第11話:揺れる心
「ところで、ディアナ嬢はデトキッソスの葉の効用差についてもどう思うかな?
私はあれも生体畜素特性の一種だと考えていて、自生地でどのような成分を蓄えたかによって効能が変わるんじゃないかと思っているんだ」
「私も同じ考えです。でも、ただ土壌成分だけが問題ではないと思うんです。
それというのも、ある研究論文では異なる自生地のデトキッソスを同じ土壌に植え育てる実験をしているのですが、片方では仮説通りの効能を発揮したのに対して、もう片方は解毒作用を持たなかったという結果が出ているんです。
つまりデトキッソス自体が同種でありながら、自生地により蓄えられる成分に違いがあるということで――」
興味深げに身を乗り出し議題を振るヘンリーに、ディアナはぱっと食いつく。
もはや時間を稼がなければと考えていたことなど忘れ、あれはどうだこれはどうだと語り合う話題が尽きることはなかった。
ボーン、と深く響く柱時計の音に意識を引き戻される。
見上げればもう執務室を訪ねてから三十分も経っていたことに気付いた。
「もうこんな時間か。お引留めして申し訳なかった」
「いえ、こちらこそ。ヘンリー卿のお話がとても興味深くて大変ためになりました」
これは事実だ。こんなにも夢中になって知識や考察を共有し合うことなど今までなかった。
どうにかして時間稼ぎをと思っていたが、ヘンリーの話には人を引き付ける魅力があり、ついつい聞き入ってしまった。
本心からそう言うと、ヘンリーも嬉しそうに表情を緩めた。
「そう言ってくれると嬉しいよ。こちらこそ、ディアナ嬢の素材に対する見識の深さと着眼点には良い意味で驚かされた。
今後の共同研究もとても楽しみだ」
笑みを浮かべ語るヘンリーの言葉で、一瞬ディアナは表情が強張る。
向けられた笑顔と言葉は嬉しいもののはずなのに、急に冷水を浴びせられたようだった。
沈黙がその場を支配しないように、ディアナは無理やり笑みを浮かべ、「父の仕事と、私は関係ありませんから」とやんわりと自分は関わらないことを告げた。
そんなディアナを、思慮深い瞳が不思議そうに見つめる。
「何故だい?」
「なぜって……商人の世界に、女が入り込む余地はありませんわ」
「それは君の考えかな」
答えにくい質問に言葉を選んでいる間に、ヘンリーは「私はね、」と静かに口を開く。
「上に立つ者を決めるのは、出自でも年齢でも性別でもなく、素質だと思っている。
能力を持つ者が、然るべき場所で存分にその能力を発揮できる、そんな世の中を作っていきたい。
私程度の人間の力などまだ微々たるものだが、それでも手の届く範囲にいる者には、そうあってほしいと願っているんだ」
真摯な言葉にディアナはあの若い魔術師が傾倒するのも当然だと思った。
それくらい、彼の言葉には人を引き付ける何かが込められていた。
彼のような上司を持つこのギルドの人間たちは幸せだろう。
優しいオリーブの瞳がじっとディアナを見つめている。その眼差しが、父のそれと重なる。
――その目を見つめていると。
少しだけ、彼になら悪魔契約のことを話してもいいのではないかと心が揺れた。
あのうさん臭い悪魔とこの副ギルド長であれば、信用の程度は比べようがない。
正直に話せば、契約破棄の方法を探すのを手伝ってくれるのではないか。
いや、破棄の方法といかずとも、この三日という限られた期限を引き延ばす知恵を授けてくれるかもしれない。
『それならお前は幸せだ。この世の闇を知らずに生きてくることができたんだからな』
先程のリヴィウスの言葉が脳裏に浮かび、開きかけた口を閉じる。
ディアナは魔術の世界を何一つ知らない。本当に、迂闊に自身の秘密を口にしても良いのだろうか。
「それにしても、魔術というのは面白いものですね。見ただけでは、どのような原理が働いているのか、まったくわかりません」
迷う心のまま、ディアナは別のことを口にした。
視線の先では指令を受けたティーカップたちが軽やかに踊りその汚れを落とし、棚に戻ろうとしているところだった。
「高位であればあるほど、その魔術は奇跡の高みに至るのでしょう? 空を飛んだり、空間を転移したり、……はるか昔には、異界の悪魔を使役してみたり」
心臓がやけにうるさい。希望と自己保身と、二つの想いが揺れるディアナが絞りだせる最大の問いかけだった。
ディアナの言葉に、杖を振っていたヘンリーが動きを止め振り返る。
「――それは、お伽噺の中の出来事だね」
「ええ、そうですね。お伽噺です。
でも、火のないところに煙は立たないでしょう? 一度聞いてみたいと思っていたのです。
魔術師の方々は、悪魔についてどうお考えなのか」
あくまでもただの知的好奇心を装って、ディアナは何か情報を得られないかと探りを入れる。
彼の悪魔に対する考え方、契約について、なんでもいい。
何か一つでも今の状況を打開できるような、『何か』が欲しい。
縋っているように見えないように、しかし一つも取り漏らさないように。
ディアナは注意深くヘンリーへ意識を集中させた。
ディアナの胸中を知らないヘンリーは杖をしまい、ソファへ座り直す。
「ディアナ嬢。君の飽くなき好奇心はとても素晴らしい長所だ。だがこの件に関しては、あまり良い方向に発揮されているとは言えない」
悪魔は、お伽噺だ。
静かに、言い聞かせるようにヘンリーは再びそれを口にする。
「確かに、太古の昔――まだ魔術師が政治の中心を担っていた時代は、悪魔を使役し統治していたという逸話が残っているのは事実だ。
だが、現代の魔術師が悪魔を使役する術を知っているかといえば、どこにもそのような知識は存在しない。
現在の見解では、悪魔とは魔術師が遥か高みの境地へ達したことを象徴するための比喩表現として機能していたのだろうと言われている」
「でも、本当にただの比喩だったのでしょうか。世界中に残された資料が、ただの一つも現実ではないと、本当に言い切れるんですか?
もしかしたら、一人くらいは本物の悪魔に会っていた可能性も――」
「ディアナ嬢」
ヘンリーの返事に納得できないディアナがさらに続けようとすれば、静かな声がそれを遮った。
「悪いことは言わない。今の毎日が大切ならば、妙な気は起こさないことだ」
一瞬ヘンリーの瞳に暗い影が落ちる。口を閉ざしてしまったヘンリーに、ディアナは聞くべきではないと知りながら、それでも問いを発した。
「――何かあったのですか?」
沈黙が落ちる。静かなディアナの問いに、ヘンリーはただ目を閉じた。
これ以上話すことはないという意思表示にも見える。
だがディアナには、ヘンリーが瞼の奥で、過去を見ているように感じた。
「……このギルドには、かつて天才的な魔術師がいた。
名前はミネルヴァ。彼女は自他ともに認める悪魔研究の第一人者で――まだ駆け出しの頃の、私とグランの師でもあった」
ゆっくりと過去から現代へ目を向けたヘンリーが静かに語り始める。
それはかつてこのギルドにいたという、一人の魔術師の話だった。
「彼女もまた、今のディアナ嬢と同じようなことを言っていた。
『これだけ資料が残されていて、そのすべてがただの比喩表現だなんて、そんなつまらない話はない』と」
『悪魔は確かに存在する。国や国家魔術師が、その存在を秘匿しているに過ぎない。
それを私は証明したい。
だってそのほうが、面白いじゃないか』
「様々な資料を漁り、研究していたらしい。
当時最盛期だった古代遺跡の調査にも乗り込んで、勝手に色々と持ち帰ったりもしていたようだ。
まあそのほとんどが没収されてしまっていたが。誰に何を言われても懲りず、研究に没頭する彼女を見て、私も彼女なら悪魔の存在を証明してしまうのではないかと思っていた」
「それで……彼女は今は?」
話しぶりからあまり良い結果ではないのはわかってはいても、そう聞かずにはいられなかった。
時計の針の音が静かな空間に規則的に響く。
先程まで熱のこもった議論が繰り広げられていた室内は、底冷えするかのような不気味で静かな空気で満たされていた。




