第六章 青葉の影
廊下には、光だけでなく影のほうにも役目があるのかもしれない。
青葉の季節になると、障子や欄間を通って入る光は前より濃くなる。
けれど、その濃さを本当に際立たせているのは、同時に生まれるやわらかな影なのだろう。
板の上に落ちる葉の揺れ。
曲がり角にたまる少し深い暗み。
人が通ったあとにだけ一瞬ずれる影の形。
そうしたものがあるからこそ、廊下はただ明るい通路ではなく、人が部屋のつづきを少し抱えたまま歩ける場所になる。
第十五作のここまで来て、湊はようやく、廊下で人を変えているのは光の移ろいだけではなく、そのあいだにある影のやわらかさでもあるのだと感じ始めていた。
翌朝、空は薄く曇っていた。
晴れの日のような強い反射はない。
だがそのぶん、廊下の影は深くなりすぎず、板の上に淡く伸びている。
青葉の影。
それは冬のように輪郭をはっきり切り取る影ではなく、どこか人の歩幅や声の余韻まで含んで揺れているように見えた。
こういう日の廊下は、急いで通るには少し惜しい。
人がつい一拍だけ歩みをゆるめたくなるのは、たぶんこの影のせいでもあるのだろう。
朝のうち、近所の老婦が宿へ立ち寄った。
短い用事だったが、汐里は客間へ通した。
少し話をして、老婦は立ち上がる。
そして廊下へ出ると、曲がり角の手前で一度だけ床の影を見た。
見た、というより、そこへ足を置く速度を少し変えたと言ったほうが近い。
青葉の影の中へ入るとき、人は無意識に自分の足音を浅くするのかもしれなかった。
「今の」
湊が言う。
「ええ」
汐里も頷く。
「影でしたね」
「そうですね」
「どう見えましたか」
彼女は少し考えてから答えた。
「客間のあとを」
「ええ」
「明るさだけじゃなくて、影のほうでも少し受けている感じがしました」
「……」
「足を速くしないでいられる影」
「かなり本質的です」
湊は静かに言った。
足を速くしないでいられる影。
それは、いかにも春口の廊下らしい言い方だった。
廊下は人を遅らせる場所ではない。
だが、速くしすぎなくてもよい理由を、光や影のかたちで与える場所なのだろう。
だから人は、部屋を出たあとも自分の幅をすぐには失わずに済む。
青葉の影は、そのための静かな手つきなのかもしれなかった。
昼前、篠原が持ってきたのは、昔の手伝いの女中が書いたと思われる短い書き付けだった。
そこには、廊下の掃除や窓の開け方の覚えにまじって、こんな一文があった。
――青葉のころの廊下は、影がやさしいのでよい。
――人が客間を出たあとも、すぐには明るすぎず、暗すぎず、少しそのままで歩ける。
――おかみさんは「影が急かさない日がある」と言った。
「影が急かさない」
湊が読む。
「すごいですね」
汐里が小さく笑った。
「ええ」
篠原も頷く。
「かなり、この巻の中心に近いです」
「母らしいですね」
汐里が言う。
「どうして」
「光だけを見る人じゃなかったから」
「ええ」
「灯りも、火も、風も、全部その“加減”を見ていた」
「そうですね」
「影も同じなんでしょうね」
「かなり」
湊は答えた。
澄江は、たぶんいつもそうだったのだろう。
人を前へ出すものだけではなく、人を急がせないもののほうにも目を向けていた。
待合のベンチ。
庭の遅さ。
門の半歩。
客間の沈黙。
そして廊下の影。
それらはどれも、積極的に何かをさせるのではなく、“少しそのままでいられる時間”を支えている。
第十五作では、そのことがいっそうはっきりしてくる気がした。
午後、湊は一人で廊下の曲がり角に立ち、葉の影が板の上を動くのを見ていた。
風は弱い。
だから影の揺れも大きくはない。
それでも、じっと見ていると、静かな揺れの中に時間の深さがある。
客間から出た人の声の余韻。
帳場へ戻る足の準備。
門へ向かう前の一拍。
そうしたものが、この影の中では少し急がずに済むのだろう。
廊下の青葉の影は、言ってみれば“人が途中の人でいてよい時間”そのものなのかもしれなかった。
そこで、父のことを考えた。
客間のあとを少し背負い、自分の幅へ戻るのが遅い人。
その父が、この青葉の影の差す廊下を歩いたことがあったなら、少しは楽だっただろうか。
明るすぎる場所では、人はつい早く次の顔にならなければならない気がすることがある。
だが影が急かさない日なら、自分の幅に戻る途中のままで少し歩ける。
もし澄江がそこまで見ていたのなら、父はやはり“失敗した人”というだけではなく、“急がせない影の中でようやく少し歩ける人”としても見られていたのかもしれなかった。
その見え方は、とても大きい気がした。
午後遅く、汐里が客間から帳場へ戻るとき、曲がり角の影のところでほんの少しだけ肩の力が抜けた。
ほんのわずかなことだ。
だが、客間の声から帳場の声へ移るその途中で、影が一度だけ彼女の身体をほどいているようにも見えた。
彼女もまた、もう無意識にこの廊下の影を使い始めているのだろう。
「相沢さん」
彼女が言った。
「はい」
「ここ、好きなの、光だけじゃないかもしれません」
「どういう意味で」
「影があるから」
「ええ」
「気持ちを急いで変えなくてもいい感じがするんです」
「かなり、第十五作ですね」
湊が言うと、汐里は静かに笑った。
「本当に」
「それって」
湊は続けた。
「廊下をあずかる感覚にも近いかもしれません」
「廊下を、ですか」
「はい。どこで光を通し、どこで影を残すか」
「……」
「それで人の移り方も変わる」
「そうですね」
汐里は少し考えてから頷いた。
「母、そこまで見てたんでしょうね」
「かなり」
その言葉に、二人はしばらく廊下の影を見ていた。
何かを結論づける必要はなかった。
影が急かさないなら、考えることもまた少しそのままでいられるのだろう。
夕方近く、若い男が宿を出るとき、曲がり角の影のところで一度だけ歩幅が狭くなった。
客間のあとをまだ少し持っているのだろう。
だがその狭さは、ためらいというより、自分の幅に戻るためのわずかな調整に見えた。
影があるから、それが不自然にならない。
廊下はやはり、部屋の余韻を次の場所へ運びながら、人の速度も少し調えているのだろう。
夜、ノートにはこう書いた。
――青葉の廊下では、光だけでなく影にも役目があるのかもしれない。
――影が急かさない日、人は客間のあとを少し持ったまま、自分の幅へ戻る途中のままで歩ける。
――澄江は、そのやさしい影の加減まで見ていたのだろう。
――父にもまた、そうした影の中で少し楽に歩けた廊下の時間があったのかもしれない。
――第十五作は、人を変えるのが明るさだけではなく、“急がせない影”でもあることを描く巻になっていくのだろう。




