第七章 廊下をあずかる娘
廊下を磨くことと、廊下をあずかることもまた、少し違うのだろう。
板を拭く。
軋みを見て、釘の浮きを確かめる。
障子の桟にたまる細かな埃を払う。
それはもちろん大事だ。
宿の廊下は、人の目にも足にも気持ちよくなければならない。
けれど第十五作のここまで来て見えてきたのは、それだけではない。
どこに光を残し、どこに影を残すか。
どこで客間の余韻を少し運ばせ、どこで帳場の速度へ戻すか。
曲がり角の一拍を、急がせずにどう保つか。
そうした“途中の時間の扱い方”まで含めて、廊下はあずかられるべき場所なのだろう。
そして汐里は、いまようやくその仕事へ足を入れ始めているように見えた。
翌朝、宿には湿りのない明るい風が通っていた。
青葉の影は前日より少し浅く、板の上の光もやわらかい。
こういう日は、影で人を遅らせるというより、廊下そのものが“次の場所へ行ってもよい”明るさを持つのだろう。
人の移り方は、ほんとうに日ごとに違う。
だから廊下もまた、毎日同じ廊下ではいられないのかもしれなかった。
朝食の片づけを終えたあと、汐里は廊下の曲がり角で少し立ち止まっていた。
板を拭く布は手に持っている。
だが、すぐには動かない。
客間の障子から入る光と、庭から返る緑の反射を見ているようだった。
「今日は」
彼女が言う。
「ええ」
「影を残しすぎないほうがよさそうです」
「どうして」
湊が訊く。
「昨日は」
「ええ」
「影が人を急がせない日でしたけど」
「はい」
「今日は、あまり影を深くすると、客間のあとを抱え込みすぎそうなので」
「……」
「少しだけ明るく返したいんです」
その言い方に、湊は深く頷いた。
廊下をあずかるというのは、こういうことなのだろう。
昨日のよさをそのまま繰り返すのではない。
その日の光と人の気配を見て、途中の時間をどう次へ渡すかを決める。
汐里はもう、それを自分の判断で始めている。
彼女は曲がり角の障子をほんの少しだけ広くし、欄間の下の板を丁寧に拭いた。
それだけで、廊下の明るさがわずかに変わる。
庭の葉の影は残る。
だが、昨日より足元が前へ開く。
同じ廊下なのに、歩く人の気持ちの置きどころまで変わりそうだった。
「相沢さん」
汐里が言う。
「はい」
「廊下って」
「ええ」
「部屋のつづきを運ぶ場所ですけど」
「そうですね」
「ずっと運び続けるわけでもないんですね」
「どういう意味で」
「どこかで、少し次の場所へ渡してやらないと」
「……」
「人が途中のまま長くなりすぎる」
「かなり本質的です」
湊は言った。
それは第十作の“待ちが長くなる”を思い出させた。
春口は人を急がせない。
だが、いつまでも途中に留めておく町でもない。
待合のあとには立つ順番があり、庭のあとには門があり、客間のあとには廊下がある。
そして廊下にもまた、“次へ渡す加減”が要るのだろう。
汐里は今、その加減を掴み始めている。
午前のうちに、近所の若い男が相談事で上がった。
客間でしばらく話し、少し沈黙もあった。
そのあと男が廊下へ出ると、今日は昨日より歩幅が早く戻った。
曲がり角の光が少し前へ出ているせいかもしれない。
客間のあとを消しはしない。
だが、抱え込みすぎずに次の場所へ渡していく。
今日の廊下は、そういう廊下なのだろう。
「今の」
湊が言う。
「ええ」
汐里はすぐ頷く。
「少し早く、次の歩幅になりましたね」
「そうですね」
「今日の明るさ、合ってたんだと思います」
「かなり」
湊は笑った。
「もう、廊下の人ですね」
汐里は少し照れたように笑ったが、否定はしなかった。
橋の人。
坂の人。
待合の人。
庭の人。
門の人。
客間の人。
そして今、廊下の人。
彼女は宿の中の“あいだの場所”を次々に自分のものへし始めているのだろう。
昼前、篠原が来て、曲がり角の明るさを見てすぐ「今日は廊下が前向きですね」と言った。
汐里は少し驚いたように、そしてうれしそうに笑った。
「分かりますか」
「ええ」
篠原が答える。
「昨日より、光が一歩先へ出ています」
「……」
「客間のあとを残しつつも」
「はい」
「次の場所へ渡すほうを前にした」
「そうですね」
「かなり大きい調整です」
その言葉に、汐里はしばらく廊下の板を見ていた。
やがて、静かに言う。
「前は、廊下って」
「ええ」
「ただ部屋と部屋のあいだにあるものだと思ってました」
「そうでしたね」
「でも今は」
「今は?」
「その人が“次の場所へ行けるかどうか”を決める場所でもある気がします」
「……」
「客間を出ても、まだ客間の人のままのときがある」
「はい」
「帳場へ戻っても、まだ外の人のままのときもある」
「そうですね」
「そのあいだを少し調えるのが、廊下」
「かなり」
湊は頷いた。
「それが分かるようになったなら」
「ええ」
「もう十分、あずかり始めています」
その言葉に、汐里は深く息をついた。
疲れではない。
ようやく名前のついた仕事を受け取った人の息に見えた。
午後、湊は一人で客間から帳場へ向かう廊下を歩きながら、澄江のことを考えていた。
澄江はきっと、毎日この細い道で、人が少しずつ変わっていくのを見ていたのだろう。
話し終わった人。
言い直した人。
黙りを抱えた人。
門へ向かう人。
帳場へ戻る人。
それぞれが廊下で違う歩幅、違う足音、違う一拍を持つ。
その全部を、部屋の外のこととして切り離さなかった人。
それが澄江だったのかもしれなかった。
そこでまた、父のことが浮かんだ。
客間のあとを少し背負い、自分の幅へ戻るのが遅い人。
その父が、この廊下でどこまで“次へ渡されて”いたのだろう。
もし澄江がいたなら、父はきっと一人で変わっていたわけではない。
廊下の光や影、曲がり角、板の深い音、そうしたものと一緒に少しずつ次の場所へ向かっていたはずだ。
そう思うと、父はまた少し孤独ではなくなる。
春口の宿の途中の時間に、静かに支えられていた人として見えてくるのだ。
夕方近く、帳場から客間へ湯を運ぶ汐里の歩き方に、はっきりした意図が見えた。
帳場を出るときの足。
曲がり角で一度だけ柔らぐ足。
客間の障子の前で声の高さまで少し変わる身体。
彼女はもう、自分自身が廊下で少し変わることを分かったうえで、それを仕事の一部にしているのだろう。
「相沢さん」
客間から戻る途中、彼女が言った。
「はい」
「廊下って」
「ええ」
「人の途中を見てるだけじゃなくて」
「どういう意味で」
「途中を、少しだけ手伝う場所でもあるんですね」
「かなり」
湊は答えた。
「そうだと思います」
「母も、それを知ってた」
「はい」
「だから部屋だけじゃなく、廊下も大事だった」
「そうですね」
その理解は、シリーズ後半の一つの到達点のようにも思えた。
部屋だけでは人は変わりきらない。
途中の時間がいる。
廊下がその途中を少し手伝う。
だから宿全体が、人を少しずつ次の場所へ渡していけるのだろう。
夜、ノートにはこう書いた。
――廊下を磨くことと、廊下をあずかることは違う。
――廊下をあずかるとは、その日の光と影の加減を見て、部屋の余韻をどこまで残し、どこから次の場所へ渡すかを決めることなのだろう。
――澄江はそれを知っていた。
――父もまた、廊下の途中に少し手伝われながら次の場所へ向かった人だったのかもしれない。
――汐里はいま、部屋を整える人から、“途中の時間”そのものを扱える人になり始めている。




