあるはずだ。これを目にしたのはつい今朝のことなのだから。
「明日、ケレメン家で競売があるの。そこに出品されるはずよ」
「競売に? これがか?」
「挿絵もあったもの。同じ品だわ。ケレメン氏はとても有名な収集家で目利きも確かよ。偽物の可能性は低いわ」
胸を張り、ディアナはどうだと言わんばかりにリヴィウスへ勝ち誇った視線を投げかける。
行く先が見えず、絶望にまみれていた今朝に比べて今の心境といったらどうだろう。
まるで女神がディアナの運命を打ち砕く手伝いをしてくれているようだ。
「明日ケレメン家のパーティへ行ったときに短剣について探りを入れる。うまく手に入れることができれば、ランタンの破壊は造作もないわ。
期日まで余裕もあるし、この勝負は私の勝ちね!」
「随分と都合よく考えているのは結構なんだがな。もう少し声を落とせ。ここがギルド内だって忘れてないか」
「なによ。どうせみんな貴方のせいで出払っているのだから、少しくらい大丈夫でしょう。
それにこんな非常時に資料庫に来る人なんて誰も――」
いない、と続けようとしたときだった。
——ディアナの耳に、小さな靴音が届いた。




