第10話:ヘンリー・アルノルト卿
執務室には二人の人物がいた。扉の外に立つディアナに、二種類の正反対の視線が向けられる。
そのうちの一人、グレーの瞳に剣呑な光を宿した人物が、ディアナを嘲笑するように口を開いた。
「これはこれは、無遠慮にもギルド内で盗み聞きとは。
商人のやることは品がなくて困りますな」
なんでこの男がここに。
瞬時に込み上げた苛立ちを鉄壁の笑顔で隠しながら、ディアナは胸中で吐き捨てた。
グラン・オルフォード。現魔術師ギルドのトップで、魔術師至上主義――保守派の筆頭だ。
市庁舎でもたびたび目にするが、会うたびに悪意や差別の入り混じる嫌みを父・レナードへぶつけてくるため、ディアナの中で一生覆されない嫌な奴リストの筆頭でもある。
ギルド長になるくらいなのだから実力は確かなのだろうが、実力者が総じて人格者であるわけではないという良い見本だ、とディアナは思っている。
「グラン卿、彼女は私のお客様です。失礼な言動は慎んでもらいたい」
グランを諫めるようもう一人の男性がオリーブの瞳を細め口を挟む。
ディアナは初めて見る人物だった。おそらく彼がヘンリー・アルノルトなのだろう。
茶色の髪を優しくなでつけ、全体的に柔らかな雰囲気の彼は、穏やかながらも強い非難を込めグランを見つめていた。
「彼女は仕事で来ている。無遠慮なのはそれでもこの場に留まろうとする貴殿と、時間通りに尋ねてきた彼女と、どちらだろうか」
「平民など待たせておけばいいだろう。
そもそも、私は今回の案件に是と答えた記憶は無いが。
ギルド長の許可も得ず、仕事だと? 勝手なことをしているのはどちらだ」
「その件についてはきちんと説明したはず。
今回はあくまで私個人の研究に協力をしてもらうという話でローズベルト商会も納得している。
いくらギルド長といっても、個人の研究にまで口を出す権限はないはずだが」
緊迫した空気が流れる。忌々し気に視線を逸らすものの、それ以上反論をしないところを見るにその通りなのだろう。
口を出すわけにもいかず黙って様子を見守っていたディアナは、グランの冷たい視線とぶつかる。
そこにはありありと、隠そうともしない憎悪が浮かんでいた。
「――失礼する」
何か言われるかと身構えたディアナだが、意外にもグランはそれ以上何も言わず、黙って執務室を出て行った。
疲れたように息を吐くヘンリーは「すまないね」とディアナにソファを勧めた。
導かれ柔らかなソファに座ると、その向かいにヘンリーもまた腰を下ろす。
「魔術師ギルドへようこそ。
副ギルド長のヘンリー・アルノルトです。到着早々恥ずかしいところを見せてしまい、申し訳ない」
「ディアナ・ローズベルトと申します。先日成人の仲間入りを果たし、ご挨拶をと思い伺いました。
本日はお時間いただき感謝します。
先程の件に関しては、気にしておりませんわ。慣れておりますから」
ディアナの言葉に、ヘンリーは痛ましげに目を伏せる。
「慣れている、か……それも含め、大変失礼なことをした」
「アルノルト卿が謝罪されるようなことではありません」
本当に申し訳なさそうに眉を下げるヘンリーに、逆にこちらが申し訳なくなってくる。
現在魔術師ギルド内が保守派と融和派で対立しているのは知っている。そして市庁舎に出仕するような魔術師は、総じて保守派だ。
ギルドとして表に出る声が、商会に対して当たりが強いのは当然だ。
「今後とも、アルノルト卿とは良い関係を作っていきたい、と父も申しておりました。
今回アルノルト卿の研究に協力できることも、娘としてとても誇らしいと感じております」
「そう言っていただけると私としてもありがたい。
――そうだ、疲れただろう。お茶はいかがかな」
嬉しそうに微笑んだヘンリーが、懐から小さな杖を取り出した。
古代語だろうか。彼が小さく呟きながら、指揮者のように杖を軽やかに振ると、食器棚からティーセットが浮かび上がりお茶の準備をし始めた。
目を白黒とさせるディアナの周囲を、ティーセットたちがくるくると回る。
瞬く間にお茶の準備が整っていく様子は、まるで不思議の世界に迷い込んだ絵本の一場面のようだった。
「これは、すごいですね。その杖があればなんでもできるんですか」
「なんでも、というわけではないよ。大きな魔術にはより強力な触媒——魔具が必要だ。
最近は小さくても強力な貴金属の触媒が流行っているようだが、私はこの木の感触が気に入っていてね。こちらを主に愛用しているんだ」
そう言って大事そうに杖をしまうと、ヘンリーはカップへ口をつけた。ディアナもそれに倣いカップを手に取る。程よい温度の紅茶は緊張で強張っていたディアナの身体を温め、心地良さで満たしてくれた。
魔術で淹れたとは思えない、とても良い味だった。
「美味しいですね」
「君のところで買った茶葉だ。ローズベルト商会は魔道具開発だけでなく、どんな品物も質が良く素晴らしい。いつも贔屓にさせてもらっているよ」
「父に伝えたら喜びますわ」
ディアナは失礼にならない程度にそっと室内を見渡した。
まず目に入ったのは壁に飾られた立派な角の標本だ。大きく両手を広げるように平たい角が枝を分け広がり、その中央からは鋭い一本の角が伸びている。
その横には風景画が飾られ、よく見ると描かれた木々の葉がさわさわと揺れているのが見えた。
部屋の隅に置かれた大きな棚の横には、特殊な文様が編まれたタペストリー。
至る所に見える魔術素材の気配に、ディアナは深く感嘆の息を吐いた。
「さすが副ギルド長のお部屋ですね。これだけの質のものを集めるのは大変だったのではありませんか」
そう言うと、ヘンリーは少しだけ少年のような笑みを浮かべディアナを見た。
「おや、やはりディアナ嬢にはわかるかな」
「ええ。あちらの角はムースの角ですね。
北方に生息する魔獣の一種ですが、大変好戦的で人間を見つけると火球を放ち襲ってくると聞いています」
多少削った跡はあるが、あのようにほぼ無傷の状態で保存されているのを見るのは初めてだった。
「ご名答。あれは私が魔術学校の生徒だった時代、ギルドの依頼で討伐したものだ。
卒業研究の題材にもしたものなので、記念にと残してあるんだ」
魔術学校では、卒業の資格を得るために研究成果を発表する必要があるらしい。
その出来で卒業できるかどうか決まってしまうのだから、皆必死だろう。
「卒業研究……というと、もしかして生体畜素特性に関する論文でしょうか」
「……なぜそう思うのか、理由を聞いても?」
驚いたようにヘンリーは目を瞠りディアナを見た。
その反応に少しだけ誇らしい気持ちを抱きながら、ディアナは「もちろんです」と深く頷き、もう一度室内へと視線を走らせた。
「ムースの角には自然界の炎エネルギーを蓄える性質があります。
あちらのタペストリーはマティラから採れる染料で染められたものですね。あの花は冷気を溜め込めるので、冷感素材の原料としてローズベルト商会も重宝しています。
蛍石のランプは説明する必要もないでしょう。
これだけ畜素特性の高い素材を使用した品々が多いならば、研究題材もそうだろうと思っただけです」
「いや、素晴らしい。まさしくその通りだ。良い観察眼と深い知識をお持ちのようだ」
お世辞だとしても実力のある魔術師にそう評価され、ディアナは照れたように一つ咳払いをする。
生体畜素特性に関してはディアナも興味深いテーマだと常々思っていた。
一般に出回っている学術書しか読んだことはないが、魔術師が書く研究論文とはいったいどのようなものなのだろうか。
少しだけ興味が湧くが、その瞬間ディアナは自身の脇に置かれた小さなトランクの存在を思い出した。
そう、今日の目的は別にある。まずは務めを果たさなければ、とディアナは一通の封書をヘンリーへと差し出した。
「ローズベルト商会長から、次回会談の日程調整についての書簡を預かっております」
「確かに」
ヘンリーは封書を丁寧に受け取ると、懐へとしまう。これでディアナの任務は終了だ。あとはリヴィウスが資料の目星をつけてくるまで、どうにか時間を稼ぐ必要がある。
さて、どうすべきか。
内心困っていると、助け舟は意外にもヘンリーから出された。




