第12話:静寂を切り裂く警報
「消えてしまった」
あまりにも呆気なく、ただそう一言ヘンリーは呟いた。
「なんてことない、いつも通りの一日だった。なんの前触れもなく、彼女は姿を消した。
別れの言葉も託す言葉もなく、また明日も当然会えると信じて疑わない。
……『またな』という、そんな、ただ一言だけを残して」
意図的になのか。事故なのか。なんらかの対処によってか。
何もわからず、何も変わらないまま。
そのまま、彼女が消えた日々だけが残った。
「当時のギルド内では『悪魔に魅入られた』だとか『禁術に触れ国に拘束された』だとか、口さがない噂が飛び交っていたものだ。
一番多かったのは、研究で赴いた先で事故にでもあったのだろうという話だったが。
彼女は常日頃から無許可で各地を放浪する癖があったから、その話が一番信憑性が高かった」
だが、彼女の自宅を訪れて。
あれだけ物が溢れ散らかっていた室内ががらんと片付いているのを見て、ヘンリーは思った。
失踪に、どんな理由があったのだとしても。彼女はもう、ここに戻ってくるつもりはなかったのだと。
「わかるかい? 悪魔という、非日常を追い求めた結果がそれだ。
今いる日常が、平穏が、何よりも大切だと思うなら。
──深入りするのはやめなさい」
淡々と諭すヘンリーの瞳は、まだ過去に浸っているようだった。
目の前のディアナを心配するような年長者の眼差しをしながら。
その心は、あの日の師に向けているようにも見えた。
何も気付かず、師を失ってしまった悲しみ。
何かできたのではないかという後悔。
もう終わってしまった、過去に対する無力感。
そのすべてがない交ぜとなって、その深い森のような瞳の奥に隠れているような気がした。
「すまないね。怖がらせてしまったかな」
何も返す言葉が思い付かず黙り込んでしまったディアナに、明るくヘンリーが笑い掛ける。
先程までと打って変わった溌剌とした声が、この話は終わりだと明確にディアナへと伝えているようだった。
「脅かすつもりはなかったんだ。ただ君はまだ若く、明るい未来が待っている。
悪魔なんていう怪しげなものに興味を持つよりも、もっと君の未来にとって重要なものに目を向けるべきだ」
その未来を掴むために悪魔の情報が欲しいのだが。勿論そんなことヘンリーは知る由もない。
向かいのソファから立ち上がると、ヘンリーはディアナへと手を差し出した。
「だいぶ時間が押してしまったね。長々と話をしてしまい申し訳なかった」
「いえ、こちらこそ。踏み込んだ話をしてしまって申し訳ありませんでした」
これ以上ヘンリーから情報を得ることは難しそうだった。ディアナは謝罪しつつ、彼の手を取ろうと片手を伸ばす。
と、そのときだった。
耳をつんざくような甲高い警報の音が鳴り響く。それはギルド中に響き渡り、俄かに周囲の気配が騒がしくなった。
バタバタと走り回る足音に、何事かとディアナは腰を浮かせる。それを押しとどめるよう、ヘンリーはディアナの肩にそっと手を置いた。
既に杖を構えていたヘンリーは「落ち着いて」と静かにディアナに囁く。
「魔物感知器が作動したようだ。危険だから、ディアナ嬢はこのままここにいるように。
あとで別の者に外まで案内させよう」
「あの、アルノルト卿はどちらへ」
「状況を確認する必要がある。失礼するよ」
足早に出ていくヘンリーを見送り、ディアナは力を抜きソファへもたれかかった。
まるで夢想から覚めたように、急に現実が身体中に圧しかかってくる。
おそらく、この警報はリヴィウスの仕業だろう。資料庫の目星がついたのか。そのことを喜ぶ前に、緊張の反動からくる脱力感が身体中を襲った。
「疲れた……」
今日ほど精神を削った日はないだろう。秘密を抱えながら、自分よりもずっと上の人間から情報を引き出そうとするなんて、さすがのディアナにも荷が重すぎた。
だが収穫はあった。悪魔研究の第一人者である魔術師、ミネルヴァ。
彼女の研究資料が見つかれば、もしかしたら何かしら契約破棄に繋がる手がかりを手に入れることができるかもしれない。
ヘンリーは悪魔はお伽噺だと繰り返していたが、振り返るあの一瞬、彼の気配が変わったのをディアナは見逃さなかった。
揺らがないよう意識された視線、決められた通りの台詞をなぞるだけのような話しぶり。
彼が、何かを隠すために仮面をかぶったのは一目瞭然だった。
その『何か』とは、何か。
悪魔の存在に決まっている。
となると、彼女の研究資料も信頼性の高いものだろう。
問題は、それがこのギルドに残されているかどうかだ。大きく息を吐き目を閉じる。
もしも見つからなかった場合、ミネルヴァの自宅まで捜索範囲を広げる必要があるかもしれない。ヘンリーがまだ駆け出しの頃の師ということは、失踪も随分昔の話だろう。自宅がそのまま保存されているかも怪しい。
そんな状態で果たして資料を探すことができるのだろうか。それも、三日以内に。
胸の中で暴れ出そうとする焦燥の気持ちをぐっと呑みこみ、頭の中でぐるぐると今後の動きを考えていたディアナは、不意に部屋の中に現れた黒い影に気付かなかった。
「おい」
「ひゃあ⁈」
「騒がしい奴だな。いつまでこの部屋に居座るつもりだ? さっさと出ないと人が来るぞ」
考え込むディアナの目の前に現れたリヴィウスは、「それらしい場所を見つけた」と青年姿で告げた。
「地下の第三資料庫だ。ご丁寧に鍵がかかってる」
「それは良い情報ね。すぐに向かいましょう」
この場で考え続けても仕方がない。それらしい場所があったのならば、まずは探してみることだ。
不安や焦りはいったん脇に置き、気を取り直して部屋を出ていこうとするディアナを「ちょっと待て」とリヴィウスが呼び止める。
出鼻をくじかれ、不満を隠すこともせずディアナは眉を寄せ背後を振り返った。
「なによ。早くしないとって言ったのはそっちでしょう」
「その格好で出歩く気か? いくらなんでも目立つだろ」
その言葉と共に投げられたのは黒いローブだった。若い魔術師が揃いで着ているものだ。
確かにこれならうまく溶け込めるだろう。腕を通そうとして、止める。
「身ぐるみ剥いできたわけじゃないわよね」
「安心しろ。備品倉庫にあったものを拝借しただけだ」
お前は俺をなんだと思ってる? という言葉には「悪魔でしょう」と返しようやく袖を通す。
フードを被ればばれる心配はなさそうだった。今度こそディアナは部屋を出て通路を進んだ。騒ぎは結構大きくなっているらしい。誰もディアナを気にかける者はいなかった。
「貴方いったいどんな騒ぎを起こしたの」
「大したことはしちゃいない。研究棟で暇そうにしてたラタトゥースの檻を開けてやっただけだ」
「ラタトゥースって、あの大ネズミ?」
ディアナの脳裏に子犬程度の大きさの魔物が浮かぶ。生息地域は温暖な森林で、この都市の近くでもよく見る温厚な部類の魔物だ。
ただ繁殖率が高く、増えすぎると農作物への被害が著しいため定期的に騎士団やハンターギルドなどが駆除を行っている。
「魔術師なら楽勝だろ。まあすばしっこいから、全部捕まえるのは骨が折れるだろうけどな」
せいぜい苦労すればいい、と笑う様子はまさに悪魔だ。
呆れるが、共犯者の時点で何も言うことはできない。せめて怪我人が出ないことを祈りつつ、ディアナは施設の奥へ進んでいった。




