第9話:いざ敵陣へ
敷地内には、三階建て程度の白壁が基調の建物と、少し古風な石造りの塔が一基。
柵を支える煉瓦の壁の上には透明な水晶球が設置されており、簡易な結界で保護されている。
確かあれは魔物に対する警報装置も兼ねていたはずだと思い出し、ディアナはこっそりとバングルに口を近づけた。
「ねえ。貴方ばれたりしないわよね」
「それは問題ない。魔術師は魔力やマナの感知は得意だが、悪魔の気配には鈍感だからな。
黙ってじっとしていたら、たとえ寝室に忍び込んでいてもばれやしない」
その言葉の通り、馬車が門をくぐっても警報は作動せず沈黙を守ったままだった。
安堵の息を吐くディアナとは対照的に、緊迫感をまるで感じさせない声音でリヴィウスが意外そうに声を漏らした。
「二世紀前まではもっと閉鎖的な環境にあったが、ここは結構開かれているんだな」
「最近はどこのギルドもこんな感じよ。
昔は魔術師といえば貴族ばかりで選民思想の塊だったらしいけれど、今じゃ平民の魔術師だって珍しくないし。魔物の討伐や素材回収を依頼することもあるから、窓口だって開放してるわ。
とはいえ、利用することはほとんどないけれど」
ディアナが魔術師ギルドを訪問したのは二度ほどだ。そのどちらもレナードの付き添いで、内部までは入らず受付横の応接室で待っていたので中がどうなっているのかまったくわからない。
仕事の話だからと遠慮して同席しなかったが、こんなことになるならば一度くらいは内部を見ておけばよかったと悔やんだ。
ゆっくりと馬車が停まり扉が開く。用事が済むまで待機しているという御者に礼を言い、ディアナは受付へ向かった。
「ようこそ魔術師ギルドへ。どのようなご用件でしょうか」
「レナード・ローズベルトの名代として参りました、ディアナと申します。
ヘンリー・アルノルト卿に書簡を渡したいのですが」
「ディアナ様ですね。少々お待ちください」
受付の若い女性魔術師は、確認のため手元の水晶球に触れる。予定が確認できたのか、ものの数秒で「お待たせしました」と顔を上げた。
「ご案内いたします。こちらへ」
歩き出そうとするディアナの耳元で「勘付かれるなよ」とリヴィウスの声だけが響く。
「魔術師ってのは厄介な生き物だ。見えないくせに感性だけはやたら鋭い。
ほんの少しでも違和感を持たれたら終わりだ」
気付いたときにはバングルは消えていた。ギルド内を探りに行ったのだろう。
若干不安も残るが、ここはあの悪魔に任せるしかない。前を歩く魔術師の背を追いながら、ディアナはそっと周囲へ視線を走らせた。
受付業務に携わっているのは比較的若い魔術師が多く、皆揃いのローブを着ている。通り過ぎるディアナのほうに向けられる、あまりにも隠そうとしない視線と囁く声に、嫌悪よりも先に戸惑いが浮かぶ。
想像していたよりもずっと、敵意よりも好意的なもののほうが明らかに多かったからだ。だがそれも、受付から奥に進んでいくとまた様子が変わってきた。
じろじろと、あからさまにディアナを品定めする者。眉をひそめる者。明らかに歓迎されていない雰囲気を出すのは、多くが年配の、それも貴族然とした魔術師ばかりだった。だが思ったよりも、そういった視線を向ける魔術師は少ない。
なるほど、とディアナは素知らぬ顔をして歩きながら、以前誕生パーティで聞いた話を思い出していた。
魔術師ギルドが融和派に傾いてきているというのは、どうやら本当のようだ。
「あの、不躾な質問をすみません。もしかしてディアナ様は本日、魔道具共同研究の件でいらっしゃったのでしょうか」
「え? ええ。私はただの名代で、詳しくは知らないけれど」
そわそわと問いかけてくる魔術師は、ディアナの返答を聞いて「やっぱり」と嬉しそうに笑った。
「先日からそんな噂があって、とうとう魔術の時代が変わると、仲間内で喜んでいたんです」
「時代、ですか」
「ええ。魔力の高さは血に由来するということはご存知でしょうか。
少し前までは、その血を守るために魔術師は貴族間での婚姻が推奨され、当然ギルドも上位貴族優位の組織でした。
私たち下位貴族や平民出身の魔術師は、どうも肩身の狭い思いをしていて。
――それが最近では、アルノルト卿のおかげで、少しずつ雰囲気が変わってきているのです」
アルノルト卿には本当に感謝しています、と語る魔術師の顔には尊敬の念が溢れていた。
「……アルノルト卿は、どのような方なんですか」
「とても素晴らしい方です」
ディアナの問いに、魔術師は力強く断言した。
「彼は頭ごなしに意見を押し付けるのではなく、年若い私たちの言葉も聞いてくださいます。
『これからの未来を創るのは君たちなのだから、年配者としてより良い世界にしなければならない』というのが、常日頃からの口癖でして。
その一つがローズベルト商会との魔道具共同研究なのだとおっしゃっていました。
なので、今日その第一歩が踏み出され本当に誇らしいんです」
きらきらとした眼差しで語る魔術師を見て、本当に彼女はディアナの訪問を喜び歓迎していることがわかった。
そして、ヘンリー・アルノルトが人格者であることも。
これから対峙しなければならない人物の人となりを多少知ることができ、ディアナの緊張もわずかに解ける。
同時にちくりと良心が痛んだ。
確かにレナードの使いで魔術師ギルドを訪問したのは事実だが、本当の目的はギルド内に保管された機密資料を盗み見ることだ。
彼女たちの期待を裏切るような気がして、申し訳なさが募る。
ディアナが一人良心の呵責に耐えているとは露知らず、魔術師がある扉の前で足を止めた。
こちらがアルノルト卿の執務室になります、と扉を手で示す。
「ごゆっくりお過ごしください」
「ありがとう」
礼をして立ち去る魔術師を見送り、ディアナは腹を決め扉に向き直った。
彼女たちには悪いが、ディアナも命が懸かっている。絶対に、ここで何かしらの情報を手に入れなければならない。
覚悟を胸にノックをしようと手を上げたところで、中から話し声がするのに気付いた。
もしかして取り込み中だったろうか。少し待つべきかと躊躇していれば、扉が独りでに開く。
予想外の出来事に瞬きながら、ディアナは室内へ目を向けた。




